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アート的なるもの。

いわゆる「アート的」なるものに興味がない。
執着がない。
おそらく、どこか理解できていない。

だからきっとこれからも、
この仕事において自分の勝負ポイントにはなるまい。

そもそもファイン・アートというか、
絵画に感動しないんだよ。心が動かない。
これはもうしょうがないね。
僕の中にそういうコードがないとしか思えない。
反応しない。

いや、悲しいとかそういうことじゃまったくなくて、
ないんだよなあ、と思うだけでさ。


なんか、自分に関して色んな事がわかってきたかな。
良い部分も、悪い部分もね。


誰だって、持っていない武器は出せないものだ。


どの部分で勝負するのか。
どの部分で闘えるのか。
by shinobu_kaki | 2007-02-28 20:18 | デザイナーという病 | Trackback | Comments(2)
アカデミーはスコセッシが受賞しましたね。
初受賞だったんだ。大ヴェテランのイメージだったから意外。
そういや「テクニックはあるが才能は北野武に遠く及ばない」とか何とか、
さる高名な映画評論家に言われていたようないなかったような。
ともかくミスター・スコセッシ、どうもおめでとうございます。
受賞作は「ディパーテッド」。作品賞と監督賞をW受賞。
ところで前にも書いたけど、この2賞を分ける意味が僕にはよくわかりません。

うやうやしいと言えばうやうやしい名前の「アカデミー賞」ですが、
今までに自分は受賞作をどれくらい観ただろう?と思って数えてみました。
結論から言うと、20作ほど観ていました。
日本アカデミー賞受賞作は含んでいません。当たり前ですが。
今まで観た20作をリストアップしてみると。


アラビアのロレンス(1962年)
大長編と言えばコレ。ただでさえ207分とかある映画ですが、
さらに長い完全版(227分)をDVDで持っています。

スティング(1973年)
20代の頃に、自分の中で「ムカシ名作ブーム」が来たんですね。
その時に色々観た中のひとつがコレ。でも思ったより響かなかった。

カッコーの巣の上で(1975年)
ニコルソンが出るだけで、その作品はちょっと異様な世界になる気がする。
それだけ存在感がすごいのだ。「ロボトミー手術」というのが怖かった。

ロッキー(1976年)
ラズベリー賞常連のシルベスター・スタローン主演・監督。
今思うと「ロッキー」がアカデミー賞獲ってるっていうのも凄いね。
この年、ノミネートしてたのがスコセッシの「タクシードライバー」。
関係ないけど仙台に住んでたときに、近所のコンビニのお兄さんが、
シルベスター・スタローンに激似だった。仙台のスタローンは元気かしら。

クレイマー、クレイマー(1979年)
18歳の時に観た。今観ると、違う味わいがあるんだろうな。

アマデウス(1984年)
7回は観てるはず。僕も好きだよなあ。
題材といい出来といい、アカデミーっぽいよね。

愛と哀しみの果て(1985年)
ちょっと前に記事にしたけど、こないだDVDで借りて観ました。
大仰なタイトルが似あう映画。とんでもなく素晴らしいアフリカの美景。
こういうのを面白いと感じる感性は、きっと若者のそれではないよなあ。

プラトーン(1986年)
「メジャーリーグ」で好漢を演じたトム・ベリンジャーが、
ちょっと性格の悪い役をやっていて意外に思った、
という記憶があるけれどもどうか。あと、ウィリアム・デフォーのあのポーズね。

ラストエンペラー(1987年)
たしかアカデミー9部門独占だったんだよね。
でも、意外に軽い映画だと思ったな。英語なのも違和感(しょうがないけど)。
溥儀がジョン・ローンっていうのはカッコ良すぎだと思う。

レインマン(1988年)
なんか、すごい好きだった映画。何度も観ました。DVDも持ってる。
主役の二人が並んで歩いているDVD(ビデオ)のジャケットの写真が、
本編内のシーンと逆になっているという変な豆知識を知っています。

