【再録】風の歌を聴け/真夜中のレース。

ふと、なんとはなしにしばらくあっていない友人のことを思い出した。
仙台の2年をともに過ごした同級生で、彼も東京に住んでいる。
会おうと思えば会えるはずなのだが、お互いに忙しいこともありなかなか会えない。
というか、いつでも会えるという気安さからか連絡もずいぶん取っていない。
何年か前にこのブログに書いた以下2つのエントリは、
どちらもその友人とのことを書いたものである。突然だが懐かしくなったので再録。
学生時代は金もなくさしたる展望もなく、ただただ膨大な時間だけがあった。



風の歌を聴け

その夏僕たちは19歳で、梅雨どきのカー・ウオッシャーのように絶望的に暇を持てあましていた。2人で25mプール一杯分のビールを飲んだり、気の利いたバーでピーナッツの殻を床に放り投げたりしてやりすごすには、当時の我々の経済力はあまりに貧弱と言わねばならなかった。高校の時の誕生日に友達から「ノルウェイの森 上・下巻」をプレゼントしてもらった僕は、その頃から村上春樹を貪るように読んでいたが、ともに19歳の夏を過ごしたその友達は読書の習慣があまり無く、まだ村上春樹を読んでいなかった。

これは前フリである。

学費を稼ぐために昼夜問わずアルバイトに明け暮れた我々は、朝に起きられなくなり午前中の授業をさぼりがちになった。よく考えると本末転倒なのだが、夜のバイトは比較的わりが良かったのだ。それがたとえ、立ちっぱなしの警備員の仕事だとしてもだ。彼とは一緒に色々なアルバイトを経験したが、中でも出色だったのはイベントのアルバイトで、車で遠方に出かけては着ぐるみを着て子供たちの前でウルトラマンショーを披露する、というものだった。レンタルの着ぐるみはそのときどきで違っており、イカロス星人だったりレッドキングだったりした。レッドキングは高いので、だいたいいつもイカロス星人が多かった。バック転の出来るアルバイトは優遇され、「バック転手当て」として日給に500円が加算されるシステムだったが、バック転の出来るものは当時誰もいなかった。アルバイトの中ではなんとなく不文律的に配役が決まっており、それは主に体格によって決められていた。つまり最も体格が良いというか「デブ」が怪獣に入るのだった。僕はショッカーで、友達は最もスリムという理由でウルトラマンだった。なぜ主役がウルトラマンなのにショッカーがいるのか不可解だったが、我々は発言権のない無力なアルバイトで、しかも僕はショッカーだった。ショッカーにはセリフすら無かった。

アルバイトの無い日には、彼の部屋で漫画を読んだり、テレビゲームの「スーパーフォーメーションサッカー」をしたりして過ごした。その頃の我々の娯楽として「映画」という選択肢は皆無で、映画を見るくらいならば原付で30分ほどの夜の海に行って、煙草を2〜3本ふかして帰ってくるほうがよっぽど上等な暇つぶしのように思われた。だからその夜、突然にビデオを借りてこようという展開になったのはとても珍しい事と言わねばならなかった。かと言って2人とも特に観たい映画があった訳でもない。超大作はたすきに長く、アダルトビデオは帯に短かった。これはどうだろう、と僕は一本の映画を提案した。邦画が気楽だろうと思ったのかも知れない。あと大きな理由としては、原作の小説を僕が読み込んでいたという事だった。

すなわち大森一樹の「風の歌を聴け」

原作とは言うまでもなく村上春樹のデビュー作としてのそれであり、あの俗物的なほどにスタイリッシュで散文的なテキストが、どのように映像化されているのか興味があった。キャストも気になった。ほとんどの人は、小説を読むときに登場人物の顔を独自に思い浮かべ、一度決まったイメージを覆すのはよほどの事と言えるのだが、例えば僕の「鼠」のイメージと大森監督の「鼠」のイメージはどのように違うのか。また、「僕」はどうか。そんな事を思いながら我々は、6畳(4畳半だったかもしれない)の部屋を暗くしてビデオを見始めた。


「完璧な文章など存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」








…ちがうううう

「僕」の小林薫はまだしも「鼠」の巻上公一のルックスは違った。あまりにイメージと違った。そして何より「三番目の女の子」が「室井滋」というのはあんまりだ、と思った。ある程度予想できた事だが、小説ではぴたりと決まっていたセリフも実際に耳にすると違和感だらけだった。僕は頭を抱えていたが、一緒に見ていた友達はごく普通に集中して見ているようだった。僕は辛抱して最後まで見ることにした。

