Stupidity.


鈍い、あるいは知らないほうが幸福、という状況は多いだろう。

喜びの多くは「気づき」の中にある。
知らなかった物事を新しく知る。
そうだったのかと気づく。
それはとても嬉しく気持ちのいいことだ。

知り過ぎているとそのぶん感動は少ない。
例え知らなかったとしても、
先回りして予想するクセがついていると、
新たなものに出逢った時のサプライズは大きくならない。
乱暴に言うと「多少バカなほうが幸せ」なのだ。

ただ、自覚的にバカになることほど難しい事はない。
知っておきながら、
自分に嘘をついて知らなかった事にするのは至難だ。
自転車の運転のように、泳ぎのように、
出来なかった頃には絶対に戻れない。
それは喪失と言えるかもしれない。

さらに自覚というか、自我の問題もある。
「鈍い自分でありたい」と思う時の「自分」は誰?ということだ。
知ってしまっている自分だけが自分自身なのであって、
違う自分を探すというのは幻をつかむような話である。
「自分」とは、他人との関係性の間に初めて浮かび上がるものなのだ。


英→和の翻訳サイトで「愚鈍」と入力すると「Stupidity」と出る。
さらにこれを和→英翻訳にかけると「無知」と表示される。

鈍さとは無知であることだったのだ。
少なくとも、この乱暴で機械的な翻訳サイトの概念においては。
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by shinobu_kaki | 2010-01-03 08:10 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

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