広告批評「この国のこれからのカタチ」より

 日本という地球上のある地域は結構好きだと言える。だが、日本国に対してはなんら愛着を持たない。そこに住む人が平和で健康な生活を送れるのであれば、日本が例えば中国の一部になろうとも一向に構わない。憲法第九条という美しい歌のようなものと共に、軍隊を放棄し、丸腰のまま統合されてもいいと本気で思っている。ただし、その時には誰も殺されてはいけない。殺されないために政治家が要る。
 そもそも私は私であって、日本国民であることを望んでいるわけではない。ただ縁があってこの土地に生まれたに過ぎない。平和で健康な暮らしが保たれるのであれば、私はこの島を誰が管理しようとも構わない。
 改憲によって、軍隊の保持がまかり通るようになると、日本にたまたま生まれ住んでいる人たちが、殺す確率が高くなる。殺される確率が高くなる。これはおかしい。グロテスクではないか。改正することによって、争う場所に出向く事になるとは。
 憲法を改正するのなら、より死が少なくなるようにしてほしい。それは自衛隊の放棄しかない。護憲は極めれば軍隊を持たない事、丸腰を選ぶこと。だからこそ有能な政治家がどうしても要る。九条が好きな人は、丸腰のまま白旗を挙げる覚悟で望むべきだ。あの美文には、相当な覚悟が盛り込まれている。平和な気分ではなく、血の色の上に書かれてある。
 私には素晴らしい友人や愛する妻と子供もいる。たかが国のために戦争になど絶対行きたくはない。国のためには死ねない。誰かを殺したくはない。
 藤代冥砂(写真家)


宇宙人が地球を攻めてくればいいのに。
そうすればきっと地球はアッという間にひとつになる。
国の代表たちが恐ろしい時間をかけて無駄な議論をする必要がなくなる。
どうせ自分たちの利益のことしか考えない、お互いのばかしあいなんだから。
その昔の薩長戦争は今の九州と四国の人たちが殺し合ってたわけだけど、
今では考えられないこと。黒船が日本の視界を変えた。
この辺で、地球単位の視界へ変えたほうがいいんじゃないかな。日本のカタチも大事だけど、「日本が、日本が」って考えるのって、そもそも他の国を僕らが疑って心配になっちゃうからじゃないかな?それ自体が小さかったなって、未来の僕らが思うようになる。そう信じてる。たとえ宇宙人が攻めてこなくてもね。
 多田琢(CMプランナー)


 昨年11月末に発表された自民党による新憲法草案を受けて、「広告批評1月号」が特集した各界の著名人(雑誌の性格上、クリエイターが多い)65名によるメッセージ。中でも個人的に共感というか、興味深く読んだのが上の2人の手になるそれだった。
 写真家ながら、藤代冥砂の書くテキストはかなり好きである。宝島社「InRed」でエッセイの連載も持っているよね。「美しい歌のようなもの」「この島」といった詩的な言い回し。一人称が「私」なのも不思議な格調を生んでいて良い。
 多田琢の最初の2行にすっかり共感する。「ウチソト論」的に考えると、境界線を引くポイントによって敵味方の概念というのはまるっきり変わってくるものだからだ。
 「他人」がいなければ「自分」もない。少なくとも自分の「名前」は必要でなくなる。しかし、本当にこの世が自分ひとりだけになってしまったら、「自分」は自らの中に対話者を求めて分裂してしまうだろう。生きていけなくなってしまうだろう。人間とは本来「対話」が必要な生き物なのである。
 「人間は共通の敵の前でもっとも強く結束する」というのは誰の言葉だったか。藤子・F・不二雄のSF短編だったかもしれない。そして多田琢のロジックは結局「敵」のポジションが地球単位から宇宙単位に変わっただけで、実は問題解決になるような発想ではないんだけど。まあ、宇宙人が攻めてこなければいいという話ですね。
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Tracked from TOKYO HAPPYL.. at 2006-02-05 14:26
タイトル : 国家と国民と、ときどき歴史論
 日本という地球上のある地域は結構好きだと言える。  だが、日本国に対してはなんら愛着を持たない。  そこに住む人が平和で健康な生活を送れるのであれば、  日本が例えば中国の一部になろうとも一向に構わない。  憲法第九条という美しい歌のようなものと共に、軍隊を放棄し、  丸腰のまま統合されてもいいと本気で思っている。  ただし、その時には誰も殺されてはいけない。殺されないために政治家が要る。  そもそも私は私であって、日本国民であることを望んでいるわけではない。  ただ縁があってこの土...... more
Commented at 2006-01-14 05:34 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by mk-happyman at 2006-01-14 14:45
> 「人間は共通の敵の前でもっとも強く結束する」というのは誰の
> 言葉だったか。藤子・F・不二雄のSF短編だったかもしれない。

