<   2008年 10月 ( 29 )   > この月の画像一覧

思いの置き換え作業。


言葉って「思いの置き換え作業」なんだ。
今日、改めて実感した。

だから一種の技術、スキルなんだよね。
言いたい事を高確率に、上手に伝達できるというのはね。
by shinobu_kaki | 2008-10-29 17:01 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

レッドクリフ

ジョン・ウーの「レッドクリフ」が気になっているんだけど、
曹操役は張豊毅(チャン・フォンイー)なんだ。
ますます観たくなった。

この人、さらば、わが愛/覇王別姫の段小楼役が良かった。
あの、タフそうに見えて弱い感じが。

曹操を演じる人には、どこか非道な部分が必要というか、
ピカレスクの仮面をちゃんとかぶらないといかんと思うけど、
張豊毅(チャン・フォンイー)の曹操はどうだろうか。

一説によると、この「レッドクリフ」の曹操役を
渡辺謙が演じる話があったらしい(びっくりである)。
まったく合わないと思うんだけどねえ。

ソースはいつものウィキペディアです。
♪そう、ウィキペディアに書いてあった〜(書いてあった〜)

↑分かる人だけクスッと笑ってください…。(モーニングの読者とか)
by shinobu_kaki | 2008-10-28 12:22 | 人生は映画とともに | Trackback | Comments(6)

朝らしい朝と信頼関係。

今朝は朝らしい朝だった、と思う。

どのへんが「朝らしい朝」なのか、と言われると、
実は自分でもよく分かっていない事が露呈するのだが、
あえて言うならば「陽射しがまぶしかった」とかになるだろう。
朝が朝を主張していたのだ。

なんせこの土日ともに一日中薄曇りで、
昼間でもどこかぼんやりした天気だったからね。
駅前や、娘の生まれた病院のほうへお出かけなどしたものの、
基本的には完全休養という感じで、
ほとんど全てをシャットアウトして過ごしていた。
そのせいか、あっという間に日曜の夕方になった気がしたね。

娘は最近、ゴキゲンな時にニコニコと笑うようになってきた。
赤ちゃんの笑顔というのはとにかく可愛いくて、
破壊力抜群、とにかく参ってしまう。
しかも自分の娘がこちらをじっと見てニコッとするのだから、
日々の疲れがその瞬間、雲散霧消するほどのチカラがあるですよね。


人の少なく、広々としたショッピングセンターで、
べビーカーを押しながらぼんやりと考えていた。

どんなにその人のことを理解したと思っても、理解しきれるわけはない。
例えば、ある小説家の著作を全部、何度も読んだとて、
その作家の「小説でもって表現された一部分」に触れたにすぎない。
人間は日々変化している。細胞も入れ替わっている(らしい)。
時間が経てば、その人自身を取り巻く状況も何もかもが移ろっていく。
情報というのは宿命的にいつも古いものだ。
その瞬間に触れた情報、それは常に「過去の情報」でしかありえない。
他人に対して我々は、その影や轍を確認することしかできないのだ。

かつて作家の平野啓一郎は自身のブログで、
「小説を通して自分の“複数性”を理解されつつある」と書き、
それが「感動」的である、と続けた。
「他人の複数性を理解する」という言い方は、
すごくよく分かる気がする。

ちなみに他人に対する信頼関係というのは、
「こういう時にこれをしてくれる」という部分で発生するのではなく、
「こういう時でもこれを絶対にしない・言わない」という、
「やらない部分」の証明において確立されるものだ。

この人はこういう部分もある、
でもこういう部分もあると認識した上で、
それでもコレはしないので信頼できる、というのが、
正しく健康的な信頼関係という気がする。
だからどうだ、という話でもないですけど。
by shinobu_kaki | 2008-10-27 12:57 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

選ぶ。




何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。
by shinobu_kaki | 2008-10-25 14:31 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

