2006年 08月 26日
映画「ゆれる」インタビュー
まずは一言。
「狭かったです」
…は?
「劇場が。渋谷の『アミューズCQN』で観て来たのですが、
初めて行く映画館でした、小さなシネコンというか、
こじんまりとしたシアターが3つ併設された映画館で、
中でも『ゆれる』を上映したシアターはなんと60席だったのです、
これではすぐに満席になるだろうと思いました」
これからはこういった形式の上映館が増えるでしょうけどね。
で、映画「ゆれる」はどうでしたか?
「うーん、くろさんからの事前情報や、みかちのレビューなどを読むにつけ、
これは身につまされるだろうと思って観たわけですけれども、
やはり非常に身につまされました、映画を観た以上の感慨があった」
やはり、兄弟のいらっしゃるシノブさんにとって、
兄弟もの作品というのはかなり響くものがある、と?
「いえ、まあそれもそうですけど、…ちょっと整理しますが、
この映画には大きな軸が2つあると思うのですが、
ひとつはもちろん兄弟の対比ですよね、こちらがメインテーマです、
もうひとつは田舎と東京という生活圏の対比、これの印象が強かった」
田舎の閉鎖的な空間に閉じ込められた兄、ということですか?
「劇中にもはっきりと兄の口から『監獄のようだ』と語られていますけどね、
田舎というのは、これは経験から言うのですけど、やはり恐ろしく閉鎖的です」
閉鎖的、というのをもう少し詳しく。
「なんというか、新しいものや刺激が求められていないのです、
日常はとにかく変わらずに過ぎて行くべきものであって、
先の見えた安定というのが良しとされる土壌が強烈にある、
これはつまり、退屈でつまらない未来が見えてしまうということで、
未来に希望を持ちたい若者にとっては単純に堪え難いものです、
単純に可能性、つまり人生の選択肢が限られすぎている」
被害者となる幼なじみの女の子も、東京へ出たいと言うことを口にします。
「いやあ、リアルな感情だと思いますよ、正常な感覚だと思いますけどね、
もともと人間の脳というのは刺激を求めるように出来ているんです、
そりゃあ色々考えてしまうと思いますよ、そんな暮らしに耐えるには、
ある種の空虚さを身にまとうしかないのではないでしょうか、
分かりやすく言うと『あきらめる』ということですけど、
伊武雅刀演じる父親ですが、彼は見事に空虚で田舎の家長的な人でしたよ、
何かあるとすぐに小さい権力を振りかざして怒鳴る、あれです」
キャストはどうでしたか。
「何と言っても香川照之ですね、私は怖かったですよ」
怖かった?
「あの兄は、主に前半でしたけれど、
ちょっとしたモンスターに見えました、
モンスターというか、笑顔の下で何を考えているのかわからなくて、
普段制御している部分が時折爆発という形で顔を出すところが。
ひたすら自分を殺して生きて来た人は怖いですよ、
面会室でオダギリ演じる弟に対して突然キレるくだりがありますが、
あのキレる理由とキレ方が非常にリアルで、とても良かった」
マジメ一辺倒できた人間の怖さというか。
「抑圧された人間は怖いものです、ストレスの恐ろしさは計り知れません、
あと、この作品のすべての開始点、つまり吊り橋のシークエンスですが、
あの女の子が兄の差しのべた手を拒絶しますね、
確かにあの兄の動きは女性にとってキモいものがあったかもしれませんが、
もともと彼女は兄に好意を寄せてはいなかった、
田舎に迎合することを選んで生きている兄を拒絶した彼女は、
兄だけでなく同じように田舎で埋もれようとしている自分を拒絶したのです、
彼女の前に存在する2人の男性、すなわちあの早川兄弟は、
残酷なほど鮮やかなコントラストとして彼女に映ったのだと思いますよ」
キム兄も熱演でした。
「女性に対するアタックに関する尋問のくだりですが、
辺見えみりとの件がありますから、
彼のリアルな部分と重なっておかしかった、
しかし検事に彼というのがなんともミスマッチで良かったのかもしれません、
是枝映画『誰も知らない』にも彼はタクシーの運転手として出てきますが、
あの時は『…マジで』とぼそっと話すくらいで長いセリフなどなかった、
それが今回は検事ですらからね、長セリフもちゃんとある、
異様な存在感がありましたね、良いのか悪いのか分かりませんが」
クライマックスはやはり、オダギリ演じる弟の証言でしょうか。
「考えてみれば、すべて弟がコトの引金になっているんですね、
たとえば吊り橋の事件に関しても、
彼女を介しての兄の弟への嫉妬があったわけだし、
この話において落とし前をつけるのは弟でなくてはなりません、
そうでないと、映画を終わらせることができないのです」
映画のキャッチコピーである、
「あの橋を渡るまでは兄弟でした」についてですが。
言葉を素直に受け取るとすれば、
『あの橋を渡ってしまってから私たちは兄弟と呼べる関係ではなくなりました』
となるわけですが、嫉妬や裏切りにまみれて、
法廷で争う最悪の関係になってしまったとしても、2人はやはり兄弟でした、
だいたいあの光景を目撃してからずっと、
弟は兄をかばおうと無言を貫いてきたわけですからね、
それは兄を助けようというスタンスにほかなりません、
もちろんそこには保身の感情もあったわけですけどね」
弟であるオダギリの心の「ゆれ」が映画のキモ、だと。
そして虚偽と真実との間のゆれ、でしょうか、
あと、これは改めて思うのですが、
法廷での最後の証言で、弟は兄を裏切った形になります、
しかし兄は弟の秘密、女の子との事件前夜の事実を感づいていながら、
それについては何も言いません、兄は弟を当事者にすることなく、
自分一人ですべてをかぶろうとしたフシがあります、
ですから『兄はやはり兄だった』ということではないでしょうか、
幼い日のフィルムに刻まれた、弟の手を引く兄、
いくら大きくなって人生の華やかさにおいて差が生まれたとしても、
どれだけ嫉妬や羨望などの醜い感情にさらされて、
2人の仲がいびつなものになったとしても、
『兄はやはり兄だった』ということが結論だったのかもしれないですね、
兄というのは、有形無形に弟を守るというか、
いつも兄がちょっとだけ損をしてあげるものなんですよ」
そういえばシノブさんも兄でしたね。
「まあ、一応…という感じですが(笑)
そういった意味では、兄失格かもしれないですね。
良き兄であろうとも思いませんけど。
兄弟はホント難しいですよ」
兄弟の付き合い方の秘訣ってあると思います?
「ある程度ほっとくことですかね。…おそらく、ですが。
でも、説得力はありませんね(笑)」
『ゆれる』
原案・脚本・監督:西川美和
出演:オダギリジョー/香川照之
伊武雅刀/新井浩文/真木よう子
木村祐一/ピエール瀧/田口トモロヲ/蟹江敬三
上映時間:119 分
製作年/国:2006/日本
配給:シネカノン
公式サイト:http://www.yureru.com
渋谷アミューズCQN、新宿武蔵野館ほか