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ここらで広告コピーの本当の話をします -Amazon

※以下、読書メモとして。

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広告の役割とは「モノとヒトとの新しい関係を創ること」
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「言葉を使ってモノとヒトとの新しい関係を創り、商品や企業の価値を上げる」
のが、広告コピーによる広告クリエイティブということ
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「価値」とは相対的なもの。価値は人によって異なる、その人が決める
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“商品”の広告コピーは成立するが、
“カテゴリー”の広告コピーは成立しない
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商品の具体的な情報、競合商品との違いがわからない状態で広告コピーは書けない
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(なぜ日本ではUSPがとりわけ大事なのか)
日本は海外に比べてハイコンテクスト文化である
そのベースには、日本は民族性、経済力、文化度などが近い人が
集まっているという背景がある
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(アメリカやヨーロッパは多様性のある人種・民族構成であり価値観も多様)
なので日本に比べるとローコンテクストな社会といえる
だから人類全部に共通するような普遍的なメッセージをベースにしながら、
「とにかくこれが最高」「これを買っておけば間違いない」といった
おおざっぱな突き抜け感がないと、一部の人にしか伝わらず機能しない
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USPとターゲットの2つが揃わないと、広告のコピーを書くことはできない
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「キャッチフレーズ」と「タグライン」
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ターゲットの関心をキャッチするためのコピーが「キャッチフレーズ」
「定義づけ」に特化したコピーが「タグライン」
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言葉はもともと「約束」するために使われたもの
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ビジュアルにはもともと嘘が含まれる、という共通認識があります。
そもそも絵画とは主観によって誇張されるものだったからです。
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「マーケティング」とは、ひとことで言えば、
押し売りの正反対を目指す企業活動のこと
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コピーを書くにあたって最初にすることは、競合を調べること
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仮想敵を定め、その強さを知ること
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ただの「特徴」とUSPを混同しないこと。
USPとは、あくまで「競合に対しての」優位性
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ターゲットインサイトは見つけるもの。
決してつくるものではない
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2014年度、インサイトを見つけることで最もヒットした商品は
「妖怪ウォッチ」ではないか。
子どもには子どもなりのいろんな悩みがあるのだ、
ということをアンケートで見つけ出し、
その悩みの原因は妖怪が取り憑いているからだ、という設定にした
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タグラインが先、キャッチフレーズが後。
理由は、タグラインのほうが重要だからで、戦略そのもの
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重要なのは、ターゲットに「自分に関係ある話かも」と一瞬で感じてもらうこと。
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ダイレクト広告はそれ自体が店舗である
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ダイレクト広告のキャッチフレーズは「商品を買うことで得られる喜びMAX」で
つくられることが多い
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クロージングコピーとはその場での決断を促すための提案をするもの
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キャッチフレーズを読んで、商品の説明文まで読んでいるターゲットというのは、
すでに買おうかどうか迷っている状態、
そこにすかさず「今だけ、一ヶ月分無料!」とやることで、
購入への最後の心理的ハードルを越えてもらう
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ブランドとは「気持ちいい記憶」である
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ブランドとは、ラベルを見ることでターゲットの中に気持ちいい記憶を
蘇らせる作用のこと
そして、ブランドロゴとはそのトリガー
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脳内麻薬と言われる「ドーパミン」は、以下のような時に分泌される
・楽しいことをしているとき
・目的を達成したとき
・他人に褒められたとき
・新しい行動を始めようとするとき
・意欲的な、やる気が出た状態になっているとき
・好奇心が働いているとき
・恋愛感情やときめきを感じているとき
・セックスで興奮しているとき
・美味しいものを食べているとき
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習慣的に飲食するものが美味いと感じる
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脳が勘違いして過剰にドーパミンを出す状態を「依存症」と呼ぶ
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ソーシャルゲームが流行っているのは、ドーパミンの出し方(出させ方)が
旧来のTVゲームよりも巧妙になっているということ
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ブランドの強さを測る指標は大きく3つ、
1つは、気持ちいい体験の蓄積度
2つ目は、その人がその時、感じている課題との関係の深さ
最後は、ブランドロゴを目にする頻度
その商品を体験した回数が多く、その商品が必要とされていて、
ブランドロゴを通じてその商品のことを思い出す回数が多いほど、
ブランドは強い、ということ
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人は自己実現欲求を満たすために
「商品にくっついてくるストーリー」を買う
商品の購入は目的ではない、
目的は新しい自分。
商品は使用によって得られるストーリーのための手段
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広告が表現しているのは、
「この商品を買うと、あなたの人生にこんなストーリーが生まれますよ」
ということ
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キャッチフレーズを書く時にも、
「シーンをどう表現するか」という意識は大事
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生理的なものだけでなく、
「新しい自分になれる」という気持ち良さもある。
そして、社会が成熟するほどその欲求は高まってゆく
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「お金」とは何か。
19世紀の社会学者ジンメルによれば、
貨幣とは「人間活動が結晶化したもの」。
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お金、商品というのはそれを生み出した人々のストーリーの象徴
僕らはお金や商品をやり取りしながら、
人々のストーリーをやり取りしている
だから、商品にとってはストーリーが大きな支えとなる
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1988年のロバート・B・チャイルディーニ「影響力の武器」
人間の非合理的な決定に影響を与える6つの要素(CLARCCS)
・社会的証明 Comparison
・好意 Liking
・権威 Authority
・返報性 Reciprocation
・コミットメントと一貫性 Commitment/Consistency
・希少性 Scarcity
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世のCDは、コピーや企画を提案されて「まいった!」「負けた!」と言いたい
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きちんと体裁にするのは最後の最後
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2案発想
「信じる」と「疑う」を同時にやる
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「人間は、考えるという真の労働を避けるためなら何でもする」エジソン
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言葉というものの役割は、大きく2つあります。
1つはコミュニケーション。
もう1つは思考の補助です。

