オサム

オサムはいつでもカッコ良かった。

足も速かったし、バスケも上手かった。
ただでさえ人の少ない地域の小さな小学校であり、
僕たちの学年はさらに極端な過疎状態ともいえる状態で、
男子が11人、女子が7人というありさまだったが
(1クラスではなく1学年が18人だった)、
その希少価値の高い女子にも、オサムはよくモテた。
ケンカっぱやいのも小学生時代には勲章だ。
実際オサムの右の眉毛には、いつかのケンカで出来た傷があった。
父兄参観日にはめったに現れないオサムの親父は、
噂では鳶の仕事をしているらしく、酒飲みで、いつも顔を赤くしており、
なんだかヤクザっぽくて怖かった。
そのくせオサムのお母さんはやけに若くて美人で、
いま思うと明らかに水商売のそれなのだが、
授業参観で断トツに目立つ見目麗しい女性を母に持つ、
それだけでオサムはクラスにおいて羨望の的と言ってよかった。

僕はオサムが大好きだった。
入って間もない小学校の授業が終わると僕は、
小高い丘の上の団地のそばにあるオサムの家に遊びに行った。
田舎の子供にとっては、ウサギのように野を駆け球を追いかけ、
喉が渇いたならそのへんの店でジュースを買う、
それだけで十分過ぎるほどの満足感を味わえた。
オサムの家は決して裕福とは言えなかったので、
家にオモチャと呼べるものはそんなになかったが、
中途半端に儲かっていたウチにはオモチャは無尽蔵にあり、
今にして思えばあきれるほど子供だましな電池式のレースゲームや、
5体が合体して巨大になる超合金のロボットなどを、
僕はオサムの家まで持ち寄って遊ぶことが多かった。
美しいお母さんが時々ジュースを振る舞ってくれたが、
怖いヤクザなお父さんをオサムの家で見かけることはほとんど無く、
それはオサムによると
「仕事が終わるとお酒を飲みに行っちゃうんだ」
ということだった。
仕事が終わったなら、どうしてお母さんや子供のいる家に
まっすぐ帰ってこないのだろう、
小さな僕はそんな事を思っていたが、
まだ「酒を飲む」という事が想像すらできていなかったのだ。
小学生には無理もない話だった。

ある時オサムがウチに遊びに来たときに、事件が起こった。
オサムが帰った後に気付いたのだがオモチャが一つ無くなったのだ。
僕はそれについては何とも思わなかったし
(実際そんな高価なものじゃなかった)、
証拠は無かったが嫌疑はオサムに掛けられ、
うちの親はそれきりオサムを家に呼ぶことを許さなかった。
「あの子は手癖が悪い」
それがウチだけではなく、同じクラスの親達の統一見解らしかった。
僕は友達が大人たちに泥棒を見るような目で見られている事を悲しんだが、
オサムと遊ぶ事をやめはしなかった。
僕たちは相変わらず近所を駆け回っては、アイスクリームを買い、
泥んこになった足を運動靴ごと水で洗い合ったりしていた。

さかのぼると、オサムとは幼稚園から一緒だった。
ウチの学区には「幼稚園」というものが当時無かったので、
正確には保育園だ。保育園に3年間通って、そのまま小学校へ上がるシステム。
前にも書いたように僕らの年は非常に人数が少なかったので、
同年代は必然的に同じ空間・同じ教室で学ぶことになった。
実に小学六年まで数えるとその年月は9年に及ぶ。
だから僕は当時の同級生の事は、かなり色濃く思い出すことができる。
少年期の9年というのはそういう歳月だ。

幼稚園の僕はよく怒られた記憶がある。
いろんな事が出来なかったのだ。
例えばスキップだ。
クラスみんなで先生の弾くオルガンに合わせ、
教室をスキップして回るというカリキュラムがあったのだが、
僕はスキップというものをした事がなく、
一人だけぎこちなく跳ね回り、先生に指摘された。
「どうして出来ないの」
どうして、と言われても出来ないものは仕方ない。
結局その場ではうまく出来ず、家に帰って親に教えてもらったのだった。
めでたくスキップをマスターした僕は次の日朝一番で保育園に行き、
「先生、見て見て」
と幼稚園のホールをスキップで掛けまわった。
ちなみに朝一番で登園したのはその日が最初で最後で、
僕は遅刻魔であり、なにかと問題児だったと言えた。

