2009年 01月 15日
河出書房新社「文藝」
出版社のお荷物的な存在に成り果てた文芸誌の復興を試みる、
というテーマのエピソードがあった。
売れない文芸誌の名は「絶叫」。
編集者は五日市さんという文学を愛するおじさんただ1人。
そこに配属されたボクサー上がりのバイト・主人公のカンパチが、
五日市さんを焚きつけ…という話である。
作中、カンパチや兄貴分の青梅、目白、本占地、宮さんらが集まって、
「絶叫」をリニューアルして売るための企画会議が行なわれる。
グラビアページを設けたり漫画とのコラボレーションをしたりという、
文芸誌としては画期的というか、やり過ぎ感のあるものだった。
結果として売り上げは微増したものの作家や出版社の上層部には大不評。
「文学を漫画なんかと一緒に載せるなんて」という怨嗟の声が上がった。
つまり、リニューアル計画は内外の意味で失敗したわけである。
なぜ失敗したのか。
河出書房新社から出ている「文藝」という雑誌がある。
僕は買ったことはほとんどないのだが表紙はいつも目に留めている。
特集によっては中をめくって面白そうならば買うこともある。
そして、特に表紙について思うのだが実にデザイン性が高い。
余白を大胆に使いつつ下半分に色調の整えられた写真が配され、
見出しのコピーは写真の中に白抜きでたたみ込まれている。
全体としてはそれなりにモダンなトーンの中に、
クラシックなタイポグラフィの「文藝」のロゴが心地よい存在感を放っている。
文芸誌云々に限らず、あまたの雑誌の中でもけっこう評価する表紙である。
というか僕の個人的な好みと合致するんですね。
そして僕が特集によっては買いたいと思う状況には、
この魅力的な表紙がかなりのウエイトを占めていると思うのである。
ページを開くと写真などの図版は多くなく、
中面はまあ文芸誌といった佇まいではあるのだが、
それは表紙のトーンと極端な違和感を醸し出すものではない。
つまり中は普通に文芸誌でテキストが中心だが、
表紙カバーをキレイにデザインしているというバランスなのだ。
で冒頭の「編集王」の話だが、五日市さんの「絶叫」も、
このくらいのバランスで良かったのではないかと思うのである。
奇抜なことをやり過ぎると王道から外れる。
本人の趣味でもなく似合わない派手な服をムリに着ることはない。
地味なままでもいいから印象的な部分をお洒落にすればいいのである。
さすれば、かの文芸誌の「地味」というネガティブ・ファクターは、
「シック」という名のポジティブ・インプレッションとなり、
爆発的に売り上げをアップすることはかなわないにしても、
自らを見失うことなく美しく生まれ変わることができたであろう。
というわけで「文藝」最新号は柴田元幸です。
「文藝」特集:柴田元幸「小説の読み方、訳し方」A to Z
買わなかったけどネ。(←おいおい)