アルバイト・ヒストリーNo.1

堀江貴文ブログでアルバイトの話題があったが、
そういえば僕も学生時代にいくつかのバイトはしていた。
ちょっと長くなるけど、思い出してみようと思う。

最初は高校卒業前の冬休み、家から比較的近めの横手市のジャスコ(!)で、
総菜をパックしたりラベルを貼ったりする仕事をした。
言うところの「刺身の上にタンポポ(豆菊)をのせる仕事」に近かったかもしれない。
これが今思っても違法なくらいに時給が安く、なんと430円だった。
本家の長男として蝶よ花よと甘やかされ放題で育てられた僕に、
安い時給でこき使われるような水回り仕事が合うはずもないのは明白で、
これは1ヶ月やったかやらないかですぐに辞めてしまった。

次に「books宇宙船」という本屋のバイト。
といっても裏の倉庫のほうで仕分けをしたり棚卸しをしたりする肉体労働。
山あいの村に教科書を運んだりもした。これは時給が500円ちょうど。
最初はたった1人で働いていたが、いつの間にか男女含めて5〜6名ほどに。
みな同い年で、人数が増えてくるとなかなか楽しかった。
高校卒業までの1ヶ月半ほど勤めたが、バイト料に色を付けてくれたり、
ここの社長にはいろいろとお世話になった。
社長はスリムで背が高くて白髪まじりで、文学青年的な印象があった。
ちょうど土田世紀の漫画「編集王」に出てくる五日市さんのようなタイプだ。
「僕が今まで“こいつにはかなわない”と思ったやつは皆、読書家だった。
君も本は読んだほうがいいよ」と配送の車の中で言われたのを覚えている。

2年間の仙台時代。ここからは本格的にバイトと学校の二足のわらじだった。
仕送りはしてもらっていたが、食費や遊ぶ金を稼がなければならなかった。
最初にトライしたのはハンバーガーの「ファーストキッチン」。
今思うとなぜ自分がファーストフードのバイトをしようと思ったのかわからない。
忙しくマニュアルをこなすというタイプの仕事がやってみると性に合わず、
やっぱり三ヶ月ほどで辞めたと思う。あまり印象に残っていない。
派手なグリーンのズボンや、ぴったりした帽子も好きじゃなかった。
次に、仙台の中では高層ビルの部類に入る「ss30」というビルの上階にある、
名前は忘れたけれど和食ダイニングのような店の接客業をやった。
厨房で作られる料理を客に出したり、備え付けのカウンターでカクテルを作ったり。
カクテルと言ってもシェイカーを振るのじゃなく、「ステア」と言って、
ロングのグラスに酒を入れて混ぜるくらいのことをしていた。
モスコミュールを作るとかね。結局ここも三ヶ月くらいだったかな。
ひとり、同い年の先輩でYくんという人がいて彼はテキパキと仕事をこなしていた。
接客業にはああいう人が向いているんだなあと思った記憶があるな。
ずっと食べられなかった生魚がここで食べられるようになったのは収穫。

それから「リコー」という会社の孫受け的な会社で、学習教材の電話営業をした。
夕方からの2〜3時間、家でお父さんの帰りを待っているお母さんに向けて、
まずは無料の教材を送って試してもらい、正式加入へと持っていくのが狙いだった。
これは向いてた。自分でもびっくりするくらい成績が良かった。
最初に電話する時は実に緊張するのだが、2本目からは気にならなくなった。
勤務時間が短い上にひたすら電話し続けている業務なので、
何人かいた同僚と呼ぶべき人たちとは、雑談することもなかった。
1日に何件キャッチできるかというトライアル的なノリでやると楽しかったが、
いたいけな子供にむりやり勉強をさせる片棒を担いでいるという罪悪感に苛まれ、
心のデリケートな僕は、2ヶ月もするとやる気が失せていってしまった。
主任さんに辞めたい旨を話したら「君が辞めるとは思わなかった」と驚かれた。
向いている仕事と続けられる仕事は違うのだなと思ったバイトだった。

仙台では、まだまだ色んなバイトをやった。
長くなったので続きはまた今度。
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by shinobu_kaki | 2009-03-10 16:14 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

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