2016年 04月 30日
ナイーブさについて。
ときどきナイーブさ=敏感さ、みたいに思われがちだが、
それはセンシティブという別の表現があるのであって、
ナイーブというのは少なくとも自分の中では、
未成熟で脆弱で折れやすい、ただの精神的ひ弱さでしかない。
そう前置きしたうえで、自分はナイーブかナイーブでないかというと、
明らかにナイーブなほうに入るのだろうと思う。
また、シャイかシャイでないかという区分に置いてもやはり、
シャイなグループに入ってしまうのは否めない。
年をそれなりに取っていけばこういうものは徐々に改善されて、
年相応のタフな大人というものに自分ですらも変貌を遂げるのだろう、
それが言い過ぎならば収まるべき姿に収まるのだろうと考えていたものの、
どうやら43歳という年齢になってもフラジリティを持ったままである。
ナイーブさを自覚する具体的な例として、
他人に相対したときの精神コンディションの不安定さがある。
屈託があるのである。
自分が思っていたり相手に伝えたかったりすることが普段あったとして、
その場面においてあるべき形で表出できずに、
あとで忸怩たる思いを抱く…ということもそれなりに多く、
またそういった自分の中のバイオリズム的なアップダウンに抗うことができない。
人が人を「タフ」だと言うときの中身というのは、対他人ではなく、
この自分の内部の屈託に対するタフさのことではないかと思う。