カテゴリ:人生は映画とともに( 56 )

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今回ようやく観る事ができたシノブさんですけど、いかがでしたか?
 「まず特定の作家の追っかけというものをしない私にとって、
  是枝監督というのは特別です、作品がリリースされたなら観ずにはいられない、
  こういう存在はほかにありません、漫画家の岩明均くらいでしょうか、
  『生きているのは、大人だけですか』
  というのがこの映画のキャッチコピーですが、
  とても的確で良くできたコピーだと思いました、生活力という点において、
  大人と子供は同じではない、しかし大人と同じように、
  子供も人生を生きている、喜び、傷つき、笑い、食べ、時に苦しんで、
  自分というものを生きているわけです」

ちょっと固いですよ。もとになった事件は御存じでしたか?
 「知っていました、88年に巣鴨で起きた事件はそれは陰惨なものでした、
  長男とその友人による虐待の疑いもあったようです、
  そういう意味でこの映画はフィクションです、
  しかしこの映画の素晴らしさに関してはそういったことは重要ではありません、
  恐ろしく丁寧なディテールの積み重ねでできた映画でした、
  ディテールが全てを語っていました」

今さらですがこれ、ネタバレの危険性はありませんか?
 「レビューというのは基本的にネタバレの性質を持ったものだと理解します、
  まあ中には上手に書いているものもありますがね、
  まだ観ていなくてネタバレがイヤな方は、これ以上読まないほうが無難です」

ディテールの件に戻りますが、例えばどういったものがありましたか?
 「YOU演じる母親はどうしようもなく『女』であり、
  母親としての自覚は十分とは言えなかった、
  それでも子供達は母親が大好きだったし、母親のぬくもりを求めていました、
  長男、血の繋がっていない子供たちですがあえて長男という言葉を使いますが、
  長男の明は漢字の宿題でわからないところを一度辞書で引いておきながら、
  帰ってきた母親にわざわざ聞いていました、
  母親と話すきっかけをつくっていた訳です、
  長女の京子は母親が酔って帰ってきたある夜に塗ってもらった
  赤いマニキュアに、母親との繋がりを終始求めます、
  床にこぼれたマニキュアのしみにでさえもです、
  次男の茂は奇声を発したりしていわゆる『くそガキ』として
  描かれていましたが、彼は母親が帰ってきていなくても
  食卓の席をひとつ母親の為に空け、自分は小さい椅子に座る、
  ディテールというのは例えばそういった部分です」

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なるほど非常に丁寧ですね。子供たちの窮状の原因となった
母親役のYOUはどうでしたか?

 「この映画の、というか是枝映画はみなそうだと思うのですが、
  映画の中で人に対するジャッジメントがなされていません、
  善と悪で語られていないのです、母親は無自覚で無責任だけれども、
  ひとりで子供4人を育ててきたのはまさに彼女なのです、
  例え男にだらしなく、子供たちとの晩ごはんの席で
  缶ビールを3本空けるような母だとしてもです、
  彼女がああやって世間に子供の存在を隠して
  生きて行かなければならないというのは、
  非嫡出子というかイレギュラーな子供に対するこの国の法律、
  目に見えない差別が、彼女や子供たちを追い込んだと言えると思います、
  彼女はなにも望んでそうしたのではない、
  こそこそと嘘をつきながら生きて行かざるをえない
  理由があったということです、映画の中で彼女が
  『出て行ったお父さんのほうが勝手じゃないか』と長男に言いますが、
  彼女も被害者意識があり、そして実際に被害者とも言えるのです」

母親との時間や心の交流は豊かなものとして描かれていましたね。
 「どんな家族でもやはりかけがえのないものですから、
  お互いに愛おしいものではあります、どうしようもなく悲惨に見える状態でも、
  他人からはうかがい知ることのできない、豊かな時間というものは
  どの家族にもあるものです、そこにはいろんな形が存在します」

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他の役者はいかがでしたか?極端に出演者の少ない映画ですけども。
 「カンヌで最優秀主演男優賞を受賞したのは明役の柳楽優弥くんでしたが、
  どの子も素晴らしかった、YOUもはじめは微妙かなと思いましたが、
  作品の無邪気で無責任だが苦労してきた母親像としては絶妙に合っていて、
  やはり正解だったのかもと思いました、しかし私としては
  長女の京子役、北浦愛(きたうら あゆ)にもっとも凄みを感じました」