ある日、僕は先生に怒られた。
何をしでかしたのかは覚えていないが、
それまででもっとも激しい先生のカミナリだった。
罰として子供式禁固刑、すなわち押し入れに閉じこめられたのだ。
その事をよく覚えているのは、
その時一緒に押し入れに入れられたのがオサムだったからだ。
オサムも何かにつけてやんちゃで叱られるタイプで、
禁固刑は僕は初めてだったがオサムはそうではなかった。
泣き叫ぶ僕らを先生は無理やり押し入れに押し込め、
外から鍵を掛けた。押し入れは当然真っ暗だ。
子供にとって暗闇はとてつもない恐怖を感じさせる。
僕はいっそう激しく泣きわめき(僕は泣き虫だった)、
トビラを激しく叩いた。
当然トビラはびくともしないし、先生は返事もしてくれない。
僕はなおも叩き続けた。暗闇は永遠のように感じられた。
すると押し入れの奥に座ったままのオサムが、
ぽつりとつぶやいた。
















「シノ(僕のあだ名)、やめれ。無駄だ















…アンタCOOL!

という語彙はさすがに当時は無かったが、
彼はこの瞬間日本一クールな幼稚園児に違いなかった。
オサムははじめから泣いてなどいないようだった。
この一件は、当時を思いだした小学生の僕によって後年クラスに披露され、
「オサムはクールなやつだ」という風評として(たった18人にだが)広まった。
僕がオサムを好きだったのは、この件があったからかもしれなかった。

ずいぶん月日が経ってから、オサムは若くして結婚したと聞いた。
そしてすぐ離婚してしまったとも。
それ以降、オサムの噂を聞くことはない。
どこかで元気でやっているといいと思う。
そして、いつか一緒にビールでも飲める時が来るのを祈っている。
懐かしい昔話に笑いながら。
トラックバックURL : http://kakiwo.exblog.jp/tb/746744
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by いづみ at 2004-07-26 21:30 x
シノブさんて、一体どこ出身ですか??
過疎って。。。。
僕は泣き虫だった……っていうのがすごく可愛くて気に入りました。
私も子供の頃は泣き虫でした。本当ですよ!!!
Commented by shinobu_kaki at 2004-07-27 00:45
トーホグ地方の某所です。>出身
お酒が美味しくて、美人の多い。
ウチの周りは
井上陽水が主題歌を歌った篠田正浩の映画、
「少年時代」みたいな感じ、
……じゃないYO!
あんなに田舎じゃあないけれども。
結構広々したとこです。

ふふふ、いづみさんも泣き虫だったですか。
僕は今でも、映画観た時とか泣きますね。
「わんわん」ではなく「はらはら」という感じで。
Commented by みかち at 2004-07-28 16:04 x
遅レスだけど。
小っちゃい頃、母親の逆鱗にふれ、
「もうあんた達なんて帰ってこなくていい!!」と弟ともども締め出しくらったことがあるのだが。

泣き叫び、ドアを叩いて許しを乞う弟を尻目に
私はそのままぷいとどこかへ行ってしまったそうな。

それ以来、「あんたに締め出しは通用しないコトが分かった」と言っていた母親を思い出しました。

私は小っちゃい頃からそーゆーかわいくない子だったみたい。
Commented by shinobu_kaki at 2004-07-28 22:09
君もCOOLな子供だったんだね(笑

なんか分かる気もするが。
小さいころから自分があったというか。

君から聞いた小さい頃の話では、
「サンタがいない事をさらりと親に言われた」
エピソードが可笑しかったねえ。
by shinobu_kaki | 2004-07-26 16:45 | ライフ イズ | Trackback | Comments(4)

移動祝祭日


by Shinobu_kaki
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31