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不機嫌な神様。

「いよいよジーコですね」
「ジーコだね」
鹿島アントラーズのお膝元、茨城県水戸市のビジネスホテルに我々はいた。前日の夜に東京から茨城入りしていた我々、すなわち僕と部長は、早起きをしてバイキングの朝食をとりながら、今日このあと神様に会うのだという事実に興奮していた。白いご飯と納豆、具のないみそ汁に冷めた焼魚。コップ一杯の牛乳と、同じくオレンジジュース。和食をチョイスした僕に対して、部長はトーストにマーガリンを塗って食べていた。なぜ我々が茨城で朝食をとっているかというと、その時僕の所属していた会社でジーコがらみのキャンペーンを手掛けることになったからだった。手掛けると言ってもプランニングは代理店が行い、我々プロダクションは新聞やらチラシやらの制作物をこしらえるのだ。そのための撮影がその日、某カーディーラーのショウルームで行われようとしていた。ジーコに会えるのだ。

20代前半の時期に僕が所属していたそこは7人ほどしかいない小さな制作会社だったが、サッカーが好きなのは僕とその部長くらいで、ほかの社員はスポーツに関心があるとは言い難かった。まだBSなどが普及していない時代であり、僕と部長はフジテレビの「セリエAダイジェスト」を見た翌日に、パルマ所属のコロンビア人FWアスプリージャがいかに人間離れしているかとか、そのアスプリージャをまともに振り切ったクロアチアのヤルニが凄いとか、パルマのゾラはPKよりもフリーキックのほうが得意らしいぞとかを話題にしていた。実はそれまでたいしてサッカーを熱心に見ていない僕であったのだが、世の中の一部の人々と同じようにロベルト・バッジオとロマーリオが出ていた94年のアメリカW杯の洗礼を受け、いっぺんにサッカーに傾倒してしまったのだった。ブルガリアのフリスト・ストイチコフとロシアのオレグ・サレンコが得点王を分け合ったあの猛暑の大会だ。そしてアメリカW杯と時期を同じくして、日本に「Jリーグ」という本格的なプロリーグが発足した。当時もっともメジャーなチームはヴェルディ川崎で、ブラジル帰りのスター三浦カズ、「カリオカ」ことラモス璃偉、武田や北澤などがいた。開幕戦でそのヴェルディを破った名門日産の横浜マリノスは、木村和司やエースのディアスのルックスと同様に強さのわりには地味で、ブラジルの香りがなんとも派手なヴェルディに比べると脇役としての印象は否めなかった。そしてもうひとつ注目に値するチームがあるとすれば、「やせっぽち」という名前を持つブラジルのスーパースター、ジーコが作り上げた鹿島アントラーズがそれだった。ジーコは弱小だった住友金属に対してチーム環境レベルの根本から改革に着手し、前評判の高かった他チームを押しのけて王者ヴェルディとチャンピオンシップを闘うまでに育て上げた。またジーコはプレイヤーとしても出場し、中盤左寄りのポジションから長谷川や黒崎、またはジーコが自ら連れてきた頭髪が部分的に不自由なブラジル人ストライカー、アルシンドにため息の出るようなスルーパスを出し続けた。動き回る足はなかったが、いまだパスに関してジーコは超一流と言わねばならなかった。そんなこんなで今回舞い込んだめずらしくメジャーがらみの仕事に、「サッカー好きらしい」というだけで僕に白羽の矢が立ったのだった。僕はラッキーだった。前日から仕事が立て込んでいた僕は徹夜明けのまま、茨城へ向かうスーパーひたちの中でジーコにとってもらうポーズのスケッチを数枚書きなぐった。

結論から言うと、僕のジーコに関する印象は「不機嫌」である。
ショウルームでの撮影中、そして別室でのボールを使った撮影に及んでも、ジーコの笑顔は驚くほど少なかった。カメラマンからの笑顔のオーダーにはなんとか応えるものの、基本的にはいつも不機嫌そうにしていた。以前噂で、誰かが二子玉の河川敷でサッカーボールで遊んでいたら偶然ジーコが現れて、一緒にボールを蹴って遊んだという話を聞いたことがあるが、そこから連想されるフレンドリーなブラジル人スターの面影は、この茨城県での撮影の場では望むべくもないようだった。彼は疲れているようにも見えた。実際、気が進まなかったのだろうと思われるエピソードがある。ジーコの衣装に関してジャージとスーツとニットの3種類を用意していったのだが(スーツはキャラクターのフォーマルな展開として必要だった)、スーツに関してジーコサイドから現場で突然「NO」が出たのだ。通訳を介して理由を聞くと

「ワタシ普段スーツ着ない。着ないもの着て撮影するの嘘つき。
 嘘つきダメ、ワタシそれ出来ない」


ということだった。代理店の営業は頭をかかえていたが、神様がスーツを着ないというのだ。いったい誰が着せることができるだろう?結局スーツ案は抜きで撮影は進められた。

神様が自発的に笑ったのはリフティングの撮影の時だった。それまで車に寄りかかってだとか花束を持ったりだとかボールと関係のない撮影が続いていたのだが、ボールと戯れるカットになるとジーコの表情は明らかに和らいだ。見事なリフティングに皆が拍手すると、ジーコは照れて笑った。ジーコの眉間の縦じわの数だけ流れていた重い空気が、ふわりと優しくなった瞬間だった。コインブラ氏はボールを持った瞬間「ジーコ」に戻るのだ。「やっぱりボール持つとイキイキしてますね」誰ともなく言った。実にその通りだった。

長くなったけれど、ジーコの話はこんなところだ。特筆すべきものは何もない。ジーコより、その時のカメラマンのキャラクターのほうが忘れられないくらいだ。まる一日かかった撮影が終わると、遠巻きに眺めていたショウルームの社員や撮影スタッフがサインをもらいに群がった。もともと僕はサインというものが欲しいと思ったことのない人間なのでジーコのサインも例外なく欲しくなかったが、サッカー好きの友人から是非にと頼まれていた。見たことがある人はよく分かると思うが、ジーコのサインは驚くほど簡単である。「なめとんのか」というほどシンプルだ。ちなみにペレも負けじとシンプルである。友達が「サイン用に」と送り付けてきたサッカーボールに、神様はサインをしてくれた。サインをするという行為に関してはジーコはとてもフレンドリーで、笑顔が絶えることはなかった。記憶の限りだが、頼まれたサインにはすべて応えていたように思う。僕はジーコのサインボールを手に、東京行きの電車に乗った。長い一日が終わったのだった。

あまりCMに出ないジーコの、「ひとりででき太」に次ぐ規模のものになるはずだったキャンペーンは、あまりぱっとせずに終わった。どちらかというと茨城メインの展開だったらしいから、僕の目に入っていないだけかもしれないが、そのあたりは良く分からない。僕は友達に約束通りジーコのサインボールを送り、それについてかなり感謝された。それからしばらくの間、僕のデスクの引き出しには、仕事用として印画紙にコピーされたジーコのサインが数十枚入っていることになった。サインを欲しくない僕が、最もたくさん神様のサインを持っていた。いまや日本代表監督となり、少し頭髪が不自由になったジーコをテレビで見るにつけ、すでに10年近い過去になった茨城での一日を思いだす。あの不機嫌な表情と、ボールを持ったときの子供のような神様の笑顔を。
by shinobu_kaki | 2004-07-02 00:55 | さかー考

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