大人しいけどしっかりした女の子の役でしたね。
 「あまり感情を出すわけではないのだけど、非常に表現力があったと思います、
  カンヌの審査委員長はタランティーノでしたが、
  彼に彼女の静かなる凄さが理解できたか疑問です、
  実際、オーディションの時には監督は彼女を10秒で即決したそうです、
  演技過剰にならない、感情の説明をしない演技のリアリティを
  彼女は持っているという事です、このことは是枝監督も語っていますが、
  彼女は11歳にしてすでに“女優”だったのです、
  普段の彼女は役とは違ってとても明るく快活で、
  何度やっても演技が変わらないし、
  常に『監督さん、京子はこの時なにを考えているの?』といった
  ディスカッションをしつつ、
  直前までゲームをしたりしてふざけて笑っていても、
  カメラが回ると一瞬で『京子』として役に入る、
  これを女優と呼ばずして何と呼ぶのでしょう、
  僕がいちばん好きなのはみんなで公園に出かけるシーンですが、
  ここでみんな本当に嬉しそうな顔をするのです、
  年不相応に大人の役割を演じさせられた子供たちの、
  小学生の子供に戻った心からの笑顔です、
  中でも柳楽くんの笑顔はこちらもにこやかになるような、
  そんな力があったと思います、素晴らしい笑顔でした」

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なるほど、さっきから絶賛ばかりですが、不満はなかったのですか? 
 「ほとんどありませんが、まあ物凄く強いて言うなら
  次女のゆきちゃんが可愛すぎたことでしょうか、
  映画のバランスが崩れるほど可愛かったと思いました、
  彼女も目に力がありました、すごく」

タテタカコさんの曲はいかがでしたか?
 「『宝石』ですね、私の記憶が確かならば、
  是枝監督がボーカル入りの曲を映画で使うのは
  これが初めてではないですか?」

ええと手元の資料では、
劇中はおろかエンディングでも使った事はないそうですね。

 「そうでしょう、しかし驚くほどフィットしていました、
  フィットどころかその『違和感』が絶妙で、
  歌詞が、曲が、驚くほど染み込んできましたね、
  非常に効果的だったと思います、
  感情を『持って行かれる』感覚を味わいました」

最後の質問ですが、この映画を観た事で
自分の中で何かが変わりましたか?

 「昨日観たばかりですから、これからボディブローのように
  効いてくるのだとは思いますが、
  とりあえず街ですれ違う子供、また親子連れに関して
  前より暖かい目で見るようになったと思います、
  夜、街の明かりをみるといつも思うのですが、
  明かりの分だけ暮らしがあるわけです、
  一瞬すれ違っただけの親子連れにもそれぞれ、
  幸せなり苦労なり葛藤なりがあるわけですよね、
  当たり前のようですがそういった想像力を
  おろそかにしたくはないという事ですね、
  そして今回の話は日本のシステムの隙間に沈む
  プア・ジャパニーズの話だとも言えます、
  この映画に描かれている家族とまったく同じではないにしても、
  似たような境遇の人間というのは確実に存在するだろうと思われるのです、
  しかし彼らは世の中にまるでいないもののように扱われ、
  まさに“誰も知らない”存在なのですが」

子供をナマ暖かい目で見るようになった、ということですね?
 「ちょっと、やめてください、『ナマ』をつけると
  違う意味になってしまうじゃないか、 
  だいたい私は昔から子供は好きなんです」

子供が大好物、ということですか?カミングアウトですか?
 「ロリコンみたいに言わないでください、そんなことはない、
  私はノーマルだ、まったくおかしな性犯罪者のせいで
  『子供が好きだ』という当たり前のことが言いづらい世の中だ、
  だいたい」

それではインタビューを終わります。ありがとうございました。

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誰も知らない(2004年)
監督:是枝裕和
製作:「誰も知らない」製作委員会
出演:柳楽優弥
   北浦愛
   木村飛影
   清水萌々子
   韓英恵
   YOU
配給:シネカノン
by shinobu_kaki | 2004-09-11 14:29 | 人生は映画とともに | Trackback(7) | Comments(16)
今週ももう木曜日になってしまったが、
先週末は渋谷にいた。