たとえば人以外の動物は「夢」を考えることができません。
言葉がないからです。
言葉があれば、目の前の具体だけでなく、
言葉のメタファー(隠喩)を利用することで
存在しない抽象をも考えることができます。
(略)逆の言い方をすれば、人は言葉を超える思考ができません。
思考は言葉に縛られますが、自由に言葉を使いこなせれば、
思考は広がり、人の行動も変えていきます。
つまり、言葉が人の行動を決めるのです。
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ここらで広告コピーの本当の話をします -Amazon

※主に、ですます調の部分は引用、それ以外はメモとして書き付けましたが、
 もちろん内容はほぼそのままの引用です。
by shinobu_kaki | 2014-11-18 16:42 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(0)
あの読み応えに満ちた「昭和史」の記憶も新しい、
文春元編集長の半藤一利による歴史対談集。
タイトルは少々イマイチな「日本史はこんなに面白い」というものだが、
中身は文句なしに面白い。
奥付を見ると、初出は2008年となっている。

まあ、僕も40の声がそろそろという年齢になり、
世間的には「おっさん」と言われる世代ではあるので、
こうした歴史ものについての嗜好が色濃くなってきた感は否めない。
まあ、実際はもっと昔からこういうの好きでしたけど。

全体を通して印象的だったのは、
この半藤という人の頑固な部分というか、譲らないところ。
対談ってのはわりかしスムーズに流すために、
対立をみた意見というのはホスト側が折れたりしながら、
なんだかんだとスルーしてやってくケースがそれなりに多いものだ。
だがこの人は折れない。
例えば聖徳太子の十七条の憲法についての話では、
「和をもって尊しと為す」というあの有名な第一条の解釈で、
崇峻天皇暗殺を蘇我氏と画策した太子本人の自省のあらわれである、
という自説を曲げないんだよね、相手が否定していても(笑)
こういうとこ、読んでて面白かったですね。
非常に人間くさい部分が行間から立ち現れて来る。

内容について個人的に白眉と思ったのは、日本を太平洋戦争へと導く、
その前夜における日本の暗号解読の致命的ミスについての話。
それから「昭和史」にも詳しい昭和天皇の終戦前後の葛藤の話、
後は、まさにさっき読み終わった最後の対談、
丸谷才一との「二十世紀の予言」の話かな。

