被害者のモード。


人が他人に対して攻撃的になる時、
「正当化」という持ち札があると一層激しく残酷になれる、と思う。
例えば大義名分を得た時。
力の強い組織のような後ろ盾がある時。
また、自分が被害者である時などである。

逆説的なようだが、今の時代「被害者」というのは非常に立場が強い。
女性による痴漢冤罪などがその一例だが、
もっと人間関係におけるマインド的な部分の話をすると、
「自分は虐げられている分だけそれを得る権利がある」と思った時、
相手に対する要求の強度は非常に高まることになる。
そういった例をいくつも目にしたし、もちろん今でも目にする。

そんな事象を目にして思うのは、やはり一種の見苦しさである。

先に書いた「被害者」というのは、
自分なりの言葉でいうと一種の「モード」に属している。
それは、加害者か被害者かという戦闘的な殺伐としたモードである。
人が自らを「被害者」だと自称する時、
言葉とは裏腹に、相手に対する非常な戦闘態勢を表していることになる。
戦いのモードである。
いったい、被害者か加害者かというのはその時の局面的な結果であって、
基本的には戦争状態に入ったことを宣言しているのである。
そうした心性に「モード」を感じる。
言ってみれば「被害者」とは非戦闘の平和状態よりも、
より「加害者」に近いモードなのである。


人間関係は近づいたり遠ざかったりといった、
バランスを取りながら親和性を高めていくものである。
そんな一連においては、感情の擦り合わせることで、
火花を散らすようなことだって起こりうるだろう。
逆に、まったくそういった「近」の部分がない関係は危ういとすら感じる。
もちろん他人同士の関係は他人からは見えないしわからないものなので、
彼らの中での独自のバランスがあるかもしれない。
おそらく誰もが何らかの形で親和性の遠近のバランスを取っているのだ。
外からは見えないだけで、二人の井戸を何らか掘っているのだろう。
関係というのはそういうものだからだ。
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by shinobu_kaki | 2012-01-12 09:27 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

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