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クリエイティブとしての子育てについて。

子育てはクリエイティブだ、という言い方がある。
あった気がする。

ここでは「クリエイティブ」の意味がどういったものであるか、
そういうことは問われていないだろう。
ましてや生産(創造)的行為、と訳すとよくわからなくなる。

自分は、自分たちは今、4歳の娘を育てている。
それがクリエイティブという言葉でくくれるものかはわからない。

最近話題になったクールほにゃららではないが、
子育てはビジネス的な意味で正当に対価の得られるものではない。
ここでいう正当とはもちろん、時給換算とかそういったことだ。
やったらやった分だけの見返りが、その場その場であるかということ。

あるわけがない。

もっと言えば、仕事というものも本来はそういうものであろう。
確かに給料というかたちでの報酬が得られてはいるものの、
会社に所属している以上、自分の働いた分の利益は一度は会社に帰属し、
そして会社の評価軸に沿って毎月のギャランティとして支払われる。
時間を切り売りする時給仕事でない以上は、
我々は意外に「やった分だけの見返り」は正確には得られていないものなのだ。

そして会社は社員に常にオーバーアチーブを求める。
つまり、やるべきタスクをオーバーするレベルの仕事をしていかないと、
個人の評価も上がっていかないし、会社としても成長曲線は望めない。
ほとんどそれを前提として構造化されているようにも見える。
つまり、社員は報酬という意味では常に少しずつ損をしていくようでないと、
評価および評価額を上げる事はできないということだ。


子育ての話に戻る。

子供はほんの幼少の頃までにすべての親孝行を終えてしまうと言われる。
つまりそれくらい乳児は可愛いというわけだが、
この言葉の裏を返すと、それ以降の子育ては、
労働的な意味では親にメリットがないということになってしまう。

例えばお金の面ひとつとってもそうだ。
親は自分の稼いだ給料を、一方的に子供にかける。
その分、自分の自由にできるお金はなくなってしまう。
それが当たり前なのだが、自分が人生をある程度選択できる状況で、
「子育てって損じゃないか」と思う人もあるかもしれない。

また、そうしたはっきりした意見でなくとも、
いかに日本が子育てに優しくない社会かといったアナウンスは世にあふれ、
それがために、無意識的に子育てへの拒否反応が生まれている、
そういう状況はあるかもしれないとも思ってしまう。

確かに子育ては大変である。
そして、いかに意識をそちらに向けていたとしても、
自分が父親である以上、母親の子供にかけなければならないエネルギーには負ける。
一種の敗北感というか、「いくら頑張ってもまだまだ」という思いすらある。
やってもやっても構造的に半人前なのである。


さて、「クリエイティブ」という言葉は本来、
「創造主」的な意味もあり、ものものしい。
だが巷間使われる字義としては、実際に作るというよりも、
「価値を意味付けすること」といったニュアンスではないか。
クリエイティブ業に自ら手を汚すイメージは薄いからだ。

言葉の定義の話になるので難しいのだが、
上記に照らすと、子育てはやはり「クリエイティブ」という言葉でくくれない。
というか似合わない。
子育てはもっと何というか身も蓋もないものだ。
損得で量れないし、思い通りになんかならないし、
その都度のイレギュラー的な対応や選択を否応なしに迫られる、
文物でなく強烈な血肉的な現実として、目の前に存在する。

なので上か下かではなく、子育てをすること、
子供と向き合うことというのはそういうことだと思う。
崇高とは思わない。偉いとかそういうものでもない。
ただ、完全に私的な体験として、
利益とかそうした具体的なことではなく、ぼんやりと、
しかし強烈な感動をともなうものであることはよくわかった。


泣いたり、笑ったり、色々とあるけれど、喜びのある日々です。
by shinobu_kaki | 2013-04-09 08:57 | パパなのだ。

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