暗号解読の章でのひどい勘違いとしては、
例えばこんなものがあった。一部抜粋・編集して引用。

半藤 ハル・ノートはアメリカが最後通牒として突きつけて来た文書です。
 そこで問題は「チャイナ及びインドシナからの完全撤退」という部分。
 ここに書かれた「チャイナ」に、果たして「マンチュリア(満州)」は
 含まれるのか。アメリカはだいぶたってから、
 あそこに満州は入っていなかったと言い出すんですんが、
 日本では、外務省も軍部も入っていると思ったというんです。
 戦後20~30年たった頃、東条内閣の国務大臣で開戦に関わった
 鈴木貞一さんという元軍人と話していたら、
 「え?あれ、満州国、入ってなかったの?」と目の前で叫んだんです。
 「鈴木さんは入っていると思ったの?」と聞いたら、
 「日本のリーダーは、みんなそう思っていたよ」と。
 (引用ここまで)

…なんというか、ひどい話である。お粗末に過ぎる。
そうした細部のディテールを確認するという発想がなく、
あるいはあっても実行できないこということが、
国の命運というもっとも大切な部分において、
あまりにも強烈なデメリットとして甘受せざるを得なくなるのである。

いま思うと頭がおかしいとしか思えない話であるが、
当時はこれが現実的な外交の正体だったというのは悲しくなる。
じゃあ現在はどうなのかと言われると、
それはそれで決して上手くやってるという印象はないのですけど。
まあ有事だからね。色んなことが浮き彫りになる。

最後に、石原莞爾の話から始まる「二十世紀の予言」の章を
少し長めに引用して終わりとしたい。

丸谷 石原莞爾が人心を圧倒する理由のひとつとして、
 原子爆弾が登場するという予言が当たったことがある。
半藤 「今にマッチ箱ひとつで都市が吹っ飛ぶような爆弾ができる」。
丸谷 やっぱりすごい予言性ですよね。ただし、
 「満州国をもって五族共和の王道楽土にする」という、
 あの予言は当たりませんでした。
半藤 もう少しで当たりそうだったんですけどねえ(笑)
 (中略)
丸谷 19世紀の最後の年になりますが、アメリカではカーネギーが
 「産業と科学技術の進歩のせいで20世紀には戦争はなくなる」
 という大予言をした。
半藤 面白いねえ。とんでもない大はずれ。
丸谷 さらに1903年12月8日、アメリカのラングリー博士という研究者が、
 ワシントンのポトマック川で見物人をいっぱい集めて飛行機を飛ばした。
 その飛行機は飛び立った途端に川の中へ落ちて、
 ニューヨーク・タイムズは「飛行機はいずれ完成するだろうが、
 それは100万年か200万年後だろう」と書いた。ところが9日後には
 ライト兄弟が飛行機を空に何分間か飛ばしちゃったんです。
 誤報としても凄いし、予言の外れ方としても凄いんです。
 (中略)
半藤 山本五十六の予言もあるんですよ。1940年、昭和15年の10月14日、
 原田熊雄の「西園寺公と政局」の中に出てきます。
 「アメリカと戦争などしちゃいかん。どうしても戦争するとなると、
 アメリカだけじゃなく全世界を相手にすることになる。
 ソ連と中立条約を結んでるが、そんなもの当てにできない、
 ソ連は日本に必ず攻めてくる。日本国土は、特に東京は壊滅する。
 そして俺は長門艦上にて討ち死にする」
丸谷 全部当たっちゃったなあ。
 (中略)
丸谷 私が新潟高等学校で歴史を教えていただいた植村清二先生が、
 昭和20年の4月に、まだ残ってる文科2年か3年の学生10人くらいを前にして
 特別講義をされた。僕は戦争に行ってていなかったんですが。
 最初に黒板の上に「アフター・ウォー」と英語で書いて、
 それから大きな世界地図を書いた。そして、世界はアメリカとソビエトの
 支配下になると、そういうことを論じたんですって。
半藤 はあー。
丸谷 日本は負けるなんてひと言も言わないんだって(笑)
半藤 言わなくてもわかりますよね。やっぱり、見える人には見えるんですね。
 最後に、イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーさん。
 当時は英国国際問題研究所長の予言を。
 1932年に、政治学会で喋ったのが残っておりまして、
 「日米戦は必ず起こる」と。
 とても早い時期から未来を見通していたことになる。
丸谷 すごいなあ。
半藤 「そのときは中国、ロシア、カナダ、豪州などが米国の同盟国として
 日本と戦争する。結果として日本は完全に壊滅する。
 日本が壊滅するだけじゃなく、イギリス帝国主義が没落する。
 何となれば、アメリカと一緒になってカナダ、豪州、ニュージーランドあたりが
 俄然力を持つから、イギリス帝国主義は没落する」
 …全部、怖いぐらいに当たってます。彼の目を通すと、
 イギリス帝国主義が没落するのは、歴史の必然だったということがわかりますね。
丸谷 いやあ、すごいもんだねえ。歴史の勉強は役に立つもんなんですね。
 (引用ここまで)