ドライビング Miss デイジー(1989年)
地味だけど、いい映画。モーガン・フリーマンはこういうのが似合うよね。
「セブン」とかじゃなくてさ。「セブン」も結構好きですけど。

シンドラーのリスト(1993年)
映画館で観た。感動、というほど響かなかったけども。
あの、モノクロの中にあって1点だけ赤が出てくるシーンが印象的。
ほんっっっっとスピルバーグはあざといというか、上手いというか。

フォレスト・ガンプ/一期一会(1994年)
ロバート・ゼメキスは楽しい映画を撮るよね。
これも好きだが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は本当に素晴らしいと思う。
あれぞエンターテイメント、あれぞ娯楽作。

ブレイブハート(1995年)
歴史ものは好きだけど、これはラストも痛々しいし、もっかい観る気にはなれん。
しかし「パッション」といい、メル・ギブソンはある意味際どい映画を撮るね。

イングリッシュ・ペイシェント(1996年)
とてもいい映画だと思う。ちょうど良い大人の退屈さがある。
この年は「秘密と嘘」「シャイン」などの名作もあったが(どちらも観たのだが)、
まあアカデミー的には「イングリッシュ〜」というのもわからんでもないかな。

タイタニック(1997年)
はい、ちゃんと観ました。DVDだったけど。
まあなんというか、とても良くできたパニック映画だと思う。

恋におちたシェイクスピア(1998年)
これは良作。脚本も見事だし、テーマもちゃんと高尚。
なおかつユーモアもあるし、女優もキレイ(グウィネス・パルトロウ)である。
でもこの年は「ライフ・イズ・ビューティフル」に獲らせてあげたかった気もする。

アメリカン・ビューティー(1999年)
これの良さがいまいちよくわからないのは、僕の読解力が低いのか、
僕がアメリカ人ではないからなのか。

グラディエーター(2000年)
冒頭の合戦シーンが凄かったね。歴史映画ブームの嚆矢。
哲人皇帝の息子・コンモドゥスはやっぱり悪役。歴史って残酷だぁね。

ビューティフル・マインド(2001年)
1年前はローマの剣闘士、この年は実在の天才数学者。
ラッセル・クロウも大忙しです。そんなに上手い役者だと思わないけども。


やれやれ、以上20作、今までに観ているアカデミー受賞作でした。
結構、まだ観ていない有名作品が多いんだよね。
「ゴッドファーザー」シリーズはなぜだか1作も観ていないし、
「真夜中のカーボーイ」「ディア・ハンター」「羊たちの沈黙」あたりは
映画が好きな人なら観てないなんてありえないような作品だ。
あと「ロード・オブ・ザ・リング」もなかなか食指が伸びません。

ちなみに映画館で好きなのは、
恵比寿のガーデンシネマと、渋谷の「ル・シネマ」。
どちらもこぢんまりとした個性的な映画を上映するシアターで、
そういう意味で僕は、アカデミー的ではない作品を好む傾向にあります。
もちろんアカデミー賞を獲るくらいの良く出来た映画も好きですけど。

今朝、会社の朝ミーティングで後輩から、
「今日はなんの日か知ってますか?」と言われて、
普通に「2.26事件」の日、だと思ったらアカデミー発表の日だった。
まったく、日本人なら2月26日って言えば、
「2.26事件」の日に決まっているじゃんねえ、ぶつぶつ。
by shinobu_kaki | 2007-02-26 17:28 | 人生は映画とともに | Trackback | Comments(4)

昨日の夕方、しんどくなって急遽、鍼へ行ってきた。
16時半頃に「この後お願いできませんか」と鍼灸院に電話をしたら、
「17時半からだったら大丈夫ですよ」という返事。
家からちょうど鍼灸院まで1時間ほどかかるので、
電話を切ってからすぐに向かった。ちょっとふらふらしながら。

