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物書き気取りとしてのブログ更新。

快適なネット生活をおくる秘訣、それは「つぶやかない」こと。

上記より少し引用。

「たぶんネットに書くときの緊張感が,昔はあったんでしょうね」
「創作なんですよね」
「その頃よくあった,文章をメインとしたテキストサイトなんかは,
単に日常を書いているようで,実は日常を面白おかしく
エッセイ的に書こうとする人たちでしたから,仮に飲酒運転をしたとしても,
それをそのまま芸もなく書いたりはしないでしょうね」
「本を書くことをカジュアルにしたような位置づけで,
ネットで文章を書いていましたから,
日常を垂れ流そうという発想はあんまりなくて,
僕も日記は書いていたものの,創作として取り組んでいました」

「今思うと掲示板の手軽さはTwitterっぽいですね」
「その後ブログが登場して,これも掲示板みたいに楽に投稿ができるわけです。
でも,掲示板にしてもブログにしても,
実際に文章がアップされる前にプレビューという,
内容確認のためのワンクッションがありました。
Twitterにはプレビューがない」

「ブログは,短く書く雰囲気ではなかったですね。
普通本で読むエッセイならこれぐらいの字数は書くだろうと思って書いていて,
そこでもまだ創作としての意識はありました」

「たとえば本を読んでいろいろ感想を持ったとしても,
ブログに長く文章をしたためるのではなく,
Twitterで短く『面白かった』って書いて満足してしまったら,
その時の複雑な感情など,記憶に残らなくてもったいないと思いますね」


…とまあ、とりとめなくメモしてしまった。
上記の記事の主眼の部分では実はないのだけど、
ちょっと気になった部分を引用してみた。

確かに本や映画の感想など、短い文章でさらりと書いてしまうと、
それはそれで素直な感想なのだけど、言ってみれば芸がないし、
(芸が必要かどうかの議論は別としてもね)、
上記の一番最後のコメントを自分なりに形容すれば「揮発する」って感じである。
さっさと昇華されてしまうというか。

だいたい何かを書こうとわざわざ思う背景には、
自分の中での「引っかかり」が何かしらあってしかるべきなのだ。
それは話すか書くかという「言語化」によって昇華される。

考えているだけでは、その思考には誰にもアクセスできない。
言語というのはそもそもコミュニケーションを目的としたものだから、
言語化することによって初めてコミュニケーション可能になる。

つまり、
他人にも理解できるように感情を翻訳したものが言語である、
とも言える。

それがひと言であれ、何らかの形でアウトプットされてしまうと、
何かが済んだような気持ちになってしまう(実際に済んでいるのであるが)。
それを「もったいない」と言っているのである。

そして順序が逆になるが、ブログの書き方の話。
「本をカジュアルにしたもの」という言い方が上記にあるけれど、
これはまさにそうで、日記というよりも、
完全に読み物としてブログを書いていた人は多いのではないだろうか。

レベルはどうあれ、自分ですらが実はそうだったからね。
一種の雑誌のような、本のような、もちろんゆるさはあるにせよ、
ちょっとした連載のような気取りで続けていたというのは、
実は疑いのないところなのである。
少なくともライフログではまったくなかったからね。

手軽にアップするという部分からすればむしろ妨げになるであろう、
「エントリにタイトルをつける」という作業も楽しい。
これはやはり何か読み物を書いている感覚にさせるフォーマットである。

しかしブログで最も大切なことは「更新されていること」である。
この意見は昔から変わっていない。
それを思えば、毎日気合いを入れて文章を創作するという作業は、
実は非常にハードルが高く、また、
いずれ息切れしてしかるべき構造なのかもしれない。
それはとりもなおさず、「流行る」という部分においてハードルになる。
言ってみれば、誰にでもできるようなことじゃないということだ。

「面倒くさい」というストレスは、
実はハードルとして非常にポイントだったりするのだ。
by shinobu_kaki | 2011-08-13 15:33 | エウレーカ!

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