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漫画家アシスタント系統図2009だそうです。

ジャンプ系、マガジン系、サンデー系とそれぞれ。


何かで読んで意外だったのが、
「ジョジョの奇妙な冒険」の荒木飛呂彦がこせきこうじのアシスタントだったこと。
こせきこうじは「ああ一郎」や「山下たろ〜くん」の作者である。
絵柄全然違うじゃん!と思ったのだ。
アシスタントは師匠に影響を受けまくりつつ真似をして、
その派生として自分の世界をものにしていくというパターンがあるが、
こせき→荒木のケースはまったく当てはまっていない感じね。
ぶっちゃけ思うのだが、なんで荒木はこの人のアシスタントをしようと思ったのだろう?
ちなみに「山下たろ〜くん」は好きでした。もちろん「ジョジョ」も大好きですが。

系統図に戻ると、基本は師匠の影響が随所に出る人が多く(そりゃそうだよね)、
キャラクターの表情のくせだとかタッチの強弱だとかに現れている。
ジャンプ系で言うと原哲生(北斗の拳)→森田まさのり(ROOKIES)などは、
そのこってりとした人物の線と執拗な描き込みに共通点が見られるし、
本宮ひろし(男一匹ガキ大将)→宮下あきら(魁!男塾)などの系統もよくわかる。
まつもと泉(きまぐれオレンジロード)→萩原一至(BASTARD!!)も、
女性の表情の描き方に共通の特長がある。
にわのまこと(THE MOMOTARO)→小畑健(DEATH NOTE)も
言われてみればそうである。
小畑健は「ヒカルの碁」の北斗編あたりから、今のようなリアル頭身の絵柄になり、
そのままずっと「DEATH NOTE」「バクマン。」まで来ている。
でも「ヒカルの碁」の初期や、その前の「サイボーグじいちゃんG」の頃は、
まさににわのまこと的なギャグの世界のタッチが色濃く残っていた。
ちなみに前述のこせき→荒木のラインは系統図に載ってないね。

「マガジン」のは特に思うことなかったけど、
野中英次(魁!クロマティ高校)が池上遼一のアシスタントだったら面白かったのにね。
そしてサンデー、ちばあきお(キャプテン)→なかいま強(ライスショルダー)はいい。
ちょっとホッとする感じがあるのはスポーツものの作家だからかな。
最後にものすごく意外だったのは、
楳図かずお(まことちゃん)→高橋留美子(めぞん一刻)。
これも先に描いたのと同じ言い方になってしまうのだが、
高橋留美子はどうして楳図かずおのアシスタントをしようと思ったのだろう?

というかwikipedia等にもこういうのあまり載ってないね。
系統図の真偽はどうなのだろう?
by shinobu_kaki | 2009-02-28 08:21 | エウレーカ! | Trackback | Comments(2)

朝から雪の東京である。

今朝、sorariumを見てびっくりしたのだが、
『エスクァイア日本版』が休刊だそうである。
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驚きはしたものの「やっぱり」というか「ついに」というか。

読まなくなって久しい「エスクァイア日本版」だが、
非常にスノビッシュな世界への背伸び的憧れとともに、
20代の頃の僕は「エスクァイア」を購読していた。
ある程度のお金を使った高等遊民的な遊び方とアイテム。趣味性。
それを象徴するかのような奔放対談連載「クラブシャングリラ」も好きだった。
ピート・ハミルのコラムも良かったしね。

僕は90年代「エスクァイア」のザラザラした感じが好きだった。
もちろん「エスクァイア」の提示する世界は洗練のあるものだったけれど、
終始アメリカを向いていたそのスタンスによって、
どこかのっぴきならないザラザラした感触が、
雑誌の通奏低音として響いていたように感じられたのだ。
「エスクァイア」のザラザラ感は、アメリカのザラザラ感だったと思う。

しかし2000年を過ぎたあたりから、
「エスクァイア」はより全方位的になったように感じた。
アメリカだけを向くのではなくなり、
そのため雑誌としての個性が薄れたように思った。
この時代において、いつまでも「イージーライダー」ではいられない。
だが「イージーライダー」的なものが完全になくなったのが、
近年の「エスクァイア」だったと個人的には思っている。

