森博嗣「洒落とギャップ」

 しかし、英語や中国語で韻を踏むことが非常に難しいように、
日本語で洒落た駄洒落(あえてこう表現せざるをえないが)を
操ることもまた適度に難しい。相当に語彙が豊かでないとできない。
国語教育において、洒落の教育をしないのは、
やはり難しすぎて教えられないからだろうか。
 詩の面白さとは、音やリズムにしばられるために、
普段は絶対に用いない言葉を持ってくることで生じるイメージ的なギャップにある。
これをジャンプする快感が、詩を読む醍醐味だ。

森博嗣「MORI LOG ACADEMY」より


ほとんど詩など読むではないけど、
非論理的に、でも「なぜか」完成(「成立」でもいいが)していると思わせる文章は、
まあなんというか右脳にキます。軽くトリップ。
森氏言うところの「ジャンプ」という言い方でもいい。

ちょっと違うけど、ひとつの文字をじっと見ていると、
文字が文字に見えなくなるという現象が生じる。
いわゆる「ゲシュタルト崩壊」というやつだが、
凝視して「形」にとらわれてしまうことで、
伝達記号として認識していた文字の「意味」が解体されるのである。

逆に、そうではないのに徐々に形に見えてしまうもの、というのもある。
「にしこり」が松井秀喜の顔の顔に見えるとか、
「でつ」がスヌーピーに見えるとか、
「濃」がゴジラのシルエットに見えるとかいうアレだ。
これらについてここではあまり触れないが、本当にたくさんある。
「ぷ。」がボーリングしてる人に見えるとかね。

なんの話だかよくわかんなくなっちゃったけど、
えーと、荒川静香にみんな群がりはじめましたね。
ちょっと気持ち悪いくらいに。
でも、マスメディアは「旬」をしゃぶりつくすもの。
金メダリスト・荒川の消費がスタートしました、って感じだ。
しゃぶりつくして飽きられるまでいくのだろう。
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Commented by kuro at 2006-02-27 19:30 x
文字と形ばなし、
土曜だか、養老孟司がTVでも言ってたけど
(吉田直哉さんとの対談本の『眼から脳へ抜ける話』でも同じこと話してたが)、
漢字に音と訓がある(複数の読み方が存在する)状況は、
漫画を読んでるのと同じである、と。

ひとつの画(漢字=象形文字)にルビふって読んでるのと等しい、
ということで、
そういう意味では、「『濃』のゴジラ」とかは、
もう一歩先を行ってるというか、
そういう読み方を定義しちゃえば、それもアリというか、

でもハリウッドゴジラではなくて、東宝ゴジラだやねぇ>濃。


子供の頃(小学校2-3年当時)、自分で書いた「さ」という字が、
とんでもなく猛烈に、
「高知市民病院の眼科の先生(女医さん)」に似てて、
親にそれを報告したらヘンな目で見られた憶えが。

…だから眼科へ通ってたのか(愕)
Commented by shinobu_kaki at 2006-02-27 20:08
>kuroさん

たしかに漢字って「絵」だよね。
まあ平仮名もそういうとこありますけど、
おかげで広告コピーなんか、
「字面の見た目のバランスが」とかいう
一見意味不明なクリエイティブ基準が存在したりする。

「さ」に似てる女医さん…
「さ」に似てる女医さん…

なぞすぎる。
なんかあれですか、「さ」の下の膨らんでるとこが口で、
横棒は目の周辺とかそういう感じですか。

…やばい、顔に見えてきた…
眼科いこ。
by shinobu_kaki | 2006-02-27 12:56 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(2)

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