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「怒り」について。

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人はどんな時に怒るのか。
「怒り」について、自分が以前ツイートしたものの中から抜粋。
メモです。長いですよ。








怒りは何より自分を滅ぼす。内側から自身を焼き、外に出しては他人から憎しみを得る。
怒りがあるのに出すなっていうんじゃなく、戦って根絶するなり、
徹底的に意識を別に向けるなり、怒りを自分から手放すことだろう。


人が何かに頭に来る時に、それまでの半生で消化できなかった
別の怒りが誘発されないという人はあまりいない気がする。
本当にそういう人がいたら、そもそもあまり怒らない人になるだろう。


この世のすべてを蔑んでいたら、怒りを覚える道理がない。


過干渉の親に育てられた子供は基本的に怯えながら暮らしていて、
だから人間が嫌いになるし、怯えているからものすごい怒りとパニックが出る。


すべての怒りは八つ当たりの性質を帯びる、というと聞こえが悪いが、
言い換えると、怒りは原因から離れて自分から取り出され、
まさに火のようにそれ自体として存在しうる。


怒りの中身は、期待外れ。


怒る正当性を得た、と思っている人の怒りは長く続く。


「人の怒りはフラストレーションの仮託」というのが大きいと思っている。
自分自身もそうだし。何かについて怒っている人は、
何かについて怒ってるわけじゃないというのがある。


一度何かにものすごい怒りを覚えると、
その後、脳の機能が少し破壊されたように凡ミスが増えたりする。
そういう場合、本当に少し壊れているんじゃないかと思う。


怒り続けるも怒りを収めるも、そのボールは自分が持ってるって自覚すること。
自分の選択として怒っている、と。
これを誰かのせいで自分は怒らざるを得ないのだと思っていると、
自分で怒りを鎮めることができない。
ボールがどっかの誰かにあるということだから。


「研究によってわかったのは、
憎しみが生じるのは生物が古代からもっている生存の本能に、
激しい嫌悪と怒り、スレテオタイプ化、
そして『われら対、彼ら』という区別が結びついたときだということだ」
ラッシュ・W・ドージアJr.『人はなぜ「憎む」のか』


正当性のある怒りでも、他人からは「怒っている人」に見えることは変わらない。
本人が一番損をする。
そのことが、自分を怒らせた原因になった人間への怒りを増幅させたりね。


感情、とくに怒りの感情は所有権が曖昧で、
まったく別のことで怒っていたり自分に腹を立てたりしていても、
近くにいる人は自分に向けて怒っているように感じられる。
整理できない怒りを抱え込んでいると、他人から見て怖い人になるため、
距離を置かれたりする場合もある。


怒りを押し殺して何かをすると、最終的に人に嫌われる。


そもそも怒りというのは、

一旦沸いたらどこに向けるかというのを

コントロールするのが結構難しい性質のもの。



寂しさと怒りは実は同質。



条件設定が先にあるんじゃないんだと思う。怒りが先にあるんだと思う。
その自分の怒りとの整合性を取るために、
自分が怒るにふさわしい条件づけを自分自身で行うんだと思う。


一度でも火のような怒りを向けられたなら、理由や経緯はなんであれ、
その相手を二度と許せなくなるというのはあるだろう。


人の怒りというのは基本的に、
理路整然と対象があって原因があって怒りがあるのではなく、
日々の漠としたエネルギーを集結して溜めておき、
何かキッカケがあったときにダムの放水のように射出されるものだと。


ちょっと考えられない、みたいな人をTLで見かけたとして、
通常の感覚では理解できないその差を埋めるみたいに怒りのような感情が起こり
「許せない」となるのかもしれないけど、そもそも理解しようとしなくていい。


怒りはエゴだ。好きで怒っている。あるいは、自選的に怒っている。
つまり怒らないという選択も可能な状況のなかで、あえて選んで怒っている。
それを忘れてはいけない。そして、怒ったことで自分の一日は台無しになる。


腹を立てるくらいなら離れればいいと思うのに、そうもいかないのは、
怒りより寂しさのほうが耐えられないからだろうか。


長く執着して怒りを募らせるぐらいなら、
相手を自分の頭の中から、適当な罪状を与えて追放しよう。


何かにわざわざ自分から怒りにいく人は、その人の中で
怒りというかたちの感情の解放」を必要としてるんだと思うけどね。


そして本当は、それは怒りのかたちじゃなくていいんだけど、
怒りっていうのは相手の非を責めてる分、
相対的に自分の側に正当性が得られるから、便利だし、ちょうどいいし、
速いし、傷つかないわけで、よく使われる。


何かにわざわざ自分から怒りにいく人は、その人の中で
怒りというかたちの感情の解放」を必要としてるんだと思う。


怒る時に比較的饒舌になるタイプがいるが、
これは「怒っても頭は冷静」なのではなく、言葉が整理されて饒舌になるほど
自分の中で怒りの感情を溜め込んでいたから、である。


