2006年 03月 14日
SかMかの判断基準。
SとMに、完全に分かれていると思います。
だいたい、人さまがテレビで野球やサッカーをやってるのを
あんなに熱心に観ることができる人たちのことを
ぼくはさっぱり理解できなかったんです。でも、
「あいつらMだったんだ!」
とわかってすっきりしました(笑)。
ぼくはMじゃないから、人が動くものを鑑賞していると、
なんだか腹が立ってくるんです。
Mというのは「主導権がないことで気が楽になる」
という人たちです。
Sは主導権をどうしてもとらなければ気がすまなくて、
Mは主導権が自分にあると心が安らかにならない、
という差があると思います。
岡田斗司夫(作家/株式会社オタキング代表)
「ほぼ日刊イトイ新聞」より(一部編集しています)。
確かにサッカーやら野球やら、
わりと夢中になって見るかも。
でも、いわゆる「あるチームのファン」という感覚が長いことわからない。
そういう意味で、一体化して応援してしまうのは、
サッカー日本代表チームだけである。
ワールドカップ予選などをエキサイトしながら観戦するたび、
自分の中のナショナリストの部分を揺り起こされてる気がしていた。
これはちょっと新鮮な感覚だったけれども。
そういったことすべてを、「サドーマゾ論」に当てはめてみると、
果たして自分はどうだろうか?
上記の、「主導権がないことで気が楽になる」
という部分で計るならば、僕はMの要素を持っている、ということになる。
何かを人にゆだねるのはそれほど苦ではないからだ。
絶対に譲れない部分以外の細かい決断は、
心の底からどっちでもいいと思っているフシがあるため、
へろへろとお任せしてしまう。
楽だからだ。(←きっぱり)
そーゆー意味で、少なくとも僕はリーダータイプではない。
小気味良く決断をする人に憧れないでもないが、
なにしろ心の底からどっちでもいいと思っているため、
堅牢たる意志を持って決断することがはばかられるのである。
例えば昼ごはんをカツライスにするか、ロースカツ定食にするかとかね。