雑誌の休刊のきっかけは主に経済的なものである。
『エスクァイア日本版』も例外ではない。
自ら引き際を設定する「広告批評」のようなパターンは珍しいのである。

あ、そうそう、今は「和楽」などを手掛けている、
アートディレクターの木村裕治氏のデザインも大好きだった。
シンプルで男性的で、強くて、繊細でね。

たとえ読まなくなっても「エスクァイア」は、
僕にとって気になる雑誌だった。
しかし「エスクァイア」はこの世界から姿を消す。
なんだか少し、座りの悪い気分である。
by shinobu_kaki | 2009-02-27 10:51 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(0)

宮崎駿「陰影の家」

やっぱり家が必要なんです。
においのする、暗がりのある、そういう家を建てるのは難しいけど、
場所を作らなきゃならない。
あんまり世界が単純明快だって思っている子供たちっていうのは、
ツーバイフォーのすみからすみまで全部わかる家に住んでるから
そうなっちゃうんじゃないかと思うのね。

宮崎駿(1990年12月 糸井重里との対談より)




生まれてから18年間、田舎の古い家に住んでいた。
玄関を出ると見渡す限り田んぼで、
近くを小さい川が流れ、ザリガニやフナなどがそこにいた。
家の隣は60m四方ほどの原っぱで、
秋になると赤トンボが入り乱れるように飛んでいた。

実家は製材所を自営していたので工場(こうば)が併設されていた。
毎朝職人さんが勤めにやってきて、夕方になると帰っていった。
日が暮れると家の周りは黒々とした夜で、子供の僕は夜の闇が怖かった。

裏庭には古ぼけた小さな庭園のようなスペースがあって、
小さな石灯籠が置いてあった。大根やナスを植えた狭い畑もあった。
それらの奥に材木置き場としてそこそこ大きな小屋があって、
小屋の前の車に5、6台も停まれるスペース、そばに大きな栗の木があった。

家自体も古かったがやたらに広く、土はないが土間があった。
1階から急な階段を上がると3階に達し、
そこから2階に降りていくという変則的な作りの家だった。
いつも2階で寝ていた僕は、夜トイレに起きた時など、
廊下を歩くたびにギシギシと音がするのが怖くて仕方がなかった。

そんな家の隅々すべてを、自分が知っていたかというと疑問が残る。
確か、開けたことのない扉などもあったと思う。
単なる物置の扉だったと思うが、
僕にとっては不気味な「開かずの扉」だった。

そんなこんなで大人になって、僕は住むなら新しい部屋がいいと思う。
不気味さとは無縁なキレイな部屋に住みたいと思う。
家の周りに何がいるのかわからないような暗闇の夜はいらないと思っている。

だが、宮崎駿の言っていることはよくわかる。
by shinobu_kaki | 2009-02-25 10:52 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

素直





腹がふくれたら、素直になれた。
by shinobu_kaki | 2009-02-24 12:18 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(4)

吾唯足知


…なんていう、
京都・竜安寺の蹲踞(つくばい)のようなキーワードが
これから大事とされてくんでしょうかね。
足るを知れ、と。

いわゆるローコストな暮らしというやつだ。
物質的な贅沢はせず、精神的に満ち足りるようにせよ。
それは一種の真理だし、不景気に関係なく大切な心性であると思う。
でもそれだけじゃ、先細りなんだけどね。
景気を少しでも上げるために、とりあえず貯め込んでいる年配の方々には、
お金をたくさん使ってもらうようにしないとだめでしょう。

で、昨日の美容室で読んだ雑誌にも、
「これからはケチな男がモテる!」というのがあったけど、
まるで自虐的なギャグのようなものだよね。
ケチがいいと言うよりも、
金銭的にしっかりした人じゃないと不安でしょうがない、
ということなんだろうけど。
まあ、そうだろうけどね。
ただ「男は年収○○○万円以上じゃないとねー」みたいな、
前時代的、かつ浅ましさを隠そうともしない座談会風記事には閉口。

雨の月曜日、遅れる電車。
週に1度のミーティングのため、早い出社。
気分はどうも上がらない。上がる要素があまりない。

朝起きて1時間ほど、
娘を抱いてバブバブとあやす。
癒されるね。大好きだよ。
by shinobu_kaki | 2009-02-23 12:51 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(2)