この先生には20代の頃からもう5年ほどお世話になっている。
だいたいいつも月に1回のペースで通っている。長いつきあいである。
先生曰く、今までの中でコリが一番ひどかったのが最初の時、
そして2番目くらいが今回だ、と言われた。やっぱり疲れていたんだね。
それにしても先週末行ったばかりなのだが、もう耐えられなくなったのは、
この1週間がいかに寝不足&ハードだったかということ。
いくらごまかしごまかしがんばっても、身体は嘘をつけないのである。

先生は「響く」という言葉を使うのだが、
身体に鍼をさすと、場所によってかなり「手ごたえ」を感じるところがある。
寝ている僕が背中で感じるので「手ごたえ」というのもおかしいが、
比較的柔らかい肌と肉の奥に、粘土質のような固い層の箇所があって、
そこに鍼が「ズズッ」とささるような感触を覚えるのである。
この「響いた」手ごたえがあると、まるで地下水脈を掘り当てたようで、
コリの核心に届いた気がするのだ。実際、その後は楽になる。

腰と背中、首までかなり念入りにやってもらった。
ここは鍼をさしてから軽く電流を流すタイプの鍼灸院なのだが、
地下水脈に当たった鍼から心地よいパルスを感じるたびに眠ってしまった。
短くて深い眠りが何度も訪れて、じわじわと身体が回復してゆく気がする。
背中じゅうに張り付いていた鈍く固いたくさんの何かが溶けてゆくようで、
大げさでなく、かろうじて、なんとか命を継いだ感じ。

仕事でMacを使うようになり、2.0あった視力は0.2になった。
鍼にも最低月に1回は通っている。お金だってばかにならない。
まったく労災が下りて欲しいとすら思う。
例えば南の島で何もせずのんびり生きていたら、
これほどまでに治療が必要な身体にはなっていないはずである。
まあ、冗談ですけど。でも、半分くらいは本当にそう思う。

それにしても、と治療中に先生が言った。
それにしても鍼を最初に打とうと思った人はすごい人ですよね。
確かにこれはすごい。だって身体に鍼を入れるんだよ。
刃物を深く刺したら明らかに死んでしまうだろう人体にだよ。
まあ、鍼の起源はもともと尖った石だそうだし、
つらいところを何かで押したら気持ちがいいくらいはわかるが、
それを尖った物を奥までぶっ刺してしまおうというのが大したもんである。
でも死んでしまったら困るから、最初は罪人で試したのかしらん、
とか何とか考えようとしてみたが、とにかく鍼が効いていて思考停止。
ぼーっとしながら電車に乗って帰りましたとさ。

そして、さっそく今日は午後から休日出勤だったりする。
鍼に行っといて良かったなあ。
by shinobu_kaki | 2007-02-25 09:49 | ライフ イズ | Trackback | Comments(2)
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今日は天気も良く、休日らしい休日。
ここんとこの寝不足を取り返すように、午前中はだらだらと惰眠を貪る。

子供の頃は、日曜日の朝の半分夢の中にいるような時間が好きだった。
寒い地方だったので布団や毛布や丹前を何枚か重ね着していたのだが、
朝起きる頃にはそれらはすっかりと乱れて、あっちに行ったりこっちに行ったり、
例外なくグシャグシャになった掛け布団一式に絡まれるようにして目を覚ました。
時間の感覚がなく、時計を見ないとわからないのだがきっと昼前だろう、
しかし確かに今日は日曜日なのだからいつまでも眠っていられる、
そんなゆるくてルーズな日曜日の朝がとても好きだったのだ。
いい加減眠るのにも飽きた頃にゆっくりと起きだして階下の居間に行き、
すでに用意されている朝ご飯だか昼ご飯だかをおもむろに食べる。
細かく刻んだ青ネギの入った卵焼きと、海苔を巻いたスジコのおにぎり。
それが当時の僕の一番のお気に入りのメニューだったのである。

