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マチュピチュ。

泣きつかれてスヤスヤと眠る娘の横に、
コトリと横になっていたら、
ほんのわずかの間だけれど眠ってしまった。

起きると、午後8時。
仕事の電話を一本入れ、コーヒーを沸かして、
TSUTAYA DISCASから昨日届いたDVDを開封する。
「有頂天ホテル」と「セント・エルモス・ファイアー」。
どちらにしようか迷ってから、
「セント・エルモス・ファイアー」をMACで再生。
つけていたテレビを消そうと思いチャンネルを変えたら、
NHKでペルーの遺跡・マチュピチュについての番組が始まった。
映画をとりやめ、テレビを見ることにする。

マチュピチュ。
かねてからの世界遺産ブームにおいては、
フランスのモン・サン・ミシェルと並んで、
ちょっとしたシンボルのような扱いで世間に露出した。
僕も一時期、マチュピチュにものすごく興味を持って調べた事がある。
学生の頃だから、もう15年ほども前である。仙台にいた頃だ。
当時はインターネット端末も無かったから図書館へ通った。
時間だけは裕福なほどに持ち合わせていた頃である。

クスコの大聖堂。色鮮やかなピサックの日曜市。
オリャンタイタンボにサクサイワマン。黄金の仮面。アタワルパの幽閉。
食い入るように古い図版の載った分厚い資料を眺めていた。
有名な石組みに代表されるインカの技術レベルは高く、
そのくせ、ピサロ率いるたった200名足らずのスペイン軍に、
あまりにあっけなく滅ぼされた。インカ側は非武装だったと言われる。
インカは文字を持たなかったので、文献も残っていない。
情報伝達には、キープと呼ばれる縄の結び目が使われたそうである。

「空中都市」と呼ばれたマチュピチュは、
1911年、アメリカ人ハイラム・ビンガムによって発見された。
なのでマチュピチュ遺跡へと至るつづれ折りの道は、
発見者にちなんでハイラム・ビンガム・ロードと呼ばれている。
意外なようだが、大都市クスコよりも標高はずっと低い。

当時は、この謎多き空中都市に、
ぜひ一度行ってみたいと思ったものだった。
自分のいる日本からすると、まさに地球の反対側である。
残念ながら今は当時ほどの情熱はなく、
正直に言ってマチュピチュへは行けても行けなくても構わない。
ただ、突然に興味を持った15年前のその時は、
初めて写真を見た瞬間に、何と言うか、
物理的にビリビリ来るくらいのインパクトを感じたのだ。
あれは何だったのだろうか。
その時、何とかしてお金を貯めて、
実際に地球の裏側へ行っていたならどうだろうか。
そうすれば、よくも悪くも何かが違っていたかもしれない。
今となってはそれも無益な想像に過ぎないのだけれど。

それにしても、写真を見るたびにクラクラするようなあの感覚。
めまいがするほどのデジャヴ、に近かった。
今ではそのように感じる事はない。
これもヒリヒリするような若き感受性のなせる業、
ということだろうか。
by shinobu_kaki | 2008-09-13 20:56 | エウレーカ!

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