今こうしてる時にも、今後の世界状況を正確に見据えている賢人は、
きっとどこかにいるのだろう。
あるいはネットにどんぴしゃな文章を書き連ねているかもしれない。
しかし、予言というのは全てが終わった後に「予言」として呼称される。
予言はまだ「予言」になっていないのである。

大地震があってから、予言ブログというものが非常に多く出回った。
確かに日付まで当てたものもあり、それは「予言」や「予知」と呼ばれていた。
ただ上記のそれは、単発で地震を当てるようなものとは一線を画す、
言わば「冷静な分析」であり「予測」であるだろう。
だから本当は予言という呼び方を個人的にはしたくないのだが、
人は歴史を語る時に「神の視座に酔う」ものだと思うので、
こういう言葉がやたらよく似合うんですよね。
そう、「予言」とか「黙示録」とかね。
by shinobu_kaki | 2011-08-24 23:33 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(0)

読書について。

自分は「積ん読」というものがあまりできない。

つまり読みたい本はその時すぐに読んでしまわないと、
最終的には手を出すことなく通り過ぎてしまう。
だから、本屋で買ったり図書館で借りたりする時は、
「今これが読みたい」と思ったものしか基本的には手に取らない。

でもたまには、そんな自分の性向を無視してしまうこともあって、
「あまり興味はないんだけどこれ読んでおくといいかもしれないな」
みたいな中途半端な気持ちで本を借りてくるとだめである。
まず十中八九、最後まで読まずに終わってしまう。
やはり自分の感覚に正直になるということは大事なのだ。
僕の場合がとりわけそうなのかもしれないけど。

というわけで僕の家にある本棚の本は、
基本的にはすべて既読である。
こういう人は多いのだろうか?よくわからない。

世の中を見渡すと、ものすごい量の本を読んでいる人がたくさんいて、
(映画もそうですけど)そんな人の前では、
「本?けっこう読みますよ」なんて軽々しく言えない空気がある。
しかも読書家と言われる人は、量だけでなく、
非常に多岐にわたる分野の本をカバーしていておそれいる。
そうした「読書民族」と比べてしまうと、
僕はそんなにたくさん本をきていないのだなあと思ってしまう。

でもまあ、他人と比較してどうこうするものもないので、
あくまで個人的な楽しみとして、日々読書して行こうと思っています。


ちなみにここ数年に読んだ本はこちらに記録してます。
このブログカテゴリと同じタイトル「shinobooks」。

ブクログ(僕の本棚)
by shinobu_kaki | 2011-07-22 07:11 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(3)

ブクログはおすすめ。

もともとこのブログにはshinoBOOKSというカテゴリを設けていて、
自分の読んだ本をレビューするつもりであった。

しかし読んだ本を必ずレビューするというのは、
以前に比べて時間のなくなった身としてはしんどいものがある。
普段もだいたい週に数冊の本は読みたいし読んでいるので、
レビューを書いてないからといって次の本に進まないわけにもいかない。
さらにレビューというのは、読んですぐの「余熱」が、
自分の中にぐつぐつと残っている間に書きたい性質のものだ。
これは映画も同様で、一番いいのは観た直後に書くことだと思う。
時間が経てば経つほどに熱は冷め、記憶のディテールは薄れゆき、
合戦場は穏やかな風の吹く、ただの草原へと戻るだろうからだ。

