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溺愛タイム。


【溺愛】
相手を客観的に見る目を失い、むやみにかわいがること。盲愛。
「娘を—する」


お互いに(!)ご機嫌な朝などは、
起きたばかりの5ヶ月の娘と遊んでから出社である。

それにしても「溺」愛とはよく言ったものだ。
漢字としてはさんずいに弱いと書くので、
水もしくは水関係の何かにやられている様子が思い浮かぶ。
この場合は字義通りの水に溺れる苦しさを伴うアレではなくて、
辞書にあるように周りが見えなくなるというニュアンスが近いようだ。
要は「夢中で」といったようなことなのだが、
溺れる様子は本人の苦しさとは無関係に滑稽に見えるものなので、
ニュートラルもしくは肯定的な意味の「夢中」に比べると、
多少は自虐的または侮蔑的なニュアンスがなきにしもあらずである。

今までの娘の歓迎されざる特徴として、
「飲んだチチをすぐに口から出す」というのがあったが、
最近はそーゆーことも減ってきた。
そしてアウアウと何か喋っているし、よく笑う。
「笑わせようとして笑ってくれる」というコミュニケーションが成立するのだ。
これは一見当り前のようではあるが、
初期の乳児というのは自分と他者の区別がついていないとも言われ、
普通に子供に対して行なう「あやす」という作業が、
こちらの思い通りには受け取ってもらえないのである。

それにしても「子供の笑顔」というのは、
なんというか、強烈に嬉しいものなのですね。

おまけ。
赤ちゃんのストップモーション映像で萌え死んだ


そんなこんなで家を出て、今日はしっかり雨なのでバスで駅まで。
最寄りのバス停で待っているとそのうちにバスが来たのだが、
「黒い三連星」ならぬ四台のバスが続けてやってきた。
そんなに一度に来られても困ってしまう。電車かよ。少しバラけようよ。
by shinobu_kaki | 2009-01-30 11:01 | パパなのだ。 | Trackback | Comments(0)

比喩としての疲労。


Adobe PhotoshopとAdobe Illustratorを
古いマシンで同時に立ち上げて作業しているような感じ。
やたらメモリを食い、動作スピードが遅くなる感じ。

さらにプレビューの拡大、縮小。
配置画像ファイル満載のままテキストの打ち変え、などなど。
比喩としてのアプリケーションを作動させる。
脳は本当にPCに似ている(逆かもしれない)。

前にも書いたかも知れないが、
コンピュータにまつわるあれこれには、
どこか神的なものを感じる。

そんなこんなで、帰ったら上手く喋れない。
頭の中がフリーズしているようで、
呂律がまわらず、言葉が出てこない。
妻に酔っ払いと思われたようだ(そりゃそう思うよね)。
だが、この日の僕は酒など一滴も飲んでいなかった。

大したハードワークとも思えないんだけど、なんだろうね。
「脳は疲れない」と言った人がいたな。本当か?

さらに、今朝の行動。
by shinobu_kaki | 2009-01-29 15:31 | ライフ イズ | Trackback | Comments(2)
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この高尾山のポスターには個人的に違和感がある。
もちろんそれは、
「高尾山の広告でありながら富士山がビジュアルであるところ」だ。

確かに富士山は日本のシンボルともいえる霊峰であり、
認知度的にもワールドクラス、まさに第一級の山である。
標高も日本最高の3776mを誇っている。

対して高尾山は、標高もケタが変わって599mと低い。
親しみやすさはあるものの、山としての風格は富士山に遠く及ばない。
2007年度版のミシュランで三つ星を獲得したことにより、
観光客が激増しているという高尾山だが、僕はまだ登ったことがない。
「ハイヒールでも登れる」と言われる難易度の低さが特徴である。
ヒールで登山はいくらなんでも危ないと思うのだが…それはさておき。

そんな比較用のデータを持ち出すまでもなく、
高尾山のポスターに富士山が堂々と登場しているのは、
高尾山にとって富士山が明らかに「別格」だからにほかならない。
僕などは、同じ「山」なのだからそんなに卑屈にならんでも…
なんて思ってしまう。だが、高尾山の観光地としての魅力を挙げた時に、
「日本一の山がよく見える」というのは、プライド云々は別にして、
やはり外せないトピックスだったのかもしれない。