映画「誰も知らない」を観に行こうとしたのだが、
夕方4時の段階で6時半からの回がすでにSOLD OUT、
(「みんな知ってる」のかYO!)
断念してなぜかまったく毛色の違う映画、
「スパイダーマン2」をあえて前のほうの列で観たのであった。
前の席を選んだのは迫力重視のため。

ひとことで言うと、非常に満足度高し。
「1」をしのぐデキかと思わせる、非常によく出来たエンタテインメント。
たいしたもんである。

グラフィッカー(?)の僕としてはまず、
キャストクレジットの流れるオープニンググラフィックでやられますた。
発想自体は良く分かるけど(やはりクモの糸がモチーフ)、
どういう順番でというか、どういう発想の構築でこしらえたのかわからん。
まあ映像は門外漢と言えばそうなのだが、感心した。

実は前に観た「1」のあらすじをすっかり忘れていたのだが
(ウィリアム・デフォーが出ていたことさえも完全に忘れていた)、
それはそれとして僕は非常に楽しめた。
つまり前作を観てなくても面白い、ということです。

それにしても相変わらず女優のキルスティン・ダンストはルックスがイマイチである。
「ヴァージンスーサイズ」のラックス役の時はそんなに感じなかったんだけどなあ。
「美しすぎない」微妙なとこを計算して起用してるのかもしれないけど、
どんな映画でも女優が綺麗じゃない映画は安く見えますから。
例えば「グッド・ウィル・ハンティング」なんか女優で☆2つは落としてる気がする。

それでも映画「スパイダーマン2」はとても良かった。

今回の敵キャラはなんか村上龍に似た顔の天才科学者。
独自の核融合の研究の為に発明したマニピュレーターに乗っ取られて…という話。
ようするに触手。
ハリウッドもホント色々考えますよね。村上龍に触手とは…。
これは造形的にもかなりコワイことになっており、
僕の2つ隣の席にいた小さい女の子なんか、かわいそうにかなり怯えていた。
トラウマになってしまうかもしれないぞ。触手に。

ヒーローと日常生活の両立に行き詰まる主人公ピーターですが、
ここで映画は「ヒーローの必要性」を説得力ある展開で証明してくれます。
ヒーローものってふつう「ある前提」のもとにお話が進むじゃない。
「ご都合主義」「予定調和」と言ってもいいけど。
あ、「なぜ手から糸が」とか能力的なことじゃなくて、
「相手が悪だからとにかく倒す」みたいなほうね。
そこのところをこの映画は、まあ寓話だからある程度の無理はあるにしても、
きちんとリアリティある説明をしようと努力しているのが見えます。
少なくとも、説明不足的なストレスは感じなかった。
「スパイダーマン的世界」の範囲での説得力は十分あった。

ヒーローがヒーローであろうとする事のモチベーション。
ここをいい加減にしないことで、非常にカタルシスあるデキになってる。
そしてキッチリ「3」への伏線&導入。

「マトリックス」は「3」だけ観てない僕ですが、
この「スパイダーマン」は次作も観るでしょう。
この映画に関しての評価と満足度は、つまりはそういう感じ。

良いです。

今週末は「誰も知らない」リベンジの予定。
時期が過ぎて色褪せるタイプの映画じゃないし、
是枝監督の映画だからいずれDVDも買うんだろうけど、
スクリーンで観ときたい。
恵比寿でやってるマイケル・ムーアの「華氏911」は、まだ相当並びそうだな…。
こちらはほとぼりが冷めるのを待ちます。


ああ、映画のあとの食事の話を書こうとしたのに…。
もうスペースが。

そちらは、またにします。



P.S.ところでサム・ライミの代表作って、
のちのち「スパイダーマン」になるのかな?
「死霊のはらわた」じゃなくて…





「スパイダーマン2」(2004年)
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
監督:サム・ライミ
製作総指揮・原作:スタン・リー
特殊効果: ジョン・ダイクストラ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:トビー・マグワイア
   キルスティン・ダンスト
   アルフレッド・モリーナ
by shinobu_kaki | 2004-08-19 15:18 | 人生は映画とともに | Trackback | Comments(9)