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さて、ブクログである。
けっこう前から利用しているサイトであるが、
僕はここに読んだ本をメモするようにアップしている。
上記の理由から、レビューはあえて書かない。
レビューを書きたい時はこれまで通りブログのshinoBOOKSに書くだろう。
アップの仕方も非常に簡単で、
読んだ本が積み重なってゆく感じが非常に良いのである。
もちろんまだ読んでいない、読んでみたい本も登録することが出来る。
(「読みたい」というタグをつければよい)。

僕にとってサービスというのはシンプルで簡単なことが非常に重要で、
そういう意味ではこの上なくイージーなこのブクログは、
非常に重宝している「My本棚」となっている。


僕の本棚はこちら。
by shinobu_kaki | 2010-12-19 23:03 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(0)

「芸術の予言!!」

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タイトルに「!」が2つである。
造本・デザイン自体が非常にポップで、
60年代、70年代にはこういう凝り方をした本が多かった。
奥付を見ると、初版2009年というのに驚く。
装丁は佐々木暁氏。
サブタイトルが「60年代ラディカル・カルチュアの軌跡」とあるため、
その時代のテイストをふんだんに盛り込んだ造本になっている。
身近なところでいうと、奥村靫正らが手がけた
村上龍「POST〜ポップアートのある部屋」と似た方向性のデザイン。
つまりそれが「時代の気分」というやつだ。

コンテンツ自体は古いものだ。
1973年〜1974年当時の「季刊フィルム」という雑誌の内容が主で、
登場するのは寺山修司、赤瀬川原平、アラーキー、横尾忠則、
大島渚、武満徹、高橋悠治、杉浦康平といった面々。
なぜ今?
しかし書籍の刊行にはすべて意味がある。
これを出すことは、
今という時代を相対化して照らす試みなのではないかと邪推する。
だからタイトルに「予言」の文字が踊っているのだろう。

ひとつ例を出す。
「複写時代の仕事」という鼎談では、
印刷による複写が可能になったことでオリジナルの概念を考えざるを得ない、
という話なのだが、これは実に今の時代にこそあてはまることである。
情報がデータ化されて何が変わったかと言って、
コピーが容易になったということが大きいと思うのだ。
テクノロジーが変われば思想も変わる。
これは今も昔も当てはまる真理だと思う。
by shinobu_kaki | 2009-09-18 06:48 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(0)
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4000人に1人の倍率をくぐり抜けて、
ホワイトハウスのエグゼクティブ・シェフを務めた料理人の著書。
クリントンとブッシュの2代(3期)にわたって、
大統領の料理人を担当した時のエピソードが綴られる。

ちょっと面白いなと思ったのは、
「クリントン期」と「ブッシュ期」のコントラストだ。
もちろん大変なことも多いけれど、
基本的には明るくポジティブでユーモアに満ちたクリントンの時期に対して、
ブッシュがやってきた時期は例の911のせいもあるかもだが、
とたんに殺伐としてしまう。そう、まるで世界の色が変わったように。

これは当時の社会情勢の問題だけではない。
ファーストレディのヒラリーは、
それまでフレンチ一辺倒だったホワイトハウスの料理を、
アメリカの料理に刷新するという目標があった。
だから優秀なシェフを捜したのである。
(そしてこの本から類推するに、著者は料理人として非常に優秀である)
厨房の内装を一新するところから始め、
途方もない人数のパーティをイキイキと捌く様子や、
スタッフとの連帯に満ちた日々はちょっとした映画のようでもある。
実際、このまま映画にしてもかなり面白いのではないかと思われる。

しかしブッシュ大統領の時期には、
ファミリーの皆で豪華な食卓を囲むという事はほとんどなかった。
大統領はいつも食事はサンドイッチを1人でパクつく程度で、
しかもそのプアーな食事は15分ほどで終わってしまうのである。
これではシェフも腕の振るいようがないだろう。

