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増島みどり「In His Times 中田英寿という時代」

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ほとんど一息に読んだ。
中田英寿はすでにあらゆるメディアで語られている感があるので、
そういった意味ではとりわけ新しい情報のある本ではない。
ただ、中田英寿がプロサッカー選手を引退し、
世界をめぐる旅から帰った後にまとめられた一冊なので、
中田英寿という一個人の、サッカー界における
ほとんどすべての時期をカバーした形になっている。
その意味での価値はあるのかもしれない。

僕が個人的に興味深く読んだのは、
98年フランスW杯のチームについて語られた箇所だ。
この大会で中田は、レギュラー最年少ながらチームの中心として君臨した。
つまり、この時の代表は「中田のチーム」だったのである。
とりわけ当時の中盤を構成した3人、
すなわち20歳の中田英寿、24歳の名波浩、28歳の山口素弘。
彼らはそれぞれ、98年代表の中盤について特別な思いを抱いている。
「世界にもまったく引けを取らない、最高のトリオだった」
と考えているのだ。それが面白かった。

中田英寿について、山口素弘のコメント。
「僕は、あの2人とあの中盤を形成できたおかげで、
いまもパスに込められたメッセージというのを
深く読み取れるようになったと思っている。
一昨年に、新潟でチャリティーマッチが開催されたとき、
久しぶりに名波とプレーして楽しくて、
ああ、ヒデがいればなあ、と思っていた。
そう思える場所を自分が持てたのはヒデのおかげで、名波の力。
いまも変わらない誇りだ。
ヒデが残してくれたのは、フィジカルも強くはない、
テクニックだって最高峰ということではない、
しかし意志の強さがサッカーを変え、時代を切り開くということだった」

中田英寿について、名波浩のコメント。
「いまも頭の中に描ける、完璧なトライアングルだった。
本当に、何千、何万のパスを交わしたか分からない。
お互いの妥協できるところを何とか見出して、
それを磨いていく楽しさはいまでも覚えている。
彼が日本サッカーに教えてくれたのは、フィジカルの強さであり、
ボールスピードを上げるという世界への視野であり、
勝つためのメンタリティというものだった」

山口素弘について、中田英寿のコメント。
「モト(山口素弘)は本当に上手いし、モトが一緒にいてくれたからこそ、
僕も、名波も安心して前に出られたというのは、今でも強く思っています。
本当に感謝している。」

そして名波浩についての、中田英寿のコメント。
「サッカーにおいて、そして代表という特別な部分において、
アイツ(名波)以上に僕と同じ感覚でサッカーをやっていた人間、
一緒にやれた、というか、意思が通じた人間というのはいない、
と僕は思っています。
普通サッカーのコミュニケーションの場合は、
アイコンタクトがあったのちにパス、となりますよね。
だけど、彼との場合は、そんな確認はしなくとも、
あ、ヤツなら次はこういうプレーをするだろうな、
って予測の上で動き出すことができた、本当に唯一の人間で、
だからやっていて本当に面白かったし、
名波とは、アイコンタクトさえしなかった。
彼とプレーするのは、僕の中では本当に一番楽しくて、
相手を見ないでバックパス、後ろに流してしまっても必ず彼がいて、
普通はそんなことなかなかできないんですが、
彼とは本当に簡単にね、そんなパスをすることができました。
あれ以上に、コンビというものを一緒に組めた人間はいないって、
今も思っている。98年から後、プレーを一緒にする機会がなくて…
彼もひざの怪我をしてしまったのを本当にすごく残念に思っていました。
もし、名波が一緒にいてくれたら、代表のサッカーも、
僕のプレーもまた全然違っていたんだろうな、
とずっと思っていますけどね、今でも。
あの中盤は、僕の中では一番楽しかった中盤でした。
『キャプテン翼』ではないけれど、僕は翼だ、と思っていたら、
名波はいつも岬くんのような存在で、必ずヤツがいる、という風にね。
意思の疎通なんて考えることもなかったから」

「僕は98年W杯の世代の人間」と言ってはばからない中田英寿。
彼は29歳でを引退してしまったが、
名波と山口は今年も現役としてプレーしている。
by shinobu_kaki | 2007-02-17 20:53 | shinoBOOKS

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