乾かぬ酒杯。

最近、内田樹の本を読んでいるので、
引用したくなる部分が多くて困る。
twitter的に言えば「ふぁぼる」というやつである。
いや、引用なのでRTというべきか。


「杯」というのは構造的に不安定なものである。
ジェームズ・ギブソン的に言えば、
「酒杯はそれをテーブルから持ち上げ続ける作業をアフォードする」。
 酒杯というのは、「卓上に置いたままにすると不安定に見えるので、
つい手に取りたくなる」ような形状をしている。
だから、たいてい逆三角形をしているし、
酒杯の中には「そこが丸いもの」や「底に穴があいているもの」
(絶えず指で穴を押さえていないと中身がこぼれ出る)がある。
(中略)
杯についてはその性質のすべてが「下に置かないこと」を人間に求めている。
ご飯を食べるために両手を自由にしようと思ったら、
杯を別の人間に手渡すしかない。
 つまり、杯の場合は、食器の形態そのものが
共同体の存在を要請しているのである。
 献酬という習慣は私たちの社会からもう消えてしまったが、
それでもまだ宴席において、「自分のビール瓶」を抱え込んで
手酌で飲むのは非礼とされている。自分のグラスが空になったら、
面倒でも隣の人のグラスにビールを注ぎ、
「あ、気がつきませんで…」と隣の人がビール瓶を奪い取って、
こちらのグラスに注ぎ返すのを待たなければならない。


(引用ここまで)


「べく杯」という杯がある。
こういうものである。
見るからに装飾性のある形状をしているが、
何しろ最大の特徴は「置けない」ということであろう。
つまり飲み続けるというマナーをほぼ強制的に構造化する道具なのだ。

それにしても白眉なのは共同体的な意味での杯の解釈で、
さしつさされつという言葉があるように、
本来酒席というものは(まあ席というぐらいだから)、
本来的に複数によるものだったのだろうと思わせる。
つまり「独酌」という行為は亜流だったのである。
それは「独酌」という言葉が存在するという事実がそれを物語る。
なぜなら特別な行為であればこそ、
その行為には別個に名前がつけられるからである。

ちなみに「べく杯」は「可杯」と書く。
生まれは酒豪の国・高知県というか土佐だそうだが(さもありなん)、
その名称は漢文由来である。
漢文において「可」の字は常に文頭にきて決して下に置かれないことから、
この名がつけられたそうである。
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by shinobu_kaki | 2011-05-17 08:47 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

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