Even so.

別に自分がひどく悲惨な目にあったとかじゃないんだけど(多分ね)、
つきつめてシリアスな視点で書かれた文章には、
なんらかの共感めいたものを覚える。
わかるよ、と言ってあげたい感じがするのである。

個人史は終焉しない。続く。

それはその文章の持つ力、なのかもしれない。
だが自分が信じているテーゼのひとつに、
「人は何かしらの感じるコードがなければ、対象について響くことはない」
というものがある。
つまり共鳴するには受け取り手であるこちらにも、
何らかの要素があるということなのだ。

おそらく人は実人生以外にも、
もうひとつのシミュレーション的な人生を生きていて、
それは時として余計な辛さをもたらすものではあるのだけど、
まるで倍音のように、あるいは和音のように、
想像力にあふれたその人の人生を豊かにするものだと思う。

楽しさや嬉しさが数値化できないように、
辛さや寂しさ、悲しさも比べて量ることはできない。
人の悲しさはわからないし、自分の悲しさをわかってもらうのも無理だ。
だから共感というのはいつも「近似値」であって、
その人になりかわることができない以上、
慰めという行為も隣りで手を握ってあげるくらいしかできない。
だがそれで十分だし、それで十分だという強さは持っておきたい。
自分の人生が自分のものであるように、自分の感情は自分のものなのだ。

例えば有名であるとか、影響力を持っているであるとか、
人気者であるとか、そういったことで他人を量る必要はない。
もちろんそういった下世話な観点で人を見る人間は存在するが、
それによって自らの何かが相対的に低くなったり、
また、軽視されるようなことがあってはならないし、その必要もない。
誰もが等価なのだ、と思う。
もちろんこの自分自身にとってさえも。
トラックバックURL : http://kakiwo.exblog.jp/tb/11603999
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
by shinobu_kaki | 2010-11-22 23:18 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

移動祝祭日


by Shinobu_kaki
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31