ブレイクタイム。

ふう、やっと週末…という感じ。

なんとか生き延びたというか、
繋いだというか、
絶対的に必要な、
給油タイムとしての週末。
自分にとっても、家族にとってもね。

アイデア出しの宿題仕事はいくつかあるけれど、
それでも家にいられるのはありがたい。

朝起きてすぐ、
なぜかニコニコしている娘を眺める。
コーヒーを入れ、嫁と2人で飲む。
娘はもぐもぐと授乳をしている。
コーヒータイムの3人である。

昨日の夜、ずいぶん久しぶりの友達からメール。
音沙汰がないので心配していたが、
「メアド変わりました」で生存確認。
おお、元気だったのかなあ。

「メアド変わりました」メールは、
かつての「住所変わりました」ハガキと同じだね。
生存確認できる貴重なタイミング。

娘は朝と夕方、機嫌がいい。
満面の笑みでニコニコ。
タレ目なので笑顔が柔らかい。
こちらもつられて笑ってしまう。
by shinobu_kaki | 2008-10-25 08:48 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

アイドル不在の時代。

こないだの「アイドル不在」の話の続き。
現代では、かつての文脈での「アイドル」は存在し得ず、
だいたい何かしら「手に職」をつけている気がする、と書いた。
まあ昔も「アイドル」という職業があるわけではなくて、
だいたいがみんな歌を歌わされるために肩書きは「歌手」であった。

そして知り合いが言った。
「アイドルの定義は、道を普通に歩けないことだ」と。

なるほど、そうかもしれない。
多少有名な女優が道を歩いていたとして、
「ちょっと、あれ女優の○○○○じゃない?」
「えっ、えっ、ホントだー!顔ちっちゃーい!」
などと、遠巻きに言われるのが関の山だろう。
その程度の注目度ではアイドルなどと呼べない。

知り合いはさらに言った。
「なんか、キャーキャー言われる人が、アイドルだ」と。

そうなのだ。
言ってみればアイドルかどうかというのは、
「オーディエンスの温度」によって決められるとも言える。
古くはビートルズ。その女性ファン達は歌そのものよりも、
彼らが歌っているという事実に熱狂し、卒倒し、時に失神した。
ここまでくれば誰が何と言おうと彼らはアイドルなのだ。

つまりアイドルとは言わばレベルのようなものだったのだ。
彼を、彼女を、熱狂的盲目的に捉えるファンがいるかぎり、
その人はアイドルと呼ばれるものとなる。
それはさながらファシズム体制における為政者の存在と重なる。
カリスマは、その人をカリスマと呼ぶ周辺の人々によって、
初めて存在することができるのだ。

例えばジャニーズなどの男性アイドルはいるが、
女性アイドルが思いつかない、という現代の状態は、
この「アイドルは周辺が決める」という構造で説明できる。

ポイントは「キャーキャー言うのは女性のみの特権」ということだ。
男性アイドルがいる。女性が騒ぐ。握手を求めに駆け寄ったり、
何か言葉を掛けに近寄る。または大勢で取り巻く。これはいい。
韓流ブームの嚆矢、○ン様ブームを思い出すといい。
だが、同じ事を女性アイドルに対して男性が行なうとどうだろうか。
これは実に不公平だとは思うのだが、
なんか一気に犯罪っぽくなってしまうのである。
「ファンが、キャーキャー騒いで取り巻く」
ということを(旧時代的な)アイドルの定義とするならば、
その行為自体が男性にとって微妙というか、どこか許されていないのだ。
だから、女性アイドルが存在し得ないのは時代の必然なのである。
「行動力のある、かなりの熱狂的ファン」と「ストーカー」は、
限りなく近い意味合いで語られてしまうのが現代という時代なのだ。


というわけで、いんちきな考察はここまで。
真剣にこういうの研究している人、
怒って反論メールとかしてこないでください。ね。


さて、雨の金曜日ですね。週末は晴れるかな。
by shinobu_kaki | 2008-10-24 12:33 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

silent mind.




なんだか、静かだね。
by shinobu_kaki | 2008-10-22 11:38 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(4)

Sophisticated showtime.

今朝、新聞を読んでいて一番印象的だったのが、コレ。

歌舞伎座「建て替え」再来年4月公演が最後

もちろん歌舞伎座が消滅してしまうわけではなくて、
老朽化のために3年間をかけて建て替えるというだけ。
ただ、「今の」歌舞伎座は無くなってしまうわけですね。

僕の趣味の中に「歌舞伎鑑賞」というのは入っていない。
でも、3度ほど、歌舞伎座で歌舞伎を観た事はある。
これはかなりハッキリと「興味本位」というニュアンスだ。
つまり、国会議事堂を間近で見てみたいとか、
東京タワーに登ってみたいとか、
そういったオノボリさん的意味での歌舞伎鑑賞であったと思われる。

