twitterと「うたかた」の言葉たち。


細切れな情報。
あらゆる進化とは「手軽」になること。
面倒臭さという障壁が少しでも減ること。

twitterにあったテキスト。


 「テキストはできるだけ正確であるべし」という
 誰もが当たり前のように抱いている常識が、
 「紙」という有限で後からの修正が難しい媒体ゆえの縛りでしかないとしたら……。

 俺が思うに、ネットの進化はいずれニュースサイトやブログを滅ぼす。
 あれは新聞や雑誌を知っている世代の代替物であって、
 なにもネット上で「新聞や雑誌の真似事」をする必要はない。
 情報はあそこまで厳密でなくていい。
 今のニュースサイトやブログでも、まだ厳密過ぎる。

 最終的にネットのマスメディアは、
 膨大な噂話の集合体みたいになるんじゃなかろうか。
 TwitterやTumblrの方向性が極まった感じ。


ブログを書いていても、
思うのは「定型」に縛られずにはいられないということ。
それは「記事らしく」であったり「エッセイ風に」であったりする。
つまり「導入」があり「読ませの核」があり、それっぽい「シメ」を必要とする。
さらに「キャッチーな、あるいはいい感じのタイトル」をつける。
そして、ブログ内のカテゴリを選ぶのである。
こういうのはすべて「定型」であり、縛りと言えば縛りだ。
一種の「編集作業」と言ってもいいけど。
そう、言葉はいつも保守的なのだ。

ネットという場の進化は上記引用文のような方向に向かうと思うけど、
まあ「それだけ」にはならない気もする。
世の中には、ことにネットにおいては正誤性の怪しい情報が多過ぎる。
ただ、マスの情報も実にいい加減だったということが、
ここ数年で非常に露呈しているわけだけれど。

「それだけ」にはならない脆弱な根拠のもうひとつは、
「人は深層では『定型』を求めているものだ」という仮説である。
これは「物語」、例えば映画とか小説のような作品には顕著だと思う。
アバンギャルドなフォーマットの作品というのは、
何しろ理解しづらい、読みづらいものだ。
オイディプスの物語に始まり、あの「スター・ウォーズ」に至るまで、
(ゲームの「ドラゴンクエスト」もそうなのだが)、
昔から存在するひとつの「物語の定型」に沿って作られている。
今ある新しい冒険譚も決して例外ではない。
ある程度の定型というフレームを無視して作られた物語は、
「あれ?これで終わり?」という、違和感という名のストレスを持って迎えられる。

話がずれて行ったけれど、
twitterの中の人のコメントを読んでいると、
「新しい何かが始まっている、始まるかもしれない」という
期待を持っている感じが伝わってきて面白い。
大勢がカフェで話していて、直接話すことはしないまでも、
密やかにその声が聞こえてくる感じ。
タイムラインに浮かんでは消える「うたかた」の言葉たちは、
そのまま実人生の言葉の儚さにも似ている。

(↑とまあ、こーゆー風にキレイな言い方だとシメな感じしますよね。定型、定型)
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by shinobu_kaki | 2009-07-20 11:20 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

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