ある宇宙船にとてもヤな奴が乗り込んでて、
ソイツはいろんなシャレにならない騒ぎを引き起こすんだけど、
実はその男は、クルーの結束を固めて安全運航をするために
船主に雇われた「嫌われ屋」だった…、 って話ですよね?
あの短編漫画は、僕も不思議に印象に残っています。


しかし、この国家と自分の関わりという「お題」は面白い。
僕もなんか書いてみようっと。
僕はナショナリストだから論調は違うでしょうけど(笑)。
Commented by shinobu_kaki at 2006-01-14 16:33
>鍵さま

なんか書いてることがよく分からないよ!(笑)

ではまた。
Commented by shinobu_kaki at 2006-01-14 16:36
>mkさん

mkさんもお読みでしたね、SF短編集。
そうそう「嫌われ屋」。

>僕もなんか書いてみようっと。

楽しみどす。
Commented at 2006-01-14 20:01 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by shinobu_kaki at 2006-01-14 23:36
>鍵さま

いえいえー。
雨、さっき止んだみたい。
明日は晴れるってね。
Commented by えいこ at 2006-01-15 21:04 x
> 「人間は共通の敵の前でもっとも強く結束する」

すごくよくわかります。
無理矢理にでも生け贄として共通の敵を作っておいて、元々つながりの薄い仲良しグループの輪を強引に保つ。

その「生け贄」の順番が自分に回ってくるのを恐れるから、すごい牽制のし合いがあったり…。
私の周りでは女性にその傾向が顕著なんですが、男性にもあるんでしょうか?

そもそも誰かの悪口で盛り上がる絆なんておかしい、とは思うんですが
そんな綺麗事だけではやっていけないんですよね。
ああ…。
Commented by えいこ at 2006-01-15 21:08 x
ダブル投稿スミマセン。

「嫌われ屋」で思い出したんですが、私の通っていた小学校では「いじめ」がほとんどなかったんです。
というのも、軽度知的障害のある一人を集中的に排除・攻撃していたからで。
善悪を別として考えるなら、「嫌われ屋」としての彼女の存在は本当に大きかったと思います。

彼女がいなかったら、きっと派閥もいじめも相当あったかと思うと
なんとも複雑な気分になります。
Commented by shinobu_kaki at 2006-01-17 12:12
>えいこちゃん

差別のあるところにはいじめはなく、
いじめのあるところには差別はない。

同じような属性の人間が一箇所に集まる「学校」って、
ちょっとラットの実験場的だともいえるよね。
物騒な見方ではあるけれど。
Commented by mk-happyman at 2006-02-05 15:01
ちょっと時間が経ちましたが、トラバいただきました。

エラソウなことをつらつら書きましたが、
好き勝手言えるのも、世の中が平和だからなのですねぇ…。

ビバ、平和。
Commented by shinobu_kaki at 2006-02-06 11:55
>mkさん

すごい熱の入った長文、拝見しました。
なんとも重いテーマではありますが、
一度口角泡を飛ばして語り合ってみたいところです。
by shinobu_kaki | 2006-01-13 17:41 | shinoBOOKS | Trackback(1) | Comments(11)

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