怒りは執着。


あなたの怒りはどこから?
「私は寂しさからー!」「私は虚しさから!」「私は疲れから…」


「何をしたかよりも、どんな人間であるかを批判されたほうが、
人は恥辱と無力感を強く感じる。
そしてそんな惨めな屈辱感から逃げる方法などないから、
批判されたほうが怒りの反撃に出るほかなくなる」


怒りに限らず、感情というものは理性だけではなかなか御しがたいものだ。


やっぱりこう、怒りを表出している人はその攻撃性ゆえに忌避される。
いかに「この怒りはあなたにではない、こういう人にです」と明記したとて、
その異様な熱量に触れれば、ある程度自分ごととして快不快を感じずにはいられない。
つまり、感情そのものが問題なのであって、矛先の問題ではないのだ。


怒りについては、基本的には言葉は悪いが「ごまかす」ということしかない気がする。
別のことに自分の気持ちを持って行って、
結果的に薄めることでどうってことない話にしてしまえればベスト。
そうではなくて、
怒り
の根本原因に真正面から立ち向かって解決しようというソリューションは、
怒り
の対象への心的接触時間を増やすだけであまりいい結果にはならない気がする。


冷静的な怒りはない。怒りが冷静である必要もない。


「優しい人が怒ると怖い」というのは、
まずあまり怒らない人が怒ったこと自体のギャップに驚くこと、
普段溜め込んだ怒りを一気に出す分だけ怒り度合いが激しいこと、
怒り
に慎重な人なだけに怒りの正当性が強固であること、
怒り
慣れてない人の怒りはブレーキの利かない恐れがあること、あたりかな。


怒ってる人が本当は恐るるに足らないのは、
怒ってる人は「弱き者」だからだ。怒りというのは被害届だ。


損得勘定で考える人は、好きなものがないということになり、
好きなものがないという理由で癒されない。怒りの感情がある。


「女の怒りは積み立て預金」といった言い方に対する
男のしくみの話ってあまり出て来ない。あるんだろうけど。


怒りを覚えるのは相手に期待し過ぎなのだ。


対人関係にプレッシャーを感じすぎるとやがて怒りにかわってしまう。
相手に誠実であろうとする、承認を得ようとするから苦しいんで、
評価されようと思わなければ相手に対するプレッシャーも薄くなる。
だってそんな人、本当はどうでもいいでしょ?


怒りの処方って難しくて、抑えてもダメだし、
感情に任せて形にしても不本意な状態で残るしね。


怒りというのは期待と執着だけど、軽蔑はそうじゃない。


目の前に現実的なストレスがあると、思考がそれに引っ張られる。
不満や怒りについての感情的担保を、その時の言葉にしてしまう。


怒りへの執着は酔いのようなものだ。醒めると視野が広がる。


依存してたら相手に怒りが沸くのは当たり前だ。
「してもらって当然」という意識ほどに、相手が何かをしてくれるわけがない。


怒りは自分に盛る毒」か。という言い方もあるだろうし、
そもそも自分がそれに怒りという反応を示すのはなぜか、という部分よね。
正直な感情はむしろ健康だ。


精神が守りに入ると怒る機会が増える感じある。怒りというのはリアクション。


怒ってる人は同時に悲しいのである。その怒りは正当だ。


やはり感情の中では怒りがいちばん瞬発力があるので、いちばん鋭く自分から出てゆく。


義憤するとき、人はだいたい類似のケースを思い出し怒りしている。


怒りってその時の対象に対する感情100%ってあり得ない。
絶対に精神コンディションによって怒りが増幅される、
平たく言うと八つ当たりが混ざる。誰でもそうだと思う。
逆に、精神が安定していれば多少の怒りは揮発されていく。
やたら怒りやすい人は普段からの怒りの蓄積がある。


自分の心を覗くと、やっぱり怒りってのは自尊心の問題。


何はともあれ怒りやいらつきを表明しないほうが得策なのは、
その人のその怒りが別の誰に向けられているという事実を頭ではわかっていても、
人は、目の前にある怒りを自分に向けられたものであるという気になってしまうから。


人の行動律を決めるのは大枠では「怒り」で、怒りのもとになるのは「怖れ」だろう。
人が何かをするのは怖さが源泉にある。


とりあえず言えるのは、怒りは甘え。


怒りの感情はクラウドみたいに、触れた人誰彼に共有される。
その際、怒りはそれぞれの人の身近な不快事案に当てはめられる。


怒りの感情を乗せて主張すると、通る主張も通らなくなる」のは、
怒ってしまうことで「この人は問題を解決したいのじゃなくて、
感情的に許せないというだけなんだ」と相手に思われてしまうからかな。