「下妻物語」

「いやー最高最高!」
「どうしたんだよ」
「映画『下妻物語』最高」
「あ、観たの?」
「さっき渋谷で観て来た。パルコの上の映画館」
「そんなに良かった?」
「映画の前に腹減ったからさあ、
 朝飯に近くの『すき家』ですきやき定食食ってさあ、
 朝っぱらからすき焼きかよ!とか自分でも思ったけど」
「いいよ!『すき家』の話は!
 肝心の映画はどうだったんだよ!」
「もー最高」
「だからどう最高だったのか聞いてんだろ!」
「キャストがみんなハマってる。とくに深田恭子
「ヒラヒラした服のロリータ娘の役だろ。確かにハマってるな」
「ロココ時代に憧れてる高校生って設定なんだよ。
 ピンクのヒラヒラしたファッションが下妻の田園風景に妙に浮いてて」
「下妻って茨城だよな。そりゃ浮くだろう」
「深キョン自身『あたしはアウン・サン・スーチーの生まれ変わり』
 なんて言ってたからぴったりだよな」
「それはマリー・アントワネットだよ!
 第一まだ死んでないよスーチー女史は!」
「あと不思議ちゃんなキャラが合ってたって事もあるけど、
 深キョンがここまで出来るのかってちょっと見直した。良かった」
「他には?」
土屋アンナがすげー可愛い」
「ヤンキー娘役の?」
「そう、白百合イチゴ役。下品なレディースヤンキーで、すぐ切れるし、
 何かと言うとつば吐くし、携帯の着メロは尾崎豊だし、
 すぐ飛び蹴りとか暴力振るうんだけど、可愛いんだよね」
「土屋アンナってもうすぐ封切の『茶の味』にも出てるんだよね」
「ヤンキー特有のナイーブさとか弱さとか、よく出てたよ」
「表現力があるんだね」
「ちょっといまキてるよね、もっとブレイクしないかな」
「まあ、最近デキ婚が発表されたけどな」
「ナニイイイイイ!俺に一言もなくゥゥゥゥゥ!」
「荒木飛呂彦化するなよ!あるわけないだろ!
 あと裏話で深キョンが待ち時間に、殺虫剤で虫を殺しまくってて、
 それで深キョンが『こわ〜〜い』とか言うと、
 土屋アンナが『おめーがコエーよ!』って突っ込んでたらしいね」
「それは映画のキャラまんまの二人だな…
 でも、この映画で一番良かったかもしれない。土屋アンナ」
「確かにキャスティングの時点で、
 すでに半分勝ったと言えるほどの絶妙さだよな」
「CMディレクターとして有名な中島哲也監督だけど、
 テンポもセンスもいいし、やっぱり一枚絵の完成度がむちゃくちゃ高い。
 タランティーノの『キルビル』もそうだけど、
 撮り方と構成が漫画なんだよね。完全に」
「画面内に効果音の書き文字があるとぴったりな感じね」
バキュゥゥウンとかメメタァとかな」
「ジョジョから離れろよ!」
「でも、すごくポップだった。動く漫画観てる気分」
「楽しそうだね」
「出演者が完全にキャラクター化してた。
 もう、映画観てる間ニヤニヤしっぱなし。そして時々爆笑!」
「最近めずらしいよな、そういうの。
 篠原涼子が深キョンのお母さん役ってのも凄いよな」
「あと小池栄子とか、宮迫、そしてKIRIN☆KIKI!!」
「なんで樹木希林だけ英語なんだよ!」
「なにしろ中盤まででさんざん笑わされて気持ち掴まれてるもんで、
 感動的な部分が思いっきりくるんだよね。
 柔道でいうと足技で完全に体勢崩されてる状態だから」
「綺麗に投げられちゃうわけね」
「そうなの」
「なるほどね」
「もう稀にみる楽しい映画だった。小ネタもツボだったし。
 気持ちの良いベタさって言うかね」
「客は多かった?」
「朝イチの回だったからそうでもないよ。
 でも、エンドロールのトミーフェブラリーが終わって明るくなって、
 帰ろうかと振り向いたらちょうどすぐ後ろに!」
「どうした!」
「映画の中の深キョンと同じロリータの格好をした女の子が!!」
「そ、そういう客層もいるのか…!」
「超ビビったよ!」
「わかるよ」 
「画面の中と外、俺の前後にロリータが!!URYYYYYYYYY!
「もういいよ!」
「そして荒川良々のラブシーンが!」
「何っ!」
「不意をついて水野晴朗が!」
「出てるのか!」
「御意見無『様』の刺繍が!」
「何だそれ!」
「詳しくは映画を!超オススメ!」
「ううっ…悔しいな、終わらないうちに観なくちゃな」
「俺、もう一回観に行ってもいいよ」
「お前にしては珍しいな!」
「下妻行きたい!」
「ほう!」
「行ってジャスコで服を買う!」
「それは嘘だろ!」
「うん、嘘…」