しかもブッシュ夫人の秘書の女性、
リー・バーマンからされた仕打ちがひどいのである。
曲がりなりにもトップクラスのシェフである著者をつかまえて、
リー・バーマンはマーサ・スチュワートの料理本を彼に見せ、
(マーサ・スチュワートですよ!)
「まったくこの通りに作ってちょうだい」とのたまうのである!
これはひどいね。
まあ、我々の業界でも似たようなことがあるような気がするが、
こうした発言をしてしまう人というのは無知でアホなだけでなく、
そもそも相手に対しての敬意が足りないのである。
結局そんなこんなが重なり、著者はホワイトハウスを去って行った。

非常に面白く読んだ一冊。
一種のエンターテイメントとしても面白いし、筆致も軽やか。
そして「受注して、制作する」という部分では
料理人はデザイナーと近いものがある(と僕は思っている)。
そういった意味で教訓にも満ちていると思う。
何より筆者のプレッシャーをはねのける強靭な姿勢とスピード感は、
非常に見習うべきものが多いのではないだろうか。

ホワイトハウス内の人間関係も一部垣間見え、面白かった。
オススメ。
by shinobu_kaki | 2009-09-04 11:25 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(5)
フォロワーってんじゃなくて、
ある漫画家の元アシスタントが師匠の作風を色濃く引き継ぐ、
というパターンがあるでしょう。
ちばあきおに対する高橋広(「イレブン」)がそうだし、
青木雄二に対する東風孝広(「カバチタレ!」「極悪がんぼ」)がそう。
つまり、一見して系譜がわかるタイプの漫画家さんね。
もちろんまったく同じ筆致というわけではなくて、
例えば上の2人については構図の取り方に変化をつけたりして、
師匠の作品よりも読みやすくなるよう工夫してるように見える。
ただ、どうしたって「キャプテン」「プレイボール」にはかなわないし、
歴史に残るのは「ナニワ金融道」のほうなのである。
正当継承者と思われる作家が、師匠を越えるパターンは見ない気がする。
でも考えてみればこれは当然のことで、
要するに「真似」からスタートしてその範囲内で勝負しているわけだから、
オリジナルよりも上の評価をもらうほうがおかしいってもんなのだ。

そういう意味でも、最近あらためて荒木飛呂彦はすごいと思っている。
ほとんど「ジョジョの奇妙な冒険」1作の人と言ってもいいくらいだが、
(他に短いのはいくつか描いてるけどね。「バオー」とか「ビーティー」とか)
ケレン味ありまくりの筆致は他に真似できる人がいない。
そして週刊ペースの連載のくせにその描き込みは非常に細かく、
真っ黒になってしまいがちな紙面を余白の効いたコマ割りでカバーしている。
こういうのは非常に大事なテクニックだ。
さらに扉絵の一枚絵としての完成度も高く、アイテムもゴージャスで、
読む側にある種の贅沢さを感じさせてくれる。
時々セリフの日本語がおかしい時があるが、その無国籍な作風と相まって、
まるで翻訳文体のマンガを読んだようで許せるのである。

セリフと言えば、小畑健である。
言わずと知れた「ヒカルの碁」「デスノート」「バクマン。」の作家だが、
セリフが異様に多いのは上のうちの後半2作、大場つぐみが原作についた時だ。
大場つぐみは公開されているネームを見ると、
「ラッキーマン」などを連載したガモウひろしに間違いないと思われるが、
この人のネームはちょっと常識ではありえないほどにセリフが多い。
「デスノート」と「バクマン。」は小畑の絵が固まった時期であるからなのか、
並べてみてもほとんど同じトーンで描かれている。
長期連載だった「ヒカルの碁」の途中から今の筆致になったようだ。
「ヒカルの碁」の初期はまったく別のマンガのように違う。