ところでさっき、キッチンでキッチンハイターをいじっていて思ったのだが、
小学生の頃に水泳の授業でプールに入る時、消毒液の小さい浴槽に入った。
肩までザブンと使って身体を消毒する為のものなのだが、
今思うと「消毒液プール」としか言いようのないその小さな浴槽を、
教師も含めた当時の我々は「やくそう」と呼んでいたことを思い出したのだった。
今の今まで何の疑問も持たずに来たのだが、「やくそう」はおかしい。
「やくそう」は「薬草」だろう。ドラゴンクエストのあの「やくそう」だ。
「薬草プール」と言いたいのだろうが、草から液を作っているわけではあるまい。
と、どうでもいいことを考えながら休日の午後を過ごしているのであった。
そういえばウチでは、豚肉の焼いたのを「ビフテキ」と呼んでいたんだよなあ。
今思うと明らかにサギである。ビーフステーキで「ビフテキ」なのだから。
(【追記】「薬槽」なので間違いではない、という指摘がありました。確かに!)

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写真は、今日の昼ご飯。
面倒くさかったので何か出来合いを買ってこようと思ったが、
うっかりスーパーに入ってしまい、野菜やら肉やらを買ってしまった。
ので、ちゃちゃっと作ってしまったのだった。これでいいのだ。
明日は休日仕事だが、今日は完全オフ。寝不足が響いて、まだ眠いね。
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by shinobu_kaki | 2007-02-24 15:58 | ライフ イズ | Trackback | Comments(5)
と書いたのは「山月記」で名高い中島敦である。
ついこないだの記事で僕は「ブログはたき火の前の話のようなもの」と書いた。
要は、書いてはみるけど基本的に文章が残るのは恥ずかしいよねという話だ。
そして今朝、電車の中で開高健のエッセイのような短文を読んでいて、
それと似たようなことを言っている箇所に行き当たったのであった。
「序にかえて」という文だ。前後を端折りつつちょっと引用してみたいと思う。


 短文であれ、長文であれ、私がモノを書くのは決まって夜ふけ、
 それもちょっぴり酒を飲んで精神を一段階上昇させ、
 大胆にならせてもらってから、よろよろと一歩を踏みだす。
 書きあげて出版社にわたすとガックリ気落ちして干潟になったような気持ちがし、
 その文章のでている雑誌なり単行本なりの並べてある新刊書店には
 恥ずかしいやら、やましいやらで、とても入っていく気力が出てこない。
 たまたま書店で自分の名前を見かけると、
 熱いヤカンに触れたようで、チ、チ、チと口走りたくなる。

 開高健「ALL MY TOMORROWS 1」より


芥川賞も受賞した稀代の大作家・開高先生にしてからがこうなのだから、
シガナイいちブログ書きの私なぞ、どうして恥ずかしくないわけがあろうか。
ヤカンどころの騒ぎではない。熱い鉄板である。煮えたぎるマグマである。
耳たぶも溶けるほどの恥とやましさに満ちた、15セントの価値もない駄文である。

そして、このように開高健氏の文章を引用させてもらってあらためて思うのは、
氏の文章は悠々として自由だということだ。自由でいるには自信が必要だ。
ヤカンでアチチとか言っていても、アクティブな意識から来る経験値と情報量、
食や釣りなどの快楽を止めることなく追求し続けているという矜持を感じる。

文章には人柄が出ると言われるが、文章はその人の存在そのものではない。
そして、あの松岡正剛の言を借りれば「この世のすべては編集」なのだから、
文章を書くことも何もかも編集、つまり切り分けというか整理の仕方ということだ。
それは世の中のどこかにすでにある言葉・表現をひょいと持ってくるだけであって、
自分自身が完全な意味で産み出し育んだものではまったくないのである。
ただ、その持ってき方に偏重というか個性がどうしても出るということに過ぎない。
趣味もそうだし、買い物、部屋のインテリアにしてからがそうだが、
とかく「選ぶ」という行為にはその人の嗜好が出るのである。言葉もそうである。