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「下妻物語」(2004年)
脚本・監督 :中島哲也
     作 :嶽本野ばら
    製作:『下妻物語』製作委員会
  キャスト:深田恭子 土屋アンナ 宮迫博之
       篠原涼子 阿部サダヲ 岡田義徳
       小池栄子 荒川良々  樹木希林

「下妻物語」オフィシャルサイト
by shinobu_kaki | 2004-07-10 14:38 | 人生は映画とともに | Trackback(4) | Comments(4)

「のび太の恐竜」

前にも書いたが僕の実家はけっこうな田舎で、それは風景画を描くと緑の絵の具だけがどんどん無くなる感じと書くと分かってもらえるだろうか。家の近くには文化的な施設は皆無で、本屋もなく、そんなわけでもちろん映画館もなかった。そこに住む人たちがなにを思ってか映画を観たいと言い出したなら、車を30分ほど走らせて近隣でただ一ケ所のさびれた映画館まではるばる足を運び、東京の封切りからおそらく数カ月は遅れた選択の余地のない2本立ての映画を、すえた匂いのするシートに座って観るほかはなかった。もっと新しい映画が観たければ、今度は車で1時間半はかかる県庁所在地まで行かねばならなかった。

そういった貧弱な文化環境に生を受けた僕は、近所のタバコ屋の店先に置いてある数少ない漫画や雑誌を買っては何度も読み、家に置いてある誰が買ったともしれない外国の絵本を寝る前に穴があくほど眺め、それでも飽き足らず自分でノートにくだらない漫画を描いたりしていた。小さな僕は物語に飢えていた。

その頃の僕はその年代の子供がそうであるようにドラえもんが大好きで、毎月コロコロコミックや単行本を買いあさったり、やはり自分でドラえもんの似顔絵をノートに描いて友達にあげたりしていた。そんなドラえもんが長篇映画になると聞いた僕は、普段行かない映画館に連れて行ってほしいと親にせがんだ。僕は母親が連れて行ってくれるものだと思ったのだが(その頃まだ母は家を飛び出していなかった)、彼女の都合が悪く映画館へは父親が同行することになった。自営業を営む父は非常に無口な人だったが、夜になると酒を飲んで母親や祖母たちと派手な喧嘩を始めるため、子供である僕と弟にとっては恐い存在でもあったのだった。そんな父親も昼間は静かだった。まだ小さい弟(兄である僕も十分小さかったのだが)を含めた3人で映画館に着くと、父親は窓口で子供用のチケットを2枚買い「じゃ、終わる頃に迎えにくるから」と言い残してどこかへ行ってしまった。おそらくパチンコにでも行っていたのだろう。無口な父親は大長編ドラえもんに興味がないようだった。

映画はとても感動的だった。原作となった漫画も持っていた僕はプロットをすべて知ってはいたが、大好きだったドラえもんが大きなスクリーンで動いていること自体にも圧倒されていた。併映の漫画映画があったように思うが、よく覚えていない。時間はあっという間に過ぎていった。感動のエンディング。