「…違うんだ。こんなつもりじゃなかったんだ」見終わって僕は言った。
「小説はとてもいいんだよ。もっとクールだし、評判にもなった。この映画で村上春樹という作家の事を嫌いになって欲しくないんだよ」
満塁のチャンスにぶざまに凡退したバッターがチームメイトに言い訳するように。ゲームを決めるPKを外してしまったサッカー選手の弁解のように。

「いや、なかなか面白かったよ」

彼は言った。
意外な返事に僕はとまどったが、楽しめたならそれでいいと思った。僕はなんというかそういう人間なのだ。一緒にいる人間が楽しめたかどうかを気にしてしまうのだ。そして彼は(これは今になって思うのだが)、非常に懐の広い人間だった。

実際、彼はこのあと村上春樹に傾倒することになる。小説よりも先に映画から入った格好だが、順番はどうでもいいだろう。数ヶ月後、彼は嬉しそうに僕に言った。
「いま、『羊』を読んでるんだよ」

それから13年が経った。
我々が19の夏を過ごした地である仙台で彼は披露宴を催し、僕も東京から駆けつけた。天気はあいにくの雨だったが、チャペルからその後の披露宴まであたたかい祝福に満ちた良い式だった。ホテルも立派だった。僕は友人代表としてスピーチを頼まれていた。式が進行し、スピーチの時間になった。緊張していた。
「それでは友人代表のかた、スピーチをお願いいたします」
司会者がゆっくりと言った。
「スピーチをくださるのは、新郎の学生時代からのご友人で、
新郎曰く『僕はこの人の影響で本を読むようになった』という…」

彼は笑って、こっちを見ていた。

(了)







真夜中のレース。

運転免許を持っていない。ほとんどの人たちは高校の卒業前に取得してしまうであろう車の免許だが、僕はちょっとした事情からその期を逸してしまったまま今に至っている。東京に住んでいる現在は、車を運転できないことの不便を特に感じることはない。幾重にもはり巡らされた地下鉄は東京のどこへ行くのにもスムーズな移動を約束してくれているし、ポイントとなる街から街へは頻繁にバスが通っているし、緑色の環状線は3分おきに日夜休みなく回り動いている。そして恵比寿という都内でも家賃のけっして安くないエリア(僕が住んでいる部屋はたいしたことはないのだが)に住んでいる僕にとって(筆者註:2005年の春先まで僕は恵比寿に住んでいた)、高い駐車場代を負担しなくて済んでいるのはむしろメリットともいえる。もちろんデメリットはある。例えばガールフレンドをドライブに自分から誘うことができない。遠出の際に、交通手段として電車以外の選択肢がない。旅行先でレンタカーを借りることもできない。なにより運転に疲れた友達の代わりにハンドルを握ることが許されない。

高いビルから東京の街を見下ろすとまるで血管のように道路が伸び広がり、ゆっくりと数珠つながりに走る車は赤血球を連想させる。道路は都市の動脈だ。そして車が多すぎる東京は少々血行不良に見える。ここを走るのはストレスだろうな、と思う。だがそれも運転したことのない人間の物言いかもしれない。手の届かない葡萄に対してすっぱいと負け惜しみを言う童話のきつねのようなものだ。都内ではスピードを出すこともなかなか難しいだろうが、車の運転は基本的に気持ちがいいだろう。スピードを上げて車を飛ばす行為は楽しいはずだ。車が発明されたのも移動効率だけが考えられたわけでは絶対にないと思う。ある日誰かが「スピードを出すのは気持ちがいい」と発見したのだ。スピードは間違いなく快楽だ。

運転免許がないと書いたが、車を運転したことがまったくないかと問われれば、それは「ある」と答えなければならない。それも、公道ではなくサーキットで。嘘ではない。普通免許のない僕は、サーキットで車を運転したのだ。ほんの一度だけ。

それはやはりアルバイトに明け暮れていた19歳の頃の話で、僕は友人のHと一緒に仙台のとある警備会社のアルバイトに登録していた。接客などとは違って退屈で面白味のない種類の仕事だったが、不定期にできる気安さとギャランティが週払いというシステムが貧乏学生にはありがたかった。仕事は朝から夕方までか、夜から明け方までの2種類の時間帯があった。内容は交通整理から会場の警備まで何種類かあったが、たいていは話相手もなく一人か二人で立っているだけの孤独な仕事だった。しかしその日、Hが持ちかけてきた仕事は少々イレギュラーと言わなければならなかった。僕とHの二人で、レース前夜のサーキットの深夜警備をすることになったのである。

