人気ブログランキング | 話題のタグを見る

延長戦を生きること。

昨日のニュース。

元ロッテ投手を強盗殺人容疑で逮捕

容疑者の名前は、小川博。
知っている。僕は彼の名前を知っている。
1988年、仰木監督のもと、近鉄がリーグ優勝を賭けて望んだ、
ロッテ(当時)とのダブルヘッダー。
その大事な第1戦の先発が、彼だった。
サイドスロー気味のフォームから速球を投げ込む、
奪三振の多い、良い投手だった。

プロ野球選手という華やかな舞台で、
一度でも脚光を浴びたものであればこそ、
こういった悲痛な事件の印象は、コントラストの強いものとなる。
「光と影」であるとか「転落人生」であるとかの、
一種ありきたりな表現の見出しがメディアに踊る。
例えば田代まさしの逮捕劇なんかにしてからがそうだ。

高給取りであるはずのプロ野球選手にして、
その数年後に自己破産。当時の借金は1,000万だという。
想像の域を出ないが、やはり放蕩の日々を繰り返していたのだろうか。

もともと野球選手の引退後というのは難しいものもあり、
人によっては解説者や監督・コーチ業に就ける者もいるが、
それはほんの一握りにすぎない。
なので、飲食業を始めるものが非常に多いと言われる。
元手とちょっとしたノウハウがあれば、
比較的特殊な技術が必要ない部分が多いからだろう。
また名の知れた選手であれば、
そのネームバリューでお客を呼ぶということも望める。
彼はコーチの経験があるということは、
ある程度の野球理論と人望があったに違いない。
それは誰もが通れる道ではない。恵まれていたともいえる。


小川氏が現役の野球選手として世間の耳目を集めていた時期は、
それは充実していたに違いない。
人から注目され、存在として求められるというのは、
たまらなく魅力的であり、そして大事なことであることは間違いないと思う。

でも、それが本質ではない、とも思う。

不特定多数の他人、というのは実感のないものだ。
言ってみれば幻想のようなものかもしれない。
あたり前だが幻想とコミュニケーションを取ることは出来ない。
そこには一方通行的な関係があるだけだ。
関係とすら言えないかもしれない。
人間とは文字通り「人の間」、つまりコミュニケーションそのものの事で、
一方通行でしかないそれは、コミュニケーションとは言えないからだ。

少々、妄想的に脱線してしまった。


被害者は67歳の女性だそうだ。借金を断られての犯行だという。
強盗殺人は軽くても無期懲役、死刑もありうる重罪だ。
「殺してでもカネを奪おうと思った」と彼は話しており、
ハッキリと強盗殺人の意志があることがわかっている。
情状酌量の余地はないだろう。

僕は想像する。11月の夕方。外はもう暗いだろう。
行き詰まり、思い詰め、決意を秘めて会長宅を訪れた小川氏。
老女をその太い腕で突き飛ばし、あたり前のように金の入った封筒を奪い、
ぐったりと動かない彼女を乗せて荒川に向かう車を運転する彼は、
その時いったいどんな顔をしていたのだろうか。

彼は、目の前にいる身近な人との良い人間関係を築けていただろうか。
きちんとリアリティのある、現実的な愛情に触れられていただろうか。
犯罪者の「欠落」は、結局そこに起因する気がする。
自らには自戒という強さを。そして暖かくまっとうな愛情がまわりにあること。
それらの総称はきっと「優しさ」と呼んでさしつかえないはずだ。

こういった悲痛なニュースに触れるたび、
「平凡であることの凄さ」を感じずにはいられない。
実はそれがもっとも難しいことかもしれない、と思うのだ。
by shinobu_kaki | 2004-12-22 14:27 | エウレーカ!

移動祝祭日


by Shinobu_kaki
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31