論理について、毒舌について。そして米原万里


たぶん、才能がある人はロジックは要らないんですよ。
おそらく直観で全部できちゃうと思うんですよ。
でも、そうじゃない人はやっぱりロジックで、
それを見える形にするか隠す形にするかは別として、
ロジックがないとやっていけないですね。

日本の学者はロジックが破綻しているのが多いんです。
基本的には羅列型が多いんです。
それでヨーロッパの学者は非常に論理的なんです。
現実は、世の中そんなに論理的じゃないんですよ。
論理というのは何かというと、記憶力のための道具なんですよ。
物事を整理して、記憶しやすいようにするための道具。

覚えるためには論理が必要なんです。
論理とか物語とか、そういったものがないと、
大容量の知識を詰め込む事はできないんですよ。
だから、論理が発達するんですね。

米原万里(ロシア語会議通訳・作家)
「米原万里対談集」より


なんで先のエントリのようなことを書いたんだろう、
と自分で考えてみたんだけど、きっとこれだな。
今、米原万里の対談集を読んでいるからだ。

彼女自身は2006年に癌で死去しているのだが、
著作、ことに対談集などを読むにつけ、
生前のような生き生きとした言葉のやりとりを感じる事ができる。

米原万里は相当な毒舌家として知られた人だ。
こういうタイプの人は個人的に苦手なタイプとは思う。
僕は元来、自らを「毒舌家」とする人がどうも好きになれない。
毒舌をエクスキューズに、言いたい事を言ってずるいとすら思ってしまう。
「愛ある毒舌」などと言っても、言葉の刃は言葉の刃である。
しかし米原万里の経験・見識はリスペクトせざるを得ないし、
文章や発言は深いうえに広く、何よりすばらしく面白い。

毒舌とは言ってみれば他人とのコミットメントのひとつの形で、
結果として傷つけあう事になったとしても、
相手と関わろう、関係しようという積極的な姿勢がある。
僕なんかは臆病で傷つくのが怖いタチなので、
「本当につらかったし嫌な思いをたくさんしたけど、良かった」
というパターンはないね。嫌な事は嫌な事で残ってしまう。
だから摩擦を避けようとする傾向にあると思う。
こういうのは生き方の違いと言ってしまえばそこまでになる。
僕だって時々、もっと鮫のように何でも飲み込んで、
要らないものだけ吐き出しゃいいじゃん、
小骨がささったっていいじゃんと思わないでもないが、
食べたくない、食べられないものを食べた時の不快感が嫌で、
なかなか一度すべて飲み込む、ということができない。
鮫だからありつける美味、というのもあるかも知れないのだが。


上の言葉は「言葉を育てる 米原万里対談集」というタイトルで、
さまざまな人との対話を収めた本の中から拾ったものだが、
この発言についての対談の相手は糸井重里だ。
他の人との話を読み比べてみて思うのだが、
糸井重里は相手の言葉を引き出すのが上手だよね。

他にも面白いエピソードが多く、オススメの一冊。
エリツィンとゴルバチョフの面白いほどの対比とか、
ロストロポーヴィチの天才エピソードとか。
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by shinobu_kaki | 2008-09-30 14:19 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(0)

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