新潮社「波」 対談「『本当の私』というフィクション」


内田 自分ひとりだとバランスとれないんですよ。相手が要るんです。
武道を30年やってわかったことの一つは「味方と敵」というスキームに固執して、
自分を活かすために相手を殺すという発想をしている限り、
安定的な状態にはたどりつけないということです。
目の前にあるものとバランスをとらないと始まらない。

 剣道の達人も同じことを言っていました。
要するに「受け」が重要で、相手を倒すことが重要ではない、と。

内田 武道は「弓馬の道」と言いますでしょう。
刀槍の技術はすべて弓と馬の間にある。的は動かないし、襲っても来ない。
うまく的に当たらないとしたら、それは敵が外部にいて妨害しているからではない。

 敵は内側にいる。

内田 そうです。自分自身の身体を完全に統御しようという欲が
自分自身の身体統御を妨げている。

 的を受け入れない限り、絶対に当たらないわけですな。

内田 的と射手が別のものである限り限界があります。同じように馬も敵ではない。
それを統御できればパフォーマンスは劇的に向上する。
的や馬を相手にしているときは「味方と敵」というスキームはもう成り立たないんです。
「人間ならざるもの」とのバランス形成を通じて因習的な自我―他者の図式を
解体すること、それが武道に求められているものだと思います。

(中略)

 私のところにも「自分探し」のために座禅したいという人が来ます。
(註:南氏は禅僧)
座禅の最大の目的は万事を休息すること。これが難しい。
人は休みと称して遊ぶ、明日から仕事をするために休む。
万事を休息するとき、「自分」を勘定に入れてはいけない。
「自分」というものは、探すことができるものではないということが
わからないと何も始まらない。

内田 典型的な「自分探し」は、仕事を辞めて、家を出て、
海外を放浪するというかたちを取りますね。
どうして自分が何ものかを知ろうとするときに
誰も自分を知らないところに行くのか。
それは「自分探し」というのが、「探す」ではなく「創る」ことだからですね。
外部評価を排除して、自分の思うままに自分自身を造形したい。
人間は世界に対していつも遅れています。
すでに誰かの子どもであり、すでに名づけられており、
どこかの共同体の成員であって、自分では決められない。
その世界に対する「遅れ」を逆転させたい。
他人の先手を取って、「私の設計図は私が書く」というのが「自分探し」でしょう。
それは不可能な企てだと思うんです。

 「自分」というのが自分の手に負えるものだと思っているのが
大きな誤解ですよね。「自分」は自分の手に負えない。


新潮社「波」11月号 
内田樹×南直哉 対談「『本当の私』というフィクション」より





出版社発行のミニブック、講談社が「本」なら新潮社は「波」。
講談社のやつのほうがカジュアル。新潮社のはちょっと文士的かな。
対談者は「うちだたつる」と「みなみじきさい」、
片や武術派大学教授、片や禅僧という組み合わせ。



【追記】講談社の「本」、いつも欲しいときに見つからないので、
定期購読の申し込みをしてみました。年間購読料900円。昼ごはん並みだ。
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Tracked from 布教師寮@Net at 2006-11-28 21:50
タイトル : 昨今のいじめ問題に想う...(8)
ネット上を介して、久々に参学師の熱い語りを目にいたしました...。 ... more
Commented by オレンジ将軍 at 2006-11-10 11:11 x
私、最近内田樹氏にはまっております。
既にお読みかもしれませんが、
「知に働けば蔵が建つ」がよかった。
Commented by shinobu_kaki at 2006-11-10 13:14
>将軍さま

>「知に働けば蔵が建つ」がよかった。

いや、知りませんでした。
ブログもあるんですよね。
読んでみようかな。
by shinobu_kaki | 2006-11-09 19:29 | shinoBOOKS | Trackback(1) | Comments(2)

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