こういうのは連載が長いとよくあることで、
井上雄彦の「スラムダンク」も初期と後期ではずいぶんと印象が違うのである。
井上はこの後の「バガボンド」の中でもタッチの変遷が見られる。
大きく2度、画風をチェンジした作家と言える。
「スラムダンク」は、たまに通しでじっくり読んでみたくなる。
これはストーリーというよりも、魅力的なキャラクターが多いからだと思う。
by shinobu_kaki | 2009-07-28 11:02 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(2)
6時過ぎに起きた日曜日。
今朝は少しひんやりしている。雨の予報。

でも、昨日は暑かったね。
どうにも亜熱帯帝な気分だったので、昨夜はタイカレーを作って食べた。
煮込むような家のカレーではなく、ナンプラーの日和。


講談社モーニング・ツーのサイトで試し読みして面白かったので、
杉本亜未「ファンタジウム」を3巻通して読んでみる。
面白い。一気にぐいぐいと読まされてしまった。

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「ファンタジウム」の主人公は長見良。
圧倒的なマジックの技術と才能を持つ中学生だ。
見た目は小学生と言われるほど幼い。
だがその言動はどこか老成しており、人生を達観しているようにも見える。
名マジシャンの薫陶を受けた長見良のテクニックはまさに世界レベル。
でも同時に重度の難読症(発達性ディスレクシア)でもあるため、
学校や父の仕事の手伝いなどにも支障をきたし、周囲にバカにされている。
知能とは関係なく、読み書きがまったくできない病気だからだ。
なので学校では悪質ないじめの対象にすらなる。
家は裕福ではなく、父は暴力的で、家に帰らず公園で寝泊まりしたりしている。
物語は、亡くなった名マジシャンの孫であるサラリーマンの北條が、
長見良と出会うところから始まる。長見はジャージ姿で、
非合法カジノで雇われギャンブラーとして腕を振るっていた…。

あれほどに鮮やかなマジックの技を「必殺技」として見せるのではなく、
あくまでこの作者は「一人の障害を持つ少年の心の話」として描いている。
少年漫画的ではない。このアプローチが意外だった。
なので物語全体に漂う空気はそれなりに重く、浮ついたところが無い。
それだけに「ここぞ」で繰り出されるマジックのシーンは本当に鮮やかで、
まさにステージを観ているような読後感なのだが(思わず拍手をしたくなる)、
「ファンタジウム」はその「華やかな武器」をメインにしないのだ。
ストイックと言えばストイックである。
2時間の映画の中に、ラスト30分間だけマジックシーンがあるような感覚だ。
この漫画はその地味さゆえに大ヒットはしないだろうが、
ドラマとしてきちんと面白く、「読んでおくべき傑作」として、
認定されて良いのではないだろうか。

あと、主人公の長見良をはじめとして、
この人の描く人物は艶っぽいというか、どこかなまめかしい。
描線が丁寧で、フェティッシュだからだろうか。
それはこの作者がBL出身ということもあるかもしれない。
そういえばこの漫画は男性が話の中心で、ヒロインとなる女性が出てこないね。
この構造で行くと、ヒロイン役を担っているのは長見良ということなのかも。

冒頭で触れたが、
モーニング・ツーがまるごと1冊ウェブで読めることになっている。
最初、広告を読んで思ったのは、
「ウェブで読んだら本誌を買わなくなるんじゃないか。大丈夫か?」だったが、
今回の僕のようにサイト経由で興味を持って漫画を買うパターンがあるのだから、
こういうニッチなターゲットに向けたものとして機能しているのかも。


さて、今日は昼から出社です。
ここのところゆったりしていたけど、仕事がすごいことになって来た。
がんばりましょう。
by shinobu_kaki | 2009-05-24 07:43 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(0)

「R25」のつくりかた

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2004年に発行され、いまや首都圏のどこに行っても見かけるようになった、
フリーマガジン「R25」。
その創刊されるまでの顛末と創意工夫が分かる本。
「R25」はM1層と呼ばれる20〜34歳までがターゲットなのだが、
度重なるグループインタビューや居酒屋などでのざっくばらんな「取材」により、
実に慎重に、誠実に、そして等身大の「ユーザー視点」で、
このフリーマガジンが立ち上げられたことが実感できる。

