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プロという生き方。


デザイナーも若いうちは、
「有名クリエイターの○○さんのようになりたい」とか、
「雑誌に顔が出るような華やかな仕事がしたい」とか思うし、
それはそれで志として素晴らしいとは思う。
実際、そうして望んだとおりのキャリアを歩む人だっているだろうし。

でも僕はそうしたキャリアを歩んでこなかったし、
少なくとも今では、「○○さんのようになりたい」といった憧れは持たなくなった。
もちろん30代も後半という年齢からすると当たり前かもしれないが、
もっと前、20代の頃からそういった意識はかなり薄かったように思う。

やっている仕事の種類にもよると思うが、
いわゆる「作家性」(滑稽な言葉だが)を発揮できる仕事をやる人というのは、
全体数の中でかなり限られたものだ。
ほとんどの広告デザインの仕事というのは、
人々の生活の中にある品々を買ってもらうためにある。
時としてそれは非常に地味に見えるものだ。
おそらくそれは「クリエイター」という先鋭的なイメージの言葉からは、
真逆に見えるほどに遠く感じられるだろう。

そもそもデザイナーを志す人種というのは、
何かしらの「表現」をしたい、という属性を持っているものだ。
だから多くの若いデザイナーはおそらく、
「こんなことをやるためにデザイナーになったわけじゃない」
と思う瞬間が何度もあったはずなのである。
そして若いデザイナーが思う「ここではないどこか」とは、
前述の「作家性あふれる仕事をして名前が売れる華やかな世界」だ。

繰り返すようだが、僕はそれを否定するものでもないし、
逆にそういった「志」がまったくないのもどうかと思っている。
言いたいのは、
仕事の派手さ地味さに関わらず、ひとつひとつの仕事には、
それに切実に向き合っている人たちがたくさんいるだろうということだ。
鍋だろうと、殺虫剤だろうとなんだろうと、
デザイナーに仕事が届く、そのほんの一部からは想像できないほど、
本当にたくさんの人たちがその商品に関わり、
人生を賭けて売りたい、買ってもらいたいと思っているかもしれないのだ。
それを「こんな地味な仕事」と一蹴できるのか、という話なのだ。

自分自身の人生のビジョンとして、
「有名になる」「華やかな仕事をする」を目指すのはいい。
だが、目の前の仕事に対して誠実に向かうことをしないデザイナーならば、
仕事を頼んだ人たちが可哀想だ、と思う。
それは例えば、心ここにあらずの医者にかかるようなものだ。
嫌々やっている。だから目の前の患者に身が入らない。
誰だってそんな人に自分の命や健康を託したいとは思わないはずだ。

アマチュアとプロの境目、という話がある。
誰かが言った、「金をもらえばそれはプロである」と。
確かに金はリスクだから、リスクを背負えばプロと言えるかもしれない。
リスクに対して責任がとれるのがプロかもしれない。
まだアマチュアの人間には世間は責任を取らせてくれないからだ。
でもそれだけじゃない。
自分探しとして仕事をするんじゃなく、対象にどれだけ切実に向き合っているか、
そういった姿勢がプロの条件なんじゃないかと僕は思う。
プロかアマかというのは、要するに生き方なんだろう。
by shinobu_kaki | 2010-03-12 09:20 | デザイナーという病

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