明け方グラデーション。

ジブリ映画の「耳をすませば」ラストシーンで、
男の子が女の子に高台でプロポーズするアレじゃないけれど、
明け方という時間帯はなかなか清涼で好きである。

村上春樹は短編の中で朝をこのように書いている。
「朝の光、コーヒーの香り、人々の眠た気な目、
まだ損なわれてはいない一日…」

(短編集「カンガルー日和」より)
村上特有の「一日は損なわれるもの」という前提が切ない。

例えば休日などにすごく早めに眠りについてしまい、
夜明け前のまだ薄暗い時間に起きたことが何度かある。
明らかに早過ぎる目覚め、しかし十分に足りた睡眠。
かすかに、しかし重層的に耳に入ってくる、
車の走行音やクラクション、それに人々の暮らしの音。
これらのいわゆる「世界の音」はほとんど聴こえず、
ものすごく静かに感じられるのがこの時間だ。
何度過ごしても、あれはなかなか不思議な感覚だ。
まるで静かな水の中にいるような気になる。
窓の外は夜明け前の蒼色につつまれているので尚更である。

明け方の時間を表す言葉というものがある。
僕は知らなかったのだが、
それらの言葉は時間帯によって細かく分けられているようだ。


【あかつき】夜中を過ぎて朝になるまでの、まだ暗い時間帯。

【しののめ】明け方に近づきながら、なお明けやらぬ時間帯。

【あけぼの】「あかつき」が明るんできた時間帯。

【あさぼらけ】「あけぼの」とほぼ同じ時間帯、あるいは、少し朝に近い時分。

「ビミョーな言葉研究所」より


この4つは、上から順に時間が経過していくわけである。
僕なんかは「あかつき(暁)」と「あけぼの(曙)」に
それほどの差があるとは思わなかった。
2つとも太陽そのものを指す言葉のような気がしているがどうか。
「あかつき」のほうがなぜか鋭い、瞬間的な感じがする。
「あけぼの」は横綱の印象もあるのかもしれないが、
もっと温和でたおやかなイメージがある。
「しののめ」は「東雲」と書くから、
太陽よりも空全体の状態を指すのだろうか。

上記の定義が正しいものであるならば、
一言に「明け方」と言えども、
いずれも実際に太陽が顔を出してからの時間ではなく、
その前の状態についての言葉のようである。
これはちょっと意外だ。

「明け方」が完全に明けた時間、
太陽が顔を出す時間は「あした」または「つとめて」と言うらしい。
「あした」は現代的なニュアンスでは「今日の次の日」だろう。
「つとめて」は有名な清少納言「枕草子」に登場する。
「春はあけぼの」というアレである。

小さい頃からなぜだか国語のみ得意だった僕だが
(中学以降から理数系はかなりヤバかった)、
それでも古文・漢文はなかなかハードルが高く難儀した。
枕草子、徒然草、蓬莱の玉の枝、那須与一。
授業ではこれらの文章を順繰りに朗読させられるのだが、
一度、歌うように節をつけて読んでしまった事がある。
そういうものだと思い込んでいたのだ。
後ですぐに、普通に読めば良いのだということに気付き、
校舎の窓ガラスを壊してまわりたいくらい恥ずかしかった記憶がある。
ほら、ウン十年経った今でもこうして覚えているくらいだからね。
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by shinobu_kaki | 2008-09-18 21:15 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

移動祝祭日


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