10年遅い。


自分は他人よりも5年か10年遅いのではないかと思うことがある。
と書いたはいいが、5年と10年ではずいぶん違う。倍ほども違う。
だから暫定的に10年ということにしておこう。それでいい。
自分は他人より10年遅い。

遅いという中身とは、気づきのようなものだ。成熟と言ってもいい。
それは生物学的でない意味での大人になるということだ。

例えば何かを諦められることであり、
例えば何かを人に教えられるということであり、
例えば前提として思考を省略できることであり、
例えばものごとに対して傲慢になれることだ。

「られる」という言葉が出てきたということは、
これらを自分はスキルと考えているということだろう。
られる。られる技術。られられない技術。

特に、ものごとに対して傲慢になれるという箇所は、
言い換えると「自信」に近い。
一般的には知らないが、
自分の言葉の定義としては、そうなる。
自信があるということは傲慢であるということだ。
裏返しでもなんでもなく、そうだ。
言い方が違うだけで同じことだと思う。

そして、自信の源泉はどこから来るのか。
「根拠なき自信」という言葉があるけれど、
これを語義矛盾だという人もいる。
根拠があっては自信ではないというのだ。
つまり何の理由もなしに備わっている不遜さ、省みなさ。
これが自信であるとする。
さて、こまった。
これでは、ない人には自信は一生持てないことになる。

ない人にはない、
と言えばおなじみの「才能」という言葉が連想される。
これは世の中にいくつかある思考停止ワードおよび議論停止ワードであり、
誰かを評して「才能がある」としてしまうと、
それ以上の深掘りがその場では困難になる。
(まあ深掘りしなくていいけどさ。)

なぜ深掘りが困難なのか。
それは「あの人は頭がいい」なんかも同様だが、
「才能がある」ってのは「好き」の言い換えだからだと思う。
「好き」には理由がない。
誰かを好きだと思うというのは経験に裏打ちされた直観はもとより、
体細胞のレベルで好ましさや快適さを覚えているんじゃないかと思う。
いわゆる一目惚れは虚しさや寂しさを埋める幻想として存在するとも言われるが、
好きっていうのはもう少し冷静な衝動という気がしている。

なんの話だっけ。
あ、そうそう、

何年生きていてもなかなか大人っぽくならない。
40を過ぎて子供っぽいも何もないとは思うが、
どうやら大人っぽさや成熟というものは年功序列的にやってくるものではないらしい。

自分が子供の頃にイメージした大人は、
こうして月日を闇雲に泳いでいるよりもうんと速く、
あるいは少しだけ速いスピードで、
ぐんぐん先に行っていて追いつける気配がないどころか、
絶望的なまでにその背中が小さくなっていくのをあんぐりと眺めるのみである。
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by shinobu_kaki | 2014-04-17 22:08 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

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