仙台には大きなレースが行われるサーキットがいくつかあるが、我々が警備をしに行くことになったのはその内の一つだった。サーキットは飛行場と同じで騒音回避のために山奥にあることが多く、今回のそのサーキットに行くのにも市街地から車を一時間ほど走らせなければならなかった。僕は前に書いたように免許がなかったので、Hの運転する車の助手席に座ってサーキットに向かった。途中のコンビニで食事を買い、ぼそぼそと他愛もないことをしゃべりながら、ちょうど暗くなった頃に到着したのだった。ぽつんとした管制塔と、巨大な駐車場。山に囲まれた静かなるサーキット。あたりは静まり返り、聞こえてくる音と言えば山鳩と虫の鳴き声だけだった。我々は出入口付近のチェックを行い、指示されていた仕事としていくつかの確認をした。それが終わればもう不審者が入ってこないように備えておけばいい。簡単な仕事だった。我々は車のリクライニングを倒し、雑誌を読み、腹が減ったらコンビニの弁当を食べた。人のいないサーキットは本当に静かで、侵入者がいたとしてもそれは人間というよりも動物くらいなのではないかと思われた。

いったい僕が言い出したのかHが持ちかけたのかは定かではないが、あるひとつの提案がなされた。それは「せっかくだから車の運転を練習しよう。しかもサーキットを走ってみよう」というものだった。まさにミイラ取りがミイラというか、こういう事をする輩が来ないようにチェックをするはずの仕事のはずだったのだが、まさに我々が侵入者になったのだった。車は警備会社のもので運転初心者におあつらえ向きなオートマ車である。条件は申し分なかった。邪魔する者は誰もいない。僕はHから簡単に運転の仕方を教わると(アクセル、ブレーキ、ギアチェンジ)、恐る恐るサーキットの中へと入って行った。助手席には教官H。深夜なのでライトをつけないと何も見えない。車のライトに照らされた前方に浮かび上がるコースは、思いのほか幅が狭く細く感じられた。運転はまったくの初めてなので、何度もエンストした。それでもHは根気よく教えてくれて、車はじわじわと誰もいないサーキットを進んでいった。ぶつかるものはないとはいえ、真夜中の道でスピードを上げるのは結構な恐怖だった。だが僕は徐々にだが感覚を掴みはじめていた。何周かしたあたりで教官Hは言った。
「じゃ、一人で走ってみますか」

夜が明けようとしていた。漆黒だった夜空が深みのある青のグラデーションに変わっていく。山の端が薄むらさきに染まり、一日の始まりに新鮮な空気が吹き込まれたような、そんな爽やかな時間。朝。さっきよりはコースがよく見える。明るさのせいなのか僕の目が慣れたせいなのかは分からなかったが、爽快な気分だった。直線ではスピードを上げてみた。今まで知ることのなかった気持ちの良さを感じた。自転車やバイクとはまた違う、大きな物を自分が操っているという感覚。車の感覚。そして第一コーナー、サーキット独特の急カーブ。僕は慌ててハンドルを切ったが、スピードが出過ぎていたのだろう、音を立ててタイヤがスリップし車はわずかにコースアウトした。道にスリップの跡がついたかもしれなかったが、かまわず走り続けた。僕は可笑しくなった。明け方の無人のサーキットを警備会社の車がよちよちと走っている。ぜひ上空から見てみたいと思った。それはさぞかしチャーミングな光景に違いない。

「面白かったよ。すごく」僕はHに告げ、車を駐車場に戻した。夜はすっかり明けていた。仕事の時間が終わろうとしていた。僕は数時間後に訪れるはずの、このサーキットで行われるレースとその賑わいを思った。そして僕が第一コーナーに残したであろう、あのスリップの跡の事を思った。早朝だったが陽射しは強く、十分に暑かったが空気は澄んでいた。まだ交通量の少ない真夏の道を、Hの運転する車は軽快に街に向かって走っていった。

(了)
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Commented by Hira at 2007-05-24 14:42 x
「風の歌を聴け」って私が一番最初に読んだ村上春樹です。姉が色々読んでて、それに続くのが嫌でピンボールとこれをまず買ったの。青春時代ですね~。
Commented by shinobu_kaki at 2007-05-25 17:40
>HIRAさん

今読むと少々(というかかなり)鼻につくんだよね。
でも大好きだったな。村上春樹は一種の洗礼だよね。踏み絵的。

>姉が色々読んでて、

ロシア文学とか、稲垣足穂とか?(笑)
Commented by HIRA at 2007-05-29 17:24 x
ちが~う!羊をめぐるとか世界の終わりとか・・・
Commented by shinobu_kaki at 2007-05-29 21:53
>HIRAさん

なんだ、てっきりロシ(略)か稲(略)のことかと…。
by shinobu_kaki | 2007-05-23 12:52 | ライフ イズ | Trackback | Comments(4)

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