能動的な快楽としての自転車。

青山通りを歩いていた。
通勤の朝の気怠さにまかせて、向こうからやってくる自転車の男を信号待ちの横断歩道に立ちぼんやりと眺めていた。男が僕の2メートルくらいの近さで自転車を降り、表情を崩して笑うと何か口を開いたので、僕の背後に知り合いでもいるのかなと思っていたら、男の笑顔は僕に向けられたことがわかった。彼は僕の知り合いであり、前の会社の同僚だったのだ。

横断歩道を一緒に渡る間のわずかな時間、僕と彼は二言三言の会話を交わし、手を振って別れた。また飲みに行こうよ。いいね、ぜひ。

自転車通勤にはいい季節になった。もちろん天気は不安定で、時々夏のような暑さもぶりかえすが、やはり季節ははっきり深くなったと感じられる。住まいが会社にうんと近い頃には僕も自転車で通っていた。10分やそこらの距離だった。それから引っ越して、会社まで1時間の道のりになっても、できる限り自転車で通うようにしていた時期もあった。さすがに今は通えない。奇しくもあの震災の折、自宅まで自転車を走らせることになったのだが、平時であってもたっぷり2時間はかかることがわかったのだ。往復だと4時間である。これを毎日は無理だろう。例え週2〜3でも難しい。つまり自転車通勤に適した距離ではないということだ。

最初に書いた彼も、会社までの距離は自転車でせいぜい30分というところではないか。はっきり聞いたわけではないが、そのくらいだと思う。僕も1時間の距離を通ったと書いたが、往復2時間の日常はそれなりにこたえる。体力的にである。混んだ電車に乗らないという選択の代償は、都心住まいでもない限り、それなりに支払わなければならないのである。

それでも僕は自転車が好きだし、通勤はかなわないまでも、休日のふとした時間に30分くらいは好んで自転車を走らせる。自分の足を動かして前に進むというのは何しろ気持ちのいいものである。能動的なのだ。電車・バスとは圧倒的にここが違う。乗り合いの公共機関である電車やバスは移動式のスペースだ。中に入ったら座るか立つかしかできない。動くベンチのようなものだ。移動そのものに爽快さはなく、とにかく早く目的地に到着する事が望まれる。自分の身体を使った楽しさのある乗り物ではないのである。

知り合いと言えば、仙台に住んでいた時の友人は多くがバイク乗りであった。もう何年も会っていないが、そのうちの数人は今でも乗っているという。もう彼らも40歳である。自分は中型免許を持っていないのでバイクには乗らないのだが、自分で走りそのものを能動的にコントロールする、そんなバイクの魅力は今も少しだけわかるような気がする。
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by shinobu_kaki | 2011-10-07 20:38 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

移動祝祭日


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