京王×高尾山スペシャルサイト


ちなみに高尾山の広告に起用されているタレントは広末涼子である。
それもかなり控えめな扱いと言わざるをえないのだが、
高尾山の広告における主役は、あくまで高尾山の自然そのものだったり、
そこで生まれるコミュニケーションなのだから当然であろう。

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広末涼子は一時期の低迷から抜け出し、仕事は現在好調のようだ。
出産・離婚を経て、すっかり「みそぎ」が終わったように感じられる。
最近では映画「おくりびと」が高評価を受けていることもあり、
女優としての活躍も目覚ましい広末涼子である。

もともと広末はクレアラシルのオーディションから出てきた人で、
P&Gや明治製菓などのCMからそのキャリアが始まっているが、
まずヤングジャンプのグラビアで大きな話題となり、
そして何といってもNTTドコモのポケベルの広告でブレイクした。
まだ全国区的メジャーとは言えなかった彼女の知名度を逆手にとり、
「広末涼子、ポケベルはじめる。」というコピーで、
広末自身の名前とともにドコモのポケベルは世に広まっていくという、
商品とタレントが、言わば幸福な関係を実現した広告だった。

その後、自己推薦枠による早稲田大学への入学があり、
これはバッシングの対象となった。
叩かれた理由としては、早稲田大学というブランドの持つ高偏差値の部分が、
彼女に対するイメージとマッチしなかったからだと僕は思っている。
タレント・広末涼子のかつてのパブリックイメージは、
「清潔」「元気」「親しみ」「透明感」「娘もしくは妹ないしは後輩」、
つまり「エロティシズムを(あまり)伴わない可愛さ」であり、
「知性」の要素が割り込む要素はあまりなかったからである。
国民的人気と言われるほどにブレイクするには、
そのタレントのどこかに「バカ要素」がなければならない。
隠れた知性が垣間見えるのは良いのだが、「知的」ではダメなのだ。
そういう意味でも彼女のデビュー曲「MajiでKoiする5秒前」はとてもいい。
(ちなみに調べてみたら、作詞作曲は竹内まりやだった。へー)

そして広末涼子は「ヒロスエ」と名字で呼ばれがちである。
これを見ても彼女が、いわゆる「(性的要素を含んだ)メスとしての女」よりも、
もう少し違う部分で勝負してきたと思わせるものがある。
(参考)ファーストネームで呼ばれる女性について。

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その後の「奇行」報道などでネガティブなイメージのついた広末に、
からだ巡茶の「広末涼子、浄化計画。」というコピーはシニカルに響いた。
NTTドコモのポケベルもそうだが、広末自身の近況ありきで、
広告の企画が作られていたという現象は面白い。逆に言えば広末は、
広告制作者にとってそういう事をしたくなる存在ということだ。

広末は高尾山のみならず、京王グループのキャラクターらしい。
確かに「高尾山限定」にするにはもったいない知名度である。
by shinobu_kaki | 2009-01-28 11:41 | デザイナーという病 | Trackback | Comments(0)

名前の話。

今朝読んだ日経新聞「春秋」の項が面白かった。
(以下、敬称略)

シンガーソングライターの陣内大蔵の家族の名前について。

父親が「厚生(あつお)」。
長男が「大蔵(たいぞう)」。
次男が「文部(あやべ)」。
三男が「自治(おさむ)」。

そう、日本の省庁の名前になっているのだ。
名付けは父親の厚生さんによるもの。
そして飼っている犬が「総理(そうり)」という、
シニカルなオチまでついている。
さらに四男が生まれたら「通産(みちお)」とつけるつもりだったらしい。
なんという親であろうか。

残念ながら2001年の省庁再編で各省の名前は変わり、
陣内家の家族は「省庁の名前」ではなくなってしまった。
「厚労」「財務」「文科」「総務」じゃあ、
いかにも人の名前にはなりづらそうだものね。
「厚労」で「あつろう」ってのも、ねえ。


生後5ヶ月を10日ほど過ぎたウチの娘の名前は、
妻がつけたものだ。
僕も色々と候補を考えて相談したのだが、
僕から見ても、妻の考えた名前が良いと思ったのである。
そして、今ではその名前以外はもう考えられない。
もともと人為的に与えられたはずの名前という記号が、
娘の存在自体とすでに分かちがたく、
まるではじめからあったかのような心地よさで定着している。
実に面白いものである。
by shinobu_kaki | 2009-01-27 13:30 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