「サルでもわかる」「いまさら聞けない」がNGワードというのも良かった。
それは徹底した「上から目線の排除」ということだ。
このへんはM1層のインサイト(内面心理)の分析から導かれている。

つまりM1層(20〜34歳男性)とは、
「多忙な中、時間を有効に活用したがっている。
その内面は、自分の価値に一番関心があり、自意識過剰でカッコつけ。
そこそこイケてると思っているが、確信はない。
顔には出さないが不安感もある。だから実は助言がほしい」という世代。
やたらと情報量が多いゆえに、動く前に吟味する習性があり、
騙されたくない、恥をかきたくない、損をしたくない、傷つきたくない。
「誰から見ても正しい」というチョイスをしないと我慢できず、
傷つきやすいためにいつも「真剣ではないよ」というスタンスを取りがち。
そんなM1層を著者は梅干しに例えている。
「傷つきたくないから薄皮で身を守り、つつくと中身がブヨっと出て、
そして奥のほうに固い芯がある」
なかなかにしんどい、つらい世代だと言うのである。

著者であり、創刊スタッフであるリクルートの藤井大輔氏は1973年生まれ。
僕とほとんど同じ年齢である。
新しい事を始めるには、やっぱりこの辺の世代がポイントになるのだね。
同じような年代の著者、そして「徹底したユーザー視点」という部分で、
以前読んだ「コミュニケーションをデザインするための本」と、
どこか共通するものを感じながら読んでいた。

前にも書いたと思うけど、いつもリクルートの情報誌はよく出来ている。
きちんと整理されており分かりやすく、デザイン性も高い。
デザインはさておき、情報の整理に関しては本書の中に良い一文があった。

「誤解を恐れずに言えば、取り扱い説明書をものすごくわかりやすく作るスキル」

これがリクルートの情報誌編集に求められる能力だという。
なるほど、という感じである。


「R25」のつくりかた
藤井 大輔(日経プレミアシリーズ)

参考リンク:
amazon-「R25」のつくりかた
TABLOG-Tabata Shintaro
by shinobu_kaki | 2009-04-21 11:52 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(0)
いま再読している「百年の誤読」という本の中に、
「偽書もの」というジャンルの話が出てくる。
著者を偽ったり、有名な書籍に似せて作った著書のこと、だそうだ。
山本七平がユダヤ人識者イザヤ・ベンダサンを名乗り、
「日本人とユダヤ人」を書いたケースなどがそれにあたる。

他にはピーター・アクロイドの「チャタトン偽書」、
マルカム・ブラッドベリの「超哲学者マンソンジュ氏」などが、
このジャンルにあたる…らしい。僕はどれもまだ読んだ事はない。

でもあれですよね、村上春樹「風の歌を聴け」にも、
デレク・ハートフィールドというアメリカ人作家が出てくるけど、
あれもでっち上げというか実在しない架空の人物で、
作者のちょっとしたお遊びのようなものとして存在している。
ハートフィールドはご丁寧にあとがきにも出てくるほどの凝りようである。

ちなみにwikipediaにも架空の著作家というカテゴリがあり、
ベンダサン、ハートフィールドと並んで岸辺露伴の名前がある。
そう、「ジョジョの奇妙な冒険」第4部のあの人である。
「週刊少年ジャンプ」に『ピンクダークの少年』を連載し、
若くして人気作家となった…という設定。
スピンオフ作品にも多く登場、作者の愛着のあるキャラクターであるらしい。

ちょっと違うけど架空の名前と言えばアラン・スミシーを思い出す。
アメリカで、映画監督が何らかの理由で名前をクレジットに出さない場合の、
「名無しの権兵衛」的なひとつの偽名である。2000年に廃止された。
Alan Smitheeは "The Alias Men" (偽名の人々)のアナグラムらしい。
僕がこのアラン・スミシーで思い出すのは作家の荒木スミシ、ではなく、
デニス・ホッパーの映画「ハートに火をつけて」である。
で、思い出すのはいいんだけど、これもまだ僕が観ていない映画だったりする。
映画、観なくなったからなあ。
by shinobu_kaki | 2009-04-15 14:14 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(0)

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