散文調。


子供にあげたいもの。
実感。触感。
失敗と、立ち直ること。
食事のよろこび。
身体を動かすよろこび。
バーチャルではなく。

娘の笑顔はものすごく癒される。
大きめに垂れた目が、ふわっと笑う。
すべてのストレスを無化してしまう。

ネットで「存在の耐えられない軽さ」のラスト10分を観た。
ラストだけなのに、前に観たのは10年も前の一度だけなのに、
当時、通して観た時の全編の記憶が蘇り、
なんだかボロボロと泣いてしまった。
個人的には「ニュー・シネマ・パラダイス」よりも泣いた映画。
上手過ぎるラスト。
ソウル・ゼインツのプロデュースしてる映画はどれも好きな自分。

沖縄とハワイ。
どちらも行きたい場所。
共通点は、安心感のある海のリゾート。
でも、北海道もいいよね。
大地に線を引いたようなまっすぐな地平線。
見渡す限り何もない、という豊かさ。
食事がおいしいのもいい。

ハワイだったら、
オアフとマウイはどっちがいいか?
マウイは日本語通じるのかな。
ハワイの大味なフードもあれはあれでアリ。
ハワイは風が素晴らしいのだ。
あったかく頬をなぜる風。

テレビが液晶になった。
昔のぼろいのしかなかったから、
最近のデジタル化したスペックには感心するね。
by shinobu_kaki | 2009-02-22 21:42 | パパなのだ。 | Trackback | Comments(0)
ものすごく久しぶりに、黒田硫黄「茄子」3巻を読んでみる。
もう何度も読んだし、お風呂の中に持ち込んだりもしたので、
ページはよれてクシャクシャである。

元大学教授(らしき)高間と、
旧友である怪しいスカウトマン松浦の会話。
単行本の62pと63pの見開きだ。
松浦はいつも自分の仕事を「宝さがし」とうそぶく。
高間は田舎で自給生活をしている。
場所は高間家の縁側。
2人は昼から水割りを飲んでいる。

「そんでおまえ、あの宝っての見つからなかったのか」
「宝はな、あるんだよ。掘り出すところまでいったんだ。
でも出資者と折り合いがつかなくておじゃんさ」
「もったいねえなあ」
「宝ってのは埋もれてるから宝なような気がするんだなきっと」
「ロマンチストだな」
「ロマンチスト…おまえさ、ロマンチストは。
昔は詩なんか読んでて変なやつだと思ったぜ」
「別に変じゃないぞ」
「うん、おれにはよくわかんねえと思っただけで。
なるほどロマンチストとは、自分以外はばかだと思ってる奴か」
「いや昼間っから酒かっくらってる奴のことだろうな。
…ロマン補充すっか」
といって水割りのおかわりを取りに行く高間。

お互いに照れくささを持ちつつ、実はそれほどウマの合うわけでもない、
それなりに年をとった男同士の友達の距離感が絶妙でいい。
人によっては不愉快に思うかもしれない「宝さがし」というはぐらかしにも、
高間は優しくつきあっているのだ。

終始はっきりしなかった松浦の仕事の内容だが、
68pのカットバックですべてが一瞬のうちに明らかになる。
これは非常にテクニカルに描けている。

やはり会話文っていいね。
ドライブのある会話は、それだけで高揚する。
昔、完全に会話だけで漫画が描けないかと思ったことがあったけど、
すでに「ちびまる子ちゃん」でさくらももこがやっていた。
(まあ他にも色々な人がやっているだろうけど)

小説もそうだし、対談が好きなのもそうだと思うが、
会話文に魅かれるのは僕が漫画で育っているせいかな。
by shinobu_kaki | 2009-02-20 00:11 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(0)

大人と子供。


大人とは、
現状のシステムを維持するために振る舞える人のことである。
紳士とは、
自らの欲動ではなく「すべきこと」に沿って行動する人のことである。

子供とは、
上記の条件とは逆に、現状への不満を表し、
「すべきこと」ではなく「自分がしたいこと」について、
その意思をあらわにする人のことである。
(行動するか否かは、この場合あまり重要ではない)

自分自身で考えると、
年齢的にはもう立派であるべき大人の範囲に入るのだが、
行動であるとか、自律性であるとか、プリンシプルを持っているかとか、
そういった部分で見ると、まあ大した大人ではない。

