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期待値と道具化。

研修医の頃からしばらく、24時間どんな救急でも受ける施設でずっと働いていて、近隣で開業している先生がたから電話を受ける機会も多かった。市内にはいくつかの大病院があって、「断る」病院の先生がたは気を使われていて、あの病院に紹介するのは「申し訳ないから」と、搬送依頼はいつもうちだった。

自分の施設にかかってくる搬送依頼は横柄だった。「今ちょっとベッドが厳しいです」と返事をすれば舌打ちされた。「院長に直接電話してもいいんだよ?」なんて電話越しに怒鳴られたこともあった。どうしてうちだけこうなのか、ずっと分からなかった。

休日体制に突入する土曜日の午後、近隣老健施設からの入院依頼が一時期ものすごく多かった。医師会のゴルフ大会前日になると、2週間前からの食欲不振とか、「救急」には遠い依頼が殺到して、満床で断らざるを得なくなると怒鳴られて、電話の応対が大変だった。

病院の方針でそれでも頑張って、結局病棟の看護師さんが疲れて辞めて、病院長が「断る」ことを決断してからほんの数週間、紹介電話の空気は笑っちゃうぐらいに丁寧になった。もう笑うしかなかった。

24時間、どんな患者さんでも受け付けます、断りませんという病院は、頑張るほどに、周囲の施設はそれを単なる道具であると認識していく。便利な道具は頭を使わず利用できるから、利用の履歴が経験として蓄積されない。そうした施設が99人の急患を引き受けてみせたところで、100人目に断られた誰かは「使えねぇな」と舌打ちすることになる。

「制約を身につける」レジデント初期研修用資料




これは非常に身につまされる内容。
制作会社である我々も受注によって成り立つ商売ではあるから、
まず仕事を受けなければ話にならない。
利益がなければ、会社はそもそも存続が難しい。

そうした「身も蓋もない軸」と同時に、
「どういう仕事をする集団(個人)と思われたいか」という軸がある。
そこの堤防をある程度しっかりつくっておかないと、
大雨の川のような勢いをもって仕事が流れ来た時に、
堤防は成り行きにまかせて決壊することになる。
引用元にあるように、何でもやりますよという姿勢が自らの道具化を招く。
クリエイティブな集団としての価値を低下させてしまう。

つまり「その仕事を我々がする理由」が霧消してしまうのだ。

思い出すのは最初に入った制作会社のことである。
そこは、デザイナーが新人の自分を含めた4人ほどで、
社長を含めても全体で7人ほどの小さな会社だった。
ある時、つきあいのある代理店が制作会社にランクをつけている、
という話が人づてに聞こえてきた。
公式なものか非公式なものかはわからない。
だが、明文化されてなくてもこうしたことは今でもあるだろう。
少なくとも個々人の認識の中にはあるはずだ。
そして、当時のうちの会社はCランクだった。かなり低い。
面白いとは言えない風聞に、社内の面々は憮然としたものだった。

しかしながら、今思えば低評価もうなづける。
当時はまさに「なんでもやりますよ」という姿勢で、
徹夜も週末出社も辞さずと実際にハードワークしていたのだが、
「お得意先のパートナーであろう」といった意識が少々薄かった、
もしくは行動として示せていなかったのではないか。

期待値だとか、
相手の中で自分をどういったポジションにおくかといったことは、
人に対する臨み方として非常に重要である。
まず「つきあいが存在する」といった低層的なレイヤーがあって、
次の段階として「どういうつきあい相手か」という認知のレイヤーがある。
その時に「〜はしない」という部分がポイントになったりする。

そしてこれは個人的に思うのだが、
人は「こういうことまでしてくれた」ということで相手を信頼するのではなく、
「こういうことは絶対にしない人だ」という部分で人を判断する。
信頼の質を決定するのはトップではなくボトムなのである。
by shinobu_kaki | 2013-01-08 13:45 | デザイナーという病

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