アンディ・ウォーホルとアメリカの病。

ウォーホルがすごいのは、表現領域を確定できないところなんですよ。
彼には技術力がない、アイデンティティがない、色の調和がない。
何もないんです。でも、それはドラッグカルチャーとリンクしてる。
ウォーホルはそこと自分の作品をうまくかみ合わせたんですね。
で、そのドラッグカルチャーの背景にあるのは、病んだアメリカなんです。
ベトナム戦争だったり不況だったり、そういう人心が乱れていた時代に、
ウォーホルは勢力を拡大したんですよ。
で、日本のドラッグカルチャーは何か、自分たちの文化の中で
一番病んでるとこはどこかと逆算していったら、
ずばりそれはオタク文化であると僕は考えたわけです。

村上隆(アーティスト)広告批評最終号より



アートは時代を映す鏡である。それに異論はない。
例えば、次々と作られる映画のテーマを追って行くとわかるが、
必ずその時代の問題意識とリンクしている。
そして、その表現が本質的であればあるほど作品は人々の心に突き刺さり、
時代のモニュメントとしての地位を明らかにする。
つまり、残るのである。

僕はウォーホルがそれほど好きではない。
それは出会った時代にあまりにも評価が確定されていたという、
一種タイミング的なものも関係しているかもしれないが、
ウォーホルの属性そのものにも原因があるだろう。

ウォーホルは、村上隆が話すように「何もない」くせに、
彼の作ったどの作品を見てもウォーホルにしか見えないのだ。
エゴイズムを動機として作られていないはずなのに、
そのアウトプットには制作者本人が色濃くにじみ出ているのである。

僕が彼を好きではないというのは、もちろんそれが理由ではない。
それは表現者としてのすごさを表すものに過ぎない。
僕がウォーホルを好きでない理由は、その無機質さだ。
ウォーホルの作ったものはどれもケミカルに見えるのである。
それは「病」という言い方でもいいし、
「血が通った感じがしない」という言い方でもいい。
どこかひんやりとしていて、サナトリウムで作られたものみたいだ。
もちろんそれが、あの時代の最高峰のポップと言われる理由かもしれない。
これは好きずきの問題だ。
ウォーホルの作品は、まるで死者の国からやってきたようで、
僕にとってはどこか不気味なのだ。
そこには太陽も、地縁も、生身の人間もいない。何もない。


ところで「広告批評」がついにその任を終える。
実に30年間の歴史に幕を閉じるわけである。お疲れさまでした。
ちょっと、クリエイターのサロンみたいな雰囲気が嫌な時期もあったけど、
やはり重要なポジションにあった貴重な雑誌だったと思う。
最終号はまだ全部読んでいない。ちょっと読んだ中で良かったのは、
大貫卓也さんの「プール冷えてます」(としまえん)誕生エピソード。
すでに有名な話だけど、ここまで詳しいのはなかった気がする。
あらためて面白かった。他も、じわじわ読んで行きましょう。
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by shinobu_kaki | 2009-05-01 11:18 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

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