ある年齢を過ぎてからも子供で居続ける、
そういうのは実はとても難しい。
それは、子供の頃に子供のように振る舞う事に比べると、
外圧の量と強さがまったく違うからだ。
要するに現状を否定しながら前に進むということになり、
それに要するパワーというのは結構なものだからだ。

自分のポジションがそれなりに出来てくると、
他人は、そのポジションにい続ける努力をすることを望む。
つまり有形無形にプレッシャーを与えられるわけだが、
他人は、人が変わらないことを確認して安心したいのだと思う。

変わり続けるにはパワーがいる。
子供で居続けるにはパワーがいる。

そして、変わり続ける人は魅力的に映る。
子供のような大人は、いつもフレッシュだから魅力的なのだろう。

とまあ、オチもなく。
by shinobu_kaki | 2009-02-19 13:02 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)



村上春樹 エルサレム賞受賞スピーチ全文訳



村上春樹は大学在学中に結婚したそうだが、
奥さんに彼が、自分のどこが良かったのか(もしくは印象的だったか)、
聞いてみたことがあるそうだ。その答えの中のひとつとして、
「手紙の文章がものすごく上手かった」というのがあった。
このエピソードはうろ覚えかもしれないのだが、僕の印象に残っている。

手紙が上手いということは、
当り前だが「想いを言葉で表現することが上手い」ということだ。
これはとても汎用性のあるスキルだし、
そんな「手紙の上手い」春樹青年は、
今や押しも押されもせぬ世界的作家となって、
今日、スピーチの原稿がこのように世界中で読まれているわけだ。

こうして読む村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチは、
真摯であり、端正であり、確固とした信念に満ちていて、とても美しい。
その美しさが読む人の心を打つ。

ちょっと見た目には「お老けになった」感が否めない村上春樹氏だが、
彼の紡ぐ文章はやはり、侵すことの出来ない瑞々しさに溢れている。
by shinobu_kaki | 2009-02-18 14:08 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

Comparison.

「中川財務相へべれけ会見」の日経新聞の記事を、
朝のホー厶で見た時に既視感があった。
もう、ずいぶん前のニュースのように思えたのである。
これは先日ネットでニュースを見ていたからに違いないはずで、
印刷・配送などの手間がかかる分、
新聞の速報性というのはもう特別なものではない。

今朝は寒かった。
この週末がやけに暖かかったので尚更である。
かように、実感とは比較すべきものがあるとよりハッキリする。

比較と言えば六本木で働いていた元社長のアメブロで、
堀江氏が面白いことをやっていた。
週刊文春よりのメール取材の内容をオープンにしたのだ。

ちょっとは週刊文春の売上げに貢献してやるか。

僕はもちろんメール取材などされたこともないので、
こういうものが実際にはどのように行われるのか興味があった。
性急さ・不躾さに笑えると言えば笑えるが、
これはこれで一つの「取材」としてカウントされるわけだから、
なんというか、この取材者はマジなのだ。
笑い事ではないのである。

でも、こういうのってどうするんでしょうね。
上手いこと返事もらって、後日ギャラを振り込むのかな。
それとも謝礼としての物品?それとも無料?
メールでの返事はインタビューよりも楽そうだから、
ギャラはどのくらい安くなるんだろうとか、
金額は事前に見積もらないのかとか、なんだか色々と邪推してしまう。

で、記事とは全然関係ないんですけど、
良くできた創作ストーリー。結構長いので、お時間のある時にどうぞ。

のび太「ドラえもんとか、実際無理だろ」

 のび太「……本当に、ドラえもんの言っていたような未来が来るのかな?」
 しずか「どういうこと?」
 のび太「ドラえもんが言っていた年までに、
     今の科学があそこまで進歩するなんて思えないよ」
 出木杉「僕もそう思うな。今の科学では到底無理だ」
 しずか「でも、ドラちゃんはそう言ったのよ?」
 のび太「それが気になるんだ……どうしたって
     ドラえもんの言っていた年には間に合わない」
 のび太「なぜドラえもんは嘘をついたんだ?」

一部分だけだけど、ね、面白そうでしょ。
by shinobu_kaki | 2009-02-17 12:50 | エウレーカ! | Trackback | Comments(2)

移動祝祭日


by Shinobu_kaki