あの言葉を探している。


飯島愛の訃報に触れた時に、
同世代(というかほぼ同年齢)ということもあり、
何か書き記したいと思っていた。
あの、やるせないような寂しいような、
そしてどこにも行き場のないような気持ちをである。
これは非常に「ブログ的」な行為と言えると思う。

そこで、とある小説のフレーズを思いだし引用することにした。
自分自身の稚拙な言葉でもってあれこれ綴るよりも、
文章のプロの手になるその見事な一説を引用するほうが、
よっぽど僕の心境を代弁してくれるだろうと思われた。
それは男性2人の会話文だった。

しかし最後の一文、最後の一言は憶えているものの、
その前の一節がどうしても思い出せなかったのである。
悪いことに、その一節がなければ最後の一文の意味がわからない、
意味として成立しないタイプの文章なのだった。
あいにくネットで検索しても出てこないし
(インターネットにはすべてがあるわけではないのだ)、
家にある「これは」と思う本をめくってみても見つからない。
そうこうしているうちに、
飯島愛の訃報について書くべき時期は過ぎ去ってしまった。
もちろん回想としてならいつでも書けばいい。
だが、その報せを受けて最初に感じた手触りというか、
その場で感じた思いを「自分に嘘のないように」記すには、
もはやその言葉以外にないように思われた。


その言葉とは、

「ただの女の子だったんだろ」

というものだった。


その小説も、とある女性の訃報に触れた話だったと思う。
僕の記憶が正しければまさに、今回のニュースと状況的には酷似していた。
小説内の女性は、亡くなる前に(確か)コール・ガールか何かをしており、
共通の知り合いである男性2人が女性のことを話している。
そう記憶しているつもりなのだが、何しろきちんと憶えていない。
まったく違う内容だったかもしれない。
あえてアレンジをするが、以下のような会話である。


「この間亡くなったあの女性、死因がよくわかってないらしいよ」

「1人で死んでたんだって?」

「都心のマンションでね。クリスマスイブに見つかったんだそうだ」

「とっくに引退してたんだね。ブログは書いていたようだけど…」

「その少し前には、数千万単位の横領被害にあったんだそうだ」

「そうか、気の毒にな」

「バラエティ番組ではレギュラーを持ってた。人気があったようだよ」

「小説も出してたよね?」

「ベストセラーになったな。タレントの前はAV女優をしていた」

「じゃあ、その前は?」

「いわゆるやんちゃな、不良高校生だったらしい」

「その前は?」

「ただの女の子だったんだろ」
by shinobu_kaki | 2009-01-26 12:43 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(2)

日曜日の朝メシ。

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3人で朝ご飯。
といっても娘はまだ見てるだけだけど。

昨日は曇り空、一瞬雪が舞って驚いた。
今日はきれいに晴れました。
by shinobu_kaki | 2009-01-25 10:28 | 基本はウチめし。 | Trackback | Comments(0)

娘の笑顔。

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時々、満面の笑みでニコッと笑ってくれる。
非常にかわいく、また、幸せを感じる一瞬である。

写真はちょっと前のだけどね。
今は髪の毛も伸びて、もっと女の子らしくなってます。

これからも仲良くしようね。



ところでさとなお.comに、
aikoの歌うスピッツの「チェリー」がすごくいい、とあったので、
検索してyoutubeで聴いてみた。(「aiko」「チェリー」ですぐ見つかる)
確かに、ちょっとぐっとくるものがあるね。
歌唱に力があるというか、響くものがある。声もいいし。
久しぶりに歌いに行きたくなったなぁ。
by shinobu_kaki | 2009-01-22 23:52 | ライフ イズ | Trackback | Comments(6)

天空の橋。

東京は羽田空港のそば、東京モノレールの駅に、
天空橋というなかなか素敵な名前の駅がある。
この間のエントリではないが、ちょっとドラクエ的でもある。
世界のどこにもない架空の橋のようだ。天空橋。
でも、駅を降りた風景はとりたてて何があるわけでもない、
空港の近くならではの妙にがらんとしたエリアである。