僕と弟が二人で映画館のチケット売り場のあたりまで戻ると、父親が迎えに来ていた。
「腹へったか」「うん」
360度の田園風景である家の近辺に比べると、映画館の周辺は魅力的な店だらけだった。買い物などで街に来た時の僕はデパートの最上階のレストランが大好きで、そこで御飯を食べるのが何よりの楽しみだった。僕はハンバーグステーキが食べたいと言い、3人でデパートのレストランでハンバーグステーキを食べた。父親はもっと軽いものを食べていたかもしれないし、飲み物だけだったかもしれない。あまりに昔の事でそのあたりの記憶は無い。

僕が大きくなるにつれて父親とどこかに出かけるという事はなくなってしまった。僕自身が親と一緒に行動するのは照れくさいと思った事もあるが、彼はいつでもどこへ行ってもつまらなそうにしており、さらにそれが家族と一緒だった時には喧嘩になって怒鳴り合いが始まる事が常だった。子供だった僕はどうしてもっと仲良くできないのだろうと悲しむと同時に、なぜ父はいつも不機嫌そうにしているのだろうと思っていた。僕と弟と3人で食事をしても怒鳴りはしないものの、やっぱりつまらないのだろうかと。しかしそれが、彼のシャイな性格からくる「照れ」である事を知ったのはもっとずっと後になってからだった。どこに自分の子供達と食事をするのが楽しくない父親がいるだろう?いま思うと、父親は僕と弟と一泊ほどのちょっとした旅行をする事を好んだ。旅行を提案されると僕は渋ったが、今思うとそれは、家の中には安らぎは無かったであろう彼の、人生の貴重な楽しみだったのかもしれなかった。

シャイで神経質、照れ屋でそしてナイーブで、
後年は寝酒に度数の強い焼酎を毎晩一本ずつ開けるほどのアル中で、
さらに酒乱で、
その酒とストレスが原因で肝臓を患った父親は病院に2ヶ月ほど入院し、
そして息を引き取った。
49歳だった。
その日の病院の空気は皮膚感覚としてよく覚えている。
セミの鳴き声まで覚えている。
今日のように暑い、夏の盛りだった。

父親の事を思い出すたび、僕は「楽しんで生きること」について考える。

父の名前は非常に珍しく、
「強く行く」と書いて「強行(つよゆき)」といった。
名前の通りの人であり、また名前と真逆の人でもあったと思う。
でも子供たちには一貫してとても優しかった。

もう10年も前の話。



「のび太の恐竜」(1980年)

製作:小学館、シンエイ動画
配給:東宝
原作:藤子不二雄
監督:福富博
by shinobu_kaki | 2004-07-09 09:53 | 人生は映画とともに | Trackback(3) | Comments(7)

「風の歌を聴け」

その夏僕たちは19歳で、梅雨どきのカー・ウオッシャーのように絶望的に暇を持てあましていた。2人で25mプール一杯分のビールを飲んだり、気の利いたバーでピーナッツの殻を床に放り投げたりしてやりすごすには、当時の我々の経済力はあまりに貧弱と言わねばならなかった。高校の時の誕生日に友達から「ノルウェイの森 上・下巻」をプレゼントしてもらった僕は、その頃から村上春樹を貪るように読んでいたが、ともに19歳の夏を過ごしたその友達は読書の習慣があまり無く、まだ村上春樹を読んでいなかった。

これは前フリである。

学費を稼ぐために昼夜問わずアルバイトに明け暮れた我々は、朝に起きれなくなり午前中の授業をさぼりがちになった。よく考えると本末転倒なのだが、夜のバイトは比較的割りが良かったのだ。それがたとえ、立ちっぱなしの警備員の仕事だとしてもだ。彼とは一緒に色々なアルバイトを経験したが、中でも出色だったのはイベントのアルバイトで、車で遠方に出かけては着ぐるみを着て子供たちの前でウルトラマンショーを披露する、というものだった。レンタルの着ぐるみはそのときどきで違っており、イカロス星人だったりレッドキングだったりした。レッドキングは高いので、だいたいいつもイカロス星人が多かった。バック転の出来るアルバイトは優遇され、「バック転手当て」として日給に500円が加算されるシステムだったが、バック転の出来るものはその時誰もいなかった。アルバイトの中ではなんとなく不文律的に配役が決まっており、それは主に体格によって決められていた。つまり最も体格が良いというか「デブ」が怪獣に入るのだった。僕はショッカーで、友達は最もスリムという理由でウルトラマンだった。なぜ主役がウルトラマンなのにショッカーがいるのか不可解だったが、我々は発言権のない無力なアルバイトで、しかも僕はショッカーだった。ショッカーにはセリフすら無かった。

