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Disappeared.


ロビン・ウィリアムズ自殺の報はやっぱりショックだったよね。

知ってるのはスクリーンに映った俳優としての彼の姿だけで、
本人の人となりなど知る由もないのだが、
子供の頃に抱いた「優しそうな人だな」「穏やかそうな人だな」という
勝手で一方的な印象は失われないままだった。

ロビン・ウィリアムズさん「愛してるよ」最後のSNS投稿は娘へのメッセージ

これなんか読んで、こっそり涙していた。
娘がいる自分の環境とやっぱりかぶってしまう。
「いまでも僕のかわいいベイビーだよ。誕生日おめでとう。愛してるよ。」
というフレーズは何度読んでも涙腺に刺さる。
シンプルな言葉なんだけどね。感情が無抵抗に反応してしまう。


自殺を考えたことがない、という人のことがよくわからない。
もちろんそういう人は結構いる。
ただ、自殺を考えたことがない=幸せな人生、ということでもないだろう。
同じだけつらいことがあったとしても、
ある種の精神の回路として、つらさの処理として、
「自殺してしまいたいな」とは考えなかった、という話ではないかと思う。

曰く、「死にたい」は「生きたい」の言い換えであるという。
ちょっと言葉遊びっぽいけどね。まあ真実だと思う。
もう少し言えば、
「今のこのつらい人生ではなくて、より良い別の人生を生きたい」
というのが「死にたい」という言葉の内実ではなかろうか。
つまり逃避願望である。
でもそんなことは無理だということがはじめからわかっているので、
「死にたい」という言い方になるのだろう。
死ぬ、というのは一応現実的ではあるものね。

人が「死にたい」と思う、
つまり「もう何もかもやめたい」と考えるのは、
気持ちの面で言うと、ある種の永遠性に捉われているのではないかと思う。
要するに、
「このままのつらさが永遠に続いて終わらないのではないか」と考えた時に、
人は絶望する。逃げ道を見失う。もうどうしようもないと思う。
瞬間的なつらさとか負荷というのは実は結構耐えられるものなのだが、
実は「終わりがまったく見えない」というのがつらい。
逆に、終わりが見えれば人は結構頑張れてしまうものなのだ。


人生に終わりはないのかというと、もちろんそんなことはない。
人は誰だっていつか死ぬ。
そこまで先じゃなかったとしても同じ状況がずっと続くというのは考えにくい。
自分から変えようと動いたなら、さらにその期間は早まるだろう。

人生のつらさというのはつまるところ対人関係のつらさである。
いま身の回りにいる人との関係、しがらみがつらいのだ。
これは、切り捨てる優先順位をしっかりと決め込んで臨めば、
実は以外と打破できるということもある。
本当につらければ、自分の居場所を変えればいいのである。
簡単にはできないからこそ苦しんでいるんだと言われそうだが、
それはどちらも取ろうとするから、
心が引き裂かれてしまって苦しいのだ。
大胆に何かを捨てる覚悟があれば居場所は変えることが可能だ。
あとはなるべく健康であることと、期待値の持ち方を間違えなければ、
そこそこタフに生きて行くことが可能だと信じる。

まず生きるのが優先というか、前提だ。
つらさはその下位レイヤーにある。
いまは先が見えなくてもそれは永遠ではない。
もちろん人のことはわからない。
でもなるべく生きて欲しいと思うのだ。
天国はない。でも小さな救いを拾い集めて生きて行くのは悪くない。


このへんの話はとても書ききれないので、またいずれ。
by shinobu_kaki | 2014-08-13 20:00 | ライフ イズ

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