何を言いたいかというと、文章は書かれた瞬間にその人の手を離れるということだ。
それは書いたことに責任を持たない、放棄するという意味ではなく、
つまり文章は文章でしかないのであって、自分自身と完全なイコールではない。
だから、本当はそんなに恥ずかしがることもないのである。

時折、このブログで前に自分が書いたものを読み返したりすることがある。
はっきり言って書いた端から忘れているものもあり、時として非常に新鮮だ。
さらに自分が書いたものなので当たり前っちゃあ当たり前ではあるのだが、
言葉の選び方・運び方が自分の好みとしっくりくるため読んでいて楽しいのだ。
そして、まるでどこか他人が書いた文章を見るようなスタンスで読んでいると、
この人はなんだかやけに自分と気が合いそうだなというか、
いわゆる「オマエはオレか!」といった突っ込みがふさわしく思えるのである。

過去のもの全て、改めて読み返すとぎこちない文章だし、誤字や踏み損ねた韻や、
そもそも間違っている文法であるとか、事実誤認など色々見つけて嫌になるのだが、
照れと恥ずかしさと軽い後悔を伴いつつ、読み返すという行為はわりかし楽しい。
by shinobu_kaki | 2007-02-23 15:59 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(2)

夜の空気。

今日は久しぶりに平日に料理を作ろうと早めに帰って来た。

早めにとは言っても会社を出たのが夜10時半、
連日終電帰りの一日平均4時間睡眠コースの最近からすると、
まあ比較的早いというだけの話だ。

一旦家に帰って、自転車に乗って隣駅の駅前へ向かう。
会社に着ていったフード付きの黒いハーフ丈コートのまま、
深夜0時の閉店時間まで煌煌と灯すスーパーまで約5分。
少しひやりとするものの、どこか空気のなまぬるい夜を走って行く。
2月の夜風が水の抵抗のように身体をすり抜ける。
道に人の姿はほとんどない。
解放された子供のように意味もなく高揚する。

スーパーで料理酒、ガラスープ、豚肉、キャベツ、エリンギ、ビールなどを買う。
レジのパートの女性も暇そうだ。迅速に会計をしてもらう。
時計は11時半を回っている。これから帰って晩ごはんを作るのだ。

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豚肉とタマネギ、エリンギにキャベツ・長ネギを出汁と醤油などで煮込んだもの。
シンプルで簡単だが、野菜がたくさん摂れるし、何より美味しい。
適当にドカドカ放り込むイメージだが、まず失敗するという心配がない。
というわけで、今までもちょくちょく作っていた名前のない料理。
久しぶりに作って食べる。ニンニクを少し入れ、卵を落としてみた。美味しい。

慢性寝不足にはビールが回る。とたんに瞼が重くなった。
明けて明日はもう金曜だ。今週はやけに早い気がする。
ポストにTSUTAYA DISCASからDVDが届いていた。
「八つ墓村」と「ゴーストワールド」だった。
「八つ墓村」は正月に横溝正史の「犬神家の一族」を読んだからだ。
金田一シリーズの映画を観てみたくなったのである。
そして「ゴーストワールド」…「ゴーストワールド」はなぜ借りたのだろう?
なんだかよく覚えていない。それにしても今日はすごく眠い。
まあ、無理もないか…。
by shinobu_kaki | 2007-02-23 00:57 | ライフ イズ | Trackback | Comments(13)
黒田硫黄「セクシーボイスアンドロボ」が
日テレでドラマ化されるらしいですね。
あんまり知名度のない漫画だと思うけど。