さて松江市街地の写真サイトより、
まさに「天空橋」と呼びたくなるような橋の写真があった。

これである。

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なんだろう、この圧倒的違和感。
空に向かって伸びる道路を登り切った先は、
まるでいにしえの世界地図にあるテーブル型の世界の果てのように、
ストンと直角に落ちているのではないかとすら思わせる。
もしくは銀河鉄道999の線路だ。あれも滑走路のように途切れていて、
999をそのまま宙へと送り出すカタパルトの役目をしていた。

「天空橋」のように物語性のある地名が増えるといい。
そんな名前はふざけてるとか虚構的だとか言う人もいるかもしれないが、
実は、現実とフィクションの間にはなんの違いもありはしない。
だが往々にして現実的という言葉は、
「退屈なもの、つまらないもの」の表現として使用される。
これにはおおいに不満である。
つまらない日々を「現実」と呼ぶのではない。
現実をつまらないと思う者が、現実をつまらなくしているのである。


(,,゚д゚)< なんつったりちて


それにしても上の写真の松江の橋、
高いところが苦手な人はびびってしまいそうだ。
でも途中でエンストしたりするとやっかいなことになるし、
色んな意味でデンジャラスな橋ではあるよね。
by shinobu_kaki | 2009-01-22 16:46 | エウレーカ! | Trackback | Comments(2)
今日のニュースはこれに尽きる。
バラク・フセイン・オバマ大統領、正式就任。
しかし演説の開始は午前2時5分からだったそうで、
その時間は僕はもう眠っていた(おいおい)。

で、日経新聞に載っていた就任演説の草稿要旨を読んだが、
インパクトはそれほどでもないものの
(ケネディのようなキラー・フレーズがあるわけでないという意味)、
非常に練られた感のあるものだ。
まあ、これ以上の晴れ舞台はないというほどの原稿だから、
当然と言えば当然なのだが。
どこかで読んだ話によるとスピーチライターは27歳、
大した才能だと思った。さすがアメリカである。
映画や小説などの、夢を売るストーリーテリングの国の面目躍如だ。
オバマ大統領就任演説〈要旨〉

逆風の経済状況、イラク問題、
それら危機に立ち向かう新しい責任と希望という趣旨に加え、
自らが初の「黒人」米大統領ということで、
マイノリティへの言及もある。これはオバマの特徴であり、
逆に強みとなっている部分である。
「60年前ならレストランで食事をすることも
できなかったかもしれない男の息子が、
いまあなた方の前で最も神聖な宣誓をできるのだ」
という部分などがそれである
(それにしてもオバマのミドルネーム「フセイン」は象徴的すぎる)。

正義を標榜する国・アメリカ。
しかし元来正義とは個々人の価値観の中にあるものであり、
対立する異文化の前ではその言葉は無力となる。
価値観の押し付けの先に待っているのは「顰蹙」という文字である。
実に、ここ数年のアメリカイズムには顰蹙を買うような部分があった。
そして戦後日本はアメリカをボスとするようなところが多分にあったが、
これからの日本はむしろヨーロッパ的成熟、ヨーロッパ的退廃を、
模索していく時期なのかもしれないと思う。
もっと言えば「日本的成熟」という形があるはずでなのである。

話をオバマに戻す。
しかしこれだけ注目される一個人、というのはどういう心理状態だろうね。
人は社会的な顔を持つ時は必ず、多少なりとも「演じる」という要素が入る。
会社員を演じ、父親を演じ、友人を演じる。
誤解して欲しくないのだが、嘘で取り繕うという意味ではない。
ごくまっとうな意味でのペルソナ論的な話である。
そしてこの47歳のアメリカ人男性がいま演じているのは、
才気にあふれフレッシュであり、弁舌は熱を帯び、
聡明で、笑顔を絶やさない、エネルギッシュな新しい時代のヒーローなのだ。
これは信じられないほどのプレッシャーだと思うし、
疲れを表に出したい時もあるだろうとは思うが、
少なくとも今のところ、ヒーローを鮮やかに演じ切っているオバマは、
本当に凄いと思うのである。
by shinobu_kaki | 2009-01-21 12:55 | エウレーカ! | Trackback | Comments(2)

遠慮。




自分の人生に、遠慮するな。
by shinobu_kaki | 2009-01-20 17:26 | 言葉は踊る。 | Trackback(1) | Comments(2)

移動祝祭日


by Shinobu_kaki