1度目は、歌舞伎俳優と知り合いだという、
世田谷のとある飲食店の店主と一緒に観に行った。
いわゆるアリーナ席で、11列目とかそのへんだったな。
その、知り合いだという歌舞伎俳優に会えるかと思ったが会えなかった。
本当に彼が友達だったかどうかは今にして思えばわからない。

2度目は1人で行ってみた。いわゆる一幕見席という安い席で、
その時の演目が何だったかも忘れてしまった。
でも、すぐ横に座った客が突然「紀伊国屋ッ!!」とか声を張り上げて、
なんだかものすごくびっくりすると同時に、
そうか、ここの人がやってたんだなあ、これ常連じゃないと無理だよな、
でも常連だといくらなんでもお金がかかり過ぎるから、
こうして安い席で回数を観に来てるんだな。などと思ったものだった。

もう1回は、同じく一幕見席に弟を連れて見に行った。
当時ヤツは演劇をやっていたからね。勉強になるだろうと思って連れてった。
8月の納涼大歌舞伎というやつで、勘九郎がすごかったな。

一幕見席へはものすごく急な階段を登って行く。
建て替えられたらそのへんもバリアフリー的になるんじゃないか。

歌舞伎ね。前に会社のオゴリで能楽堂へも行った事があるけど、
自分でこういう、いわゆる日本的伝統芸能を観に行きたくなる時期って、
果たしてくるんだろうかと思っている。高いしね。
わかりづらさの壁を超えちゃうとすごく面白いのかもしれないけど。
ミュージカルほど分かりやすくないからね、日本のこういうのは。
ある意味すごくソフィスティケートされてるとも言えるけど。
by shinobu_kaki | 2008-10-21 11:18 | エウレーカ! | Trackback | Comments(2)
消耗と疲弊が気力を奪う、と思う。
なんて賢しらというか難しげに書いているけど、
要するに心身が本当に疲れるとやる気がなくなるよね。
僕は疲れが顔や態度にけっこう出るし、
疲れてしまうと色んなことが上手く出来なくなることを自覚してるから、
なるべく疲れないように、と思って日々を過ごしている。
もちろん、自分ではどうにもできないこともあるけど。

先週の仕事のたて込み方がけっこうこたえたな。
くだらない、不必要なやりとりなんかもあったりして、
週末の休みは一回挟んだけれど、まだ疲弊感から抜けきっていない。
仕事をセーブしないとあかん、と思ったのは久しぶり(確か…)。

自覚、ということで言えば、
自分自身の中のレベルの話だが、
疲れないでしっかりしていられさえすれば、
なんだかんだと上手く進めることができる部分があるのも知っている。
こう見えて、多少の事は乗り越えるだけの強さも無くはない。
だから自分の仕事における一番のポイントは、「疲れないこと」。
コレに尽きるのだ、僕の場合は。

精神的な回復をはかるために。
やり方はいくつかある。
さて、どれを試そうか…と思える時点で、
少し回復傾向ということでもあるけどね。

普段のふるまい、対人関係つまりコミュニケーションにおいて、
「元気」というか「覇気」が、いかに大事かってこと。
前のめりの気持ち。
by shinobu_kaki | 2008-10-21 07:34 | ライフ イズ | Trackback | Comments(2)

バーター。

きっと分かっておいたほうがいいのは、
とかくこの世はバーターである、ということだ。
何かを得たならば常に何かを捨てなければならない。
もらいっぱなし、というのはあり得ない。
例えばその時のプラスマイナスの種類や量、
そして重要度の差にはもちろんブレというか違いはあるにせよ、
入ったら出る、得たら失う、逆に失うことで得ることがある。
そんなふうに観念的な出納帳は更新されていく。

ところで昨日は圧力鍋を駆使してうんと美味しい角煮大根を作り、
(本当に「かなり」美味しくできたと思う)、
うんと早く眠り(10時過ぎには寝ていた)、
うんと早く起きて(午前4時半くらいか)、
出勤までのわずかな時間、娘の相手をしていた。
ふいに、娘がニコニコと笑いかけてくれて、
そうするとまるで魔法のように救われた気持ちになる。
これだけで早起きの甲斐はあったというもの。
いやあ、子供ってスゴイですね。
by shinobu_kaki | 2008-10-20 10:46 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

移動祝祭日


by Shinobu_kaki