アルバイトの無い日には、彼の部屋で漫画を読んだり、テレビゲームの「スーパーフォーメーションサッカー」をしたりして過ごした。その頃の我々の娯楽として「映画」という選択肢は皆無で、映画を見るくらいならば原付で30分ほどの夜の海に行って、煙草を2〜3本ふかして帰ってくるほうがよっぽど上等な暇つぶしのように思われた。だからその夜、突然にビデオを借りてこようという展開になったのはとても珍しい事と言わねばならなかった。かと言って2人とも特に観たい映画があった訳でもなく、超大作はたすきに長く、アダルトビデオは帯に短かった。これはどうだろう、と僕は一本の映画を提案した。邦画が気楽だろうと思ったのかも知れない。あと大きな理由としては、原作の小説を僕が読み込んでいたという事だった。

すなわち大森一樹の「風の歌を聴け」

原作とは言うまでもなく村上春樹のデビュー作としてのそれであり、あの俗物的なほどにスタイリッシュで散文的なテキストが、どのように映像化されているのか興味があったからだ。キャストも気になった。ほとんどの人は、小説を読むときに登場人物の顔を独自に思い浮かべ、一度決まったイメージを覆すのはよほどの事と言えるのだが、例えば僕の「鼠」のイメージと大森監督の「鼠」のイメージはどのように違うのか。また、「僕」はどうか。そんな事を思いながら我々は、6畳の暗い部屋でビデオを見始めた。


「完璧な文章など存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」








…ちがうううう

「僕」の小林薫はまだしも「鼠」の巻上公一のルックスは違った。あまりにイメージと違った。そして何より「三番目の女の子」が「室井滋」というのはあんまりだ、と思った。ある程度予想できた事だが、小説ではぴたりと決まっていたセリフも実際に耳にすると違和感だらけだった。僕は頭を抱えていたが、一緒に見ていた友達はごく普通に集中して見ているようだった。僕は辛抱して最後まで見ることにした。

「…違うんだ。こんなつもりじゃなかったんだ」見終わって僕は言った。
「小説はとてもいいんだよ。もっとクールだし、評判にもなった。この映画で村上春樹という作家の事を嫌いになって欲しくないんだよ」
満塁のチャンスにぶざまに凡退したバッターがチームメイトに言い訳するように。ゲームを決めるPKを外してしまったサッカー選手の弁解のように。

「いや、なかなか面白かったよ」

彼は言った。
「そ、そう?」
意外な返事に僕はとまどったが、楽しめたならそれでいいと思った。僕はなんというかそういう人間なのだ。一緒にいる人間が楽しめたかどうかを気にしてしまうのだ。そして彼は(これは今になって思うのだが)、非常に懐の広い人間だった。

実際、彼はこのあと村上春樹に傾倒することになる。小説よりも先に映画から入った格好だが、順番はどうでもいいだろう。数ヶ月後、彼は嬉しそうに僕に言った。
「いま、『羊』を読んでるんだよ」

それから13年が経った。
我々が19の夏を過ごした地である仙台で彼は披露宴を催し、僕も東京から駆けつけた。天気はあいにくの雨だったが、チャペルからその後の披露宴まであたたかい祝福に満ちた良い式だった。ホテルも立派だった。僕は友人代表としてスピーチを頼まれていた。式が進行し、スピーチの時間になった。緊張していた。
「それでは友人代表のかた、スピーチをお願いいたします」
司会者がゆっくりと言った。
「スピーチをくださるのは、新郎の学生時代からのご友人で、
新郎曰く『僕はこの人の影響で本を読むようになった』という…」

彼は笑って、こっちを見ていた。





「風の歌を聴け」(1981年) 