キャストは、ロボに松山ケンイチ。
映画版「DEATHNOTE」で“L”を演じて好評だった人です。
あ、「DEATHNOTE」はまだ後編だけ観てないな。
ルックスとかキャラクターで見れば、まあ別物ですよね。
原作のまま、もっさりした男を持って来てもしょうがないのだが、
「漫画は漫画、ドラマはドラマ」として、
解釈を新しくして製作したほうが良い物になる、
そして人気が出るんじゃないかという判断なのでしょう。

あと、なぜか端役に追いやられたニコを演じるのは、
大後寿々花。「Dr.コトー診療所」とかに出ていた子らしいんだけど、
ドラマのたぐいは一切見ていないのでわかりません。
映画『SAYURI』にも出ていたみたいですね。ハリウッド女優だ。

黒田硫黄は人によって好き嫌いの分かれる作風だと思うけど、
面白いことに、自分の中でも作品によって好き嫌いが分かれています。
『大日本天狗党絵詞』は嫌い、
『茄子』『セクシーボイスアンドロボ』はかなり好き、
今、アフタヌーン誌で連載中の『あたらしい朝』は嫌い…というふうにね。
嫌いというか、あまり読みたいと思わない、読んでも入っていけない、
読み返そうと思わないといったニュアンスです。
同じ人が書いていてこれほど感じ方が違うというのも面白い。
例えば幸村誠「プラネテス」はすごく面白くてコミックスも持っているが、
アフタヌーン連載中の「ヴィンランド・サガ」に関しては、
何度トライしてもなかなか入って行けない。そういうのってある。

吾妻ひでおが「うつうつひでお日記」の中で、
「黒田硫黄は日常を書くのが上手すぎてイヤミ」
みたいなことを書いていたような気がするけど、確かにとても達者な作家である。
なんかね、あまり冒険活劇みたいなテンションのものを書いても、
「バカ度」が足りない故に(褒めています)、イマイチ乗り切れないんだよね。
いつもどこか淡々としていて、それが逆にこの人の凄さだと思ってますけど。

しかし、昨今の「なんでもかんでも実写化」の風潮はすごい。
確かに、漫画が優れた既存コンテンツであることはわかるけれども。
これで漫画家が潤って、人が集まって、いきおいレベルが上がるなら、
漫画界にとっては幸せなのかもしれないけどね。
マクロ的に見て、世の中にコンテンツが不足しているということなのかな。
by shinobu_kaki | 2007-02-20 08:57 | エウレーカ! | Trackback(2) | Comments(2)
夜、例えば何人かでたき火をしていて、
普段だったらあまり言わないようなことをぽつりと言いたくなる、
そんなシチュエーションがあるじゃないですか。

や、
「たき火なんてしたことないよ」なんていう人も多いだろうけど、
そーゆー人は想像してみてください。
ね?あるじゃないですか(強引)。

そして、その時に話されたことというのは、
なんというかその場かぎりのささやかな「告白」であって、
気持ちの奥のほうからふと引っぱりだしてきた柔らかいもののように、
すぐに引っ込んでしまって、そうそう表に出てくるものではない。
次の日の朝、
「ねえねえ、昨日の夜の話だけどさあ」とやられると、
ちょいと興ざめというか、「恥ずかしいからやめてくれー」となる。
そんな種類の話というのがある。

少なくとも僕にとっては、
ブログに書いていることはそれだな、と。

もちろん内容にもよりますけど。
サッカーの話なんかむしろ昼からしたいしね。
読んだ本とかもそうだし。
こういう話はどしどししましょう。
むしろしてください。お願いします。

そーじゃなくて、ちょっとイタイ話、
気恥ずかしくて口で言うのはちょっとはばかられる、
かなり親しい人と飲んで、「酔ってるしいいかあ」なんて時に、
忘れてくれること前提で話してみたりとか、
そんな話も織り交ぜて書いているわけです。

だからナニ、とゆーわけじゃないですけど、
ここを読みにきてくれる人は、
夜、たき火の前に来てちょっと飲みながら、
「こういうの照れるから、ここだけの話ってことで。でも話したいんだ」
なんて言い訳しながら話している、
そんな状況を思いながら読んでくださると嬉しいね。

だって、
たまにリリカルというか、ナイーブなこと色々書いてるけど、
実際に会ったらきっと僕はそーゆー人間じゃないしさ。
by shinobu_kaki | 2007-02-18 12:19 | ライフ イズ | Trackback | Comments(4)

書簡的。

おはようございます。
元気?