自分を押し殺したぶんだけ、無意識に他人を憎むことになる。
その怒りは誰にも理解されない。


怒りを生み出すのは簡単で、期待して裏切られるとよい。


怒りの感情をぶつけるのははっきり甘えだが、
感情的に自律していつも淡々とするのは冷たく感じる人もいよう。
それはどうやって生きてきたかという話でもあるよなあ。


コンディションとしての怒りが先か、怒りを誘発する状況が先か、このへんは微妙。


表層としての感情があって、心が勝手に自分の中の感情の原因を探してきてしまう。
それほどのことではなかったはずのものが、例えば非常な怒りの原因にすげ替えられ、
怒りの相手への感情が水増しされる。


怒りは「無視しないでくれ!」という気持ちに近い。


何か不快なことがあった時の自分の心を見ると、
怒り
や不快の表明ってのは自尊心の防衛なんだというのがはっきりとわかる。


怒りって飢えみたいな感じ。求める心。


他人に誠実さを求めて得られないと怒りの感情が生まれてしまう。


的確な怒りは正当性を帯びるので、過激になる。


相手の働きかけによって自分の何かが変わってしまう、
その脅威を感じた時に相手に対して怒りの感情が沸く。
でも、それによって自分は別に変わらないよという確信があれば怒りは覚えない。
怒りというのは拒否反応なんだ。恐れだよな。


人が怒りを爆発させる時は、それが着火原因になったことは間違いないにせよ、
着火するギリギリになるまでイライラを別件によって溜め込んでいたということ。
なので人は怒っている他人に比較的冷たい。


怒りと悲しみは非常に似た感情だよな。どちらも自意識に近いところにある。


怒りが整理されると悲しみに変わる。


怒りも喜びも、感情ってのはとにかく伝染しやすい。
それは人間同士が完全に別れた個体というよりは、
同一空間にいることである程度混ざり合う存在ということの証左であって、
それがために生理的に合わない人には拒絶反応を示したりするんだろう、とか思う。


基本的に自分の怒りは抑えようとしているタイプなので、
それでも表に怒りが出てくる時は、自分の中の防御壁をいくつも越えて表出した、
理屈として強固な怒りであることが多く、わりと激しい。


人を動かすものは怒りなのだなあ。


受けた攻撃を人は忘れることは出来なくて、許すか許さないかの話になる。
許すにしても、そこで相応の感情的負荷がかかる。
その負荷の分は別のどこかにぶつけることになる。
そうやって巡っていく。怒りは受け止めてはいけない。


怒りは、発した時点で自分自身もやけどをしている。


人が人に対して怒る時というのは、突き詰めると
「この人は自分のことを尊重していない、軽く見ている」と感じられる時だと思う。
だから逆説的に、怒りやすい人は軽く見られがちになる。


対人関係で起こる摩擦、怒りってのは、誰かが何らかの形で引き受けることになる。
建前では問題ないと言ってても、感情レベルでお互い納得していないと
そのモヤモヤは澱となってお互いに溜まる。
力関係が違い過ぎると弱い立場の人間が溜めることになる。
口でだけ綺麗事を言っても駄目。


対人関係、特に仕事における感情として、
怒り」と「嫉妬」は何かを完全に支配している気がする。怒りと、嫉妬。


怒りはたいてい、その本来の姿から歪んだ形で表出する。


人が怒るのは自分のルールを乱された時。
そこにおいて善意か悪意かというのは確かに違うけれど、
きっと違う種類の怒りがあるだけなんじゃないか。


自分が譲歩することで関係の平和が保たれてると思っているタイプは、
過剰な領域侵犯に非常な怒りを示す。
すでに相当な譲歩を普段から行っていると感じているからだ。
これが「穏やかな人だと思ったら怒ると怖かった」のメカニズムだと思う。


人に怒りをぶつける人は自分の何かが思い通りにいかないと感じている人だし、
人をdisっている人は欲求不満の行き場を探している。


誰かを憎むことについても、その相手は単なる状況の奴隷かもしれない。
その人は憎むに足らない小物かもしれない。
怒りを憐憫に変換させることは、割と効果的かもわからない。


怒りの解放の形が、怒りでないものにできるとすごくいい。


怒りという感情は面白い。なぜ面白いのか考えてたんだけど、
いま思ったのは、怒りが「最も人にコミットする感情」だからではないか。


悲しみという感情の正体は、抑圧された怒り


世の怒りの何割かは「ラクしてんじゃねえよ」ってことだと思う。


怒りの感情でもっとも厄介なのは、その正当化である。


怒りというのは、あなたのルールを誰かが乱したときに発生する」




by shinobu_kaki | 2017-02-14 19:58 | ライフ イズ

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