監督:大森一樹
僕:小林薫 
女:真行寺君枝 
鼠:巻上公一
ジェイ:坂田明 
三番目の女の子:室井滋
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by shinobu_kaki | 2004-06-25 23:21 | 人生は映画とともに | Trackback(1) | Comments(2)
「張國栄は蝶衣になってしまった」

張國栄(レスリー・チャン)が自死したというニュースを聞き、
映画監督である陳凱歌(チェン・カイコー)が言ったとされるコメント。
蝶衣、とは劇中でレスリー・チャン演じる京劇の女形で、
蝶衣は自ら演じる虞美人をなぞるような最期を迎えるのだが、
ストーリーの説明については控える。ともかく必見の映画。

僕はその時21歳で、東京で一人暮らしを始めてから1年が経っていた。
もともと東京には知り合いが皆無と言っていい状態だったので、
休みの日は一人でぶらぶらと過ごすことが多かった。
映画もそんなひまつぶし的娯楽のひとつで、
映画館で観る事もあれば、時にはレンタルビデオを借りて来て一人で観た。

ある夜、眠れなくなった。時計は午前の1時半を差している。
今なら夜は泥のように眠ってしまう僕なのだが、
当時は眠れない夜というのが多々あった。その夜もそうだった。
次の日の朝が仕事で早ければ無理にでも寝る努力をするのだが、
幸い次の日は日曜で、そんな必要も心配も無かった。

「河川敷が気持ちいい」という理由だけで二子玉に住んでいた僕の、
家から歩いて3分ほどの場所にレンタルビデオ屋があった。
営業時間は2時まで。まだ間に合うと、着替えて家を出た。
深夜の閉店間際の静かなビデオ屋。人はレジのバイトだけだ。
僕はどれを借りようか迷い、なぜそれを選んだのかは忘れてしまったのだが、
「覇王別姫」を眠れぬ夜のお供に決めたのだった。
しかし部屋に戻り、ラベルを見て3時間の大作ということに気付いた。
思ったより長いが、まあいい。明日は昼過ぎまで寝ていられるのだ。
電気を消し、25インチのテレビを映画館のスクリーンに見立て、
2時から5時までの3時間、僕はその映画に釘付けになっていた。

もともと「史実と絡めた映画」に弱い傾向がある。
イギリスの対アラブ外交を背景にした「アラビアのロレンス」が好きだし、
「プラハの春」に翻弄された男女を描いた「存在の耐えられない軽さ」もいい。
最近で言えば、「グッバイ、レーニン!」は大ヒットだった。
好きなだけに、辛口になる部分もある。
例えば「ラストエンペラー」はとても美しくて面白い映画だったが、
会話が英語だし、いかにもヨーロッパ人の見た中国の歴史、といった趣で、
元来ヨーロッパなどより歴史の古い中国の頽廃と、
(巨大な砂の城を作っては崩しを繰り返したような国だ、)
そこからくる華麗さと洗練の部分が無かったように思った。

ラストまでひっぱられ、エンディングまで圧倒される映画というのは
僕の場合そんなにない。
今回とは違った意味で「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は圧倒されたし、
「ニュー・シネマ・パラダイス」はラストにハラハラとしたカタルシスが訪れた。
しかし読後感ならぬ「観後感」で言うならば、この「覇王別姫」が圧倒的だった。
一夜にしてこの作品は、僕にとって特別な映画になってしまった。

観た時間帯があまりにディープだったからかも知れない。
21歳の感受性がその夜だけ、あまりに無防備な状態であっただけかも知れない。
だが、なぜこの映画を観ようと思ったのかがどうしても思い出せないところも含めて、
今まで観た映画の中でのベストをと言われれば、僕はいまだにこの一本なのである。

陳凱歌はその後「始皇帝暗殺」「北京ヴァイオリン」など、
美しい映像の映画を何本か撮ってはいるが、どれも「覇王〜」を超えてはいないと思う。
そういった意味でも奇跡のような映画と言える。
さらにレスリーの死のエピソードが、
映画の完璧さに伝説を付与する形となったのだった。
たとえそれが、意図せぬ事であったとしても。


あなたは今まで観た映画の中で、
ベストの一本をと言われれば何を挙げるでしょうか?
by shinobu_kaki | 2004-06-25 02:18 | 人生は映画とともに | Trackback | Comments(5)

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