静かな週末、日曜日の朝ですね。
僕はいつもどおり9時くらいに起きて、コーヒーを飲んでいます。
そちらはいかがですか?
昨日が遅かったから、まだ眠っているのかな?
まあいいや、話を続けます。

日曜日の朝というのは、
1週間の中でもけっこう好きな時間帯です。
静かで、ゆっくりしていて。
もちろん金曜の夜や土曜の夕方の
「さあ、飲みに行こう!」みたいなアクティブな雰囲気も好きです。
でも、人間そんな片一方でできてるわけじゃないですからね。
自分の中に幼児もいれば老人もいる。
僕は男性だけれど、女性の要素だってあるかもしれない。
そういうことです。あなただってそうでしょう?

今朝は雨が降っています。
雨が降ると寒いし、行動も制限されてしまうから嫌いなんですけど、
こんな時間帯の雨はなかなか悪くないもんです。
特に、暖かくして家の中でじっとしている時の雨は。
なんというか、上手く言えないけれど、
柔らかい繭につつまれたみたいな気持ちになります。
しんとして、セーフティな中に一人いる状態。
子供の頃、どしゃ降りの日に車の中にいる時って、
不思議な安心感を感じたけれど、あれに近いのかな。

本は相変わらず1週間に3,4冊は読んでいます。
でも昔読んだ物を読み返すことも含んでいるので、
厳密に3,4冊とは言えないのかな。
プラス、雑誌や漫画っていう感じだね。漫画は癒しだと思う。
今は暇を見てゲームもやっています。
昔のサッカーゲームを延々やってみたりしてね。
例えば中国とかの弱いチームでブラジルに勝ったりとか、
そういう建設的でない行為を脳が求めている感じ。
ゲームって建設的じゃないでしょう?でも、それがいいんだよね。
意味のあることばかりだと疲れてしまいます。

何か、大事なことを書こうとしたんだけど、
こうやって書いているうちに忘れてしまいました。
きっと、忘れる程度のことだったんでしょう。
思い出したらまた書きます。

あ、そうそう、今日は携帯を買い替えるつもり。
いくら何でもデザインや機能が古すぎて、
この無頓着な僕ですら、ちょっと持ち物としてどうかと思ったんです。
もちろん番号は変わりません。

さて、これから昨日のカレーを温めてごはんにしようと思います。
カレーは翌日が美味いということもあり、楽しみです。
そちらはどうですか?ちゃんと食べていますか?
忙しいと食事もおろそかになりがちだけど、
人は食べる物でできているんだから、ちゃんと食べないとダメだよ。

最近、きちんと眠れるようになったと聞いて、すごく嬉しく思いました。
ずっと心配だったんだよ。本当に良かったよね。
お風呂も、シャワーだけじゃなくてちゃんと湯船につかってね。
お酒が弱くなったと言っていたけど、それは、いいんじゃないかな。
身体だけはお大事にしてください。
元気な時って健康のありがたさになかなか気づかないものだからね。
なんて書くと、それこそ老人みたいだけれど。

また、便り出します。どうかお元気で。
それでは。
by shinobu_kaki | 2007-02-18 10:02 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)
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ほとんど一息に読んだ。
中田英寿はすでにあらゆるメディアで語られている感があるので、
そういった意味ではとりわけ新しい情報のある本ではない。
ただ、中田英寿がプロサッカー選手を引退し、
世界をめぐる旅から帰った後にまとめられた一冊なので、
中田英寿という一個人の、サッカー界における
ほとんどすべての時期をカバーした形になっている。
その意味での価値はあるのかもしれない。

僕が個人的に興味深く読んだのは、
98年フランスW杯のチームについて語られた箇所だ。
この大会で中田は、レギュラー最年少ながらチームの中心として君臨した。
つまり、この時の代表は「中田のチーム」だったのである。
とりわけ当時の中盤を構成した3人、
すなわち20歳の中田英寿、24歳の名波浩、28歳の山口素弘。
彼らはそれぞれ、98年代表の中盤について特別な思いを抱いている。
「世界にもまったく引けを取らない、最高のトリオだった」
と考えているのだ。それが面白かった。

中田英寿について、山口素弘のコメント。
「僕は、あの2人とあの中盤を形成できたおかげで、
いまもパスに込められたメッセージというのを
深く読み取れるようになったと思っている。
一昨年に、新潟でチャリティーマッチが開催されたとき、
久しぶりに名波とプレーして楽しくて、
ああ、ヒデがいればなあ、と思っていた。
そう思える場所を自分が持てたのはヒデのおかげで、名波の力。
いまも変わらない誇りだ。
ヒデが残してくれたのは、フィジカルも強くはない、
テクニックだって最高峰ということではない、
しかし意志の強さがサッカーを変え、時代を切り開くということだった」

中田英寿について、名波浩のコメント。
「いまも頭の中に描ける、完璧なトライアングルだった。
本当に、何千、何万のパスを交わしたか分からない。
お互いの妥協できるところを何とか見出して、
それを磨いていく楽しさはいまでも覚えている。
彼が日本サッカーに教えてくれたのは、フィジカルの強さであり、
ボールスピードを上げるという世界への視野であり、
勝つためのメンタリティというものだった」

山口素弘について、中田英寿のコメント。
「モト(山口素弘)は本当に上手いし、モトが一緒にいてくれたからこそ、
僕も、名波も安心して前に出られたというのは、今でも強く思っています。
本当に感謝している。」

そして名波浩についての、中田英寿のコメント。
「サッカーにおいて、そして代表という特別な部分において、
アイツ(名波)以上に僕と同じ感覚でサッカーをやっていた人間、
一緒にやれた、というか、意思が通じた人間というのはいない、
と僕は思っています。
普通サッカーのコミュニケーションの場合は、
アイコンタクトがあったのちにパス、となりますよね。
だけど、彼との場合は、そんな確認はしなくとも、
あ、ヤツなら次はこういうプレーをするだろうな、
って予測の上で動き出すことができた、本当に唯一の人間で、
だからやっていて本当に面白かったし、
名波とは、アイコンタクトさえしなかった。
彼とプレーするのは、僕の中では本当に一番楽しくて、
相手を見ないでバックパス、後ろに流してしまっても必ず彼がいて、
普通はそんなことなかなかできないんですが、
彼とは本当に簡単にね、そんなパスをすることができました。
あれ以上に、コンビというものを一緒に組めた人間はいないって、
今も思っている。98年から後、プレーを一緒にする機会がなくて…
彼もひざの怪我をしてしまったのを本当にすごく残念に思っていました。
もし、名波が一緒にいてくれたら、代表のサッカーも、
僕のプレーもまた全然違っていたんだろうな、
とずっと思っていますけどね、今でも。
あの中盤は、僕の中では一番楽しかった中盤でした。
『キャプテン翼』ではないけれど、僕は翼だ、と思っていたら、
名波はいつも岬くんのような存在で、必ずヤツがいる、という風にね。
意思の疎通なんて考えることもなかったから」

「僕は98年W杯の世代の人間」と言ってはばからない中田英寿。
彼は29歳でを引退してしまったが、
名波と山口は今年も現役としてプレーしている。
by shinobu_kaki | 2007-02-17 20:53 | shinoBOOKS | Trackback(1) | Comments(0)

移動祝祭日


by Shinobu_kaki