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されど我らが日々。

週末の2連休。新しい鍼灸院での治療。
これはどちらも人為的なもので、
ギリギリのピンチのところで助けられたと感じる。
自分はそれほど強運とも思わないが、
本当にきつい時に助けられるケースがままあると思う。
他人と比較してどうかはわからない。
だが、人に恵まれていると自分が感じられればそれでいい。

実は今でもどこかで大時代的なサラリーマンを夢見ている。
そう思うのは、いま現在その夢と対極的な仕事をしているからなのか、
もともとの適性がそちらにあるからなのかはわからない。
おそらく前者なのだろう。そんな気がする。
大所帯の職場で、社員食堂などもあり、仕事はそこそこに日々を過ごす。
そんなかつての昭和大企業的な会社はどのくらいあるだろう。
耳に入ってくるのはカオス的に多忙な企業か、
逆に仕事が減って消滅していく企業のどちらかである。
そもそも大時代的なサラリーマンなど幻想なのかもしれない。
まず「サラリーマン」という言葉自体が非常に過去的だ。
しかしおそらく、
自分がもしもそんなサラリーマン的ルーティンを送っていたなら、
まったく逆の発想をしていたに違いない。
つまり「自分なりにできることを思い切りやってみたい」となるだろう。
実に勝手とは思うが、欲望なんてだいたいそんなものだ。

やりたいことに対して時間がなさすぎる、と感じる。
大したことではない。あの本を読みたいとか、あの映画をまだ観ていないとか、
もう一度あそこに旅行に行きたいとか、新しいジャケットが欲しいとか、
そんな草の根レベルの欲望である。
僕は比較的欲の薄い、満足度の基準値ラインが低いタイプだと思うのだが、
その僕ですらこうなのだから、もっとアクティブな人はどうなのだろうか?

曇り空。遠くの緑。窓からの景色。
日曜の食事の支度。旅行に出る友人。新しいことを始める友人。
twitterに降り積もってゆく言葉。
いまここにいなくとも感じること。これでいいと思うこと。
でも、少しずつ変わること。

同じ方向を向いて行く、そして時々近づいたり離れたりする。
友人というのはそういうものだと思う。
家族は同じひとつの船に乗っている。そこが違う。
とすれば、会社は一種の船団だろう。
規模の大きいほうが色々と安心だが、大事なことはまず、
自分の船がどうなのかだろう。

とりとめがなくなった。

嫁と娘が起きたら、食事にしよう。
今日もいろいろとやることがある。
人生はいつか終わるが、それまで日々は続いていく。
「すべてのものに意味はない」と言い切ってもいいけれど、
それだとちょっと味気ない。
たとえ大変だとしても、かすかな自己満足を加えながら、
好きなものに囲まれて、楽しみながらこの海を越えていこう。
by shinobu_kaki | 2009-05-31 11:28 | ライフ イズ | Trackback | Comments(2)

090529 ぬるい雨の5月


今朝は銀行窓口へ立ち寄り。
たっぷりいろいろ、2時間ほど。
ハンコ魔と化す。

あの「割印」って制度は面白いね。
なんか、機能しているんだかしてないんだかだ。

あと、手帳を買った。
こないだ打ち合わせをダブルブッキングしかけたのに懲りたのでね。
「ほぼ日手帳」は今回、完全に買いそびれてしまったよ。
ネットでも店頭でも売ってない。
今回は高橋の手帳にしてみました。

半藤 一利「幕末史」を読んでます。
まだ読み始め。
なので感想はまたいずれ。きっと。たぶん。

ユリイカの坂本龍一特集臨時増刊号を、
買おうかどうしようか迷ってやめてみる。

それにしても。

我ながら忙しい仕事を選んでしまったという感慨と、
人の情けが身にしみる、そんな5月の終わりのぬるい雨の日。
by shinobu_kaki | 2009-05-29 14:31 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

tabou.


会社ぐるみの営業作戦が功を奏して(?)、
なんだか急に忙しくなった。

忙しすぎて、スタッフの士気下がりまくりだが(苦笑)。

今日未明、午前3時半くらいから、
ヨーロッパチャンピオンズリーグの決勝戦があった。
もちろん観たかったのだが、
ここんとこ寝不足で、とてもじゃないが起きられなかったな。
結果と、ハイライトだけネットで観ました。

覇権交代という感じだったかな。
象徴的な試合だったのかも。

再放送やってくんないかね。
まあ、DVDは買うだろうけど。


まる1日だっこしないと、
日々成長を遂げる娘の「育ちしろ」が目に見えてわかるようだ。
ずっしりと重くなった感じがある。
育っているんだね。

おっと、レディに「重い」なんて言っちゃいけないか…。
by shinobu_kaki | 2009-05-28 17:04 | ライフ イズ | Trackback | Comments(2)

Wisper Shout.

「こちらは」「不要品の」「回収車です」

ふと、外を通る車の声がする。
静かな住宅街に時々現れる、廃品回収の小さなトラックだ。

「古新聞」「古雑誌」「エアコン」「ラジカセ」…

アナウンスは女性の声。
いかにも録音されたものを流しているという音声だ。
けっこう大きなボリュームの声が、
ドップラー効果(懐かしいですね)を伴い、
ゆっくりと遠くへ行ってしまった。

思ったのだが、
この音はボリューム調整してあの大きさなわけである。
当然、録音した時の音はもっと小さかったはずだ。
でも、こうして聞く廃品回収のアナウンスは、
それなりに大きな声を出してしっかりと話しているように聞こえる。
ということは「そういう話し方」で録音されているということだ。
ゆっくりと、大声で話すように。

ではこれを、小さくぼそぼそと囁くように録音して、
無理矢理大きなボリュームで音を流して歩いたらどうだろうか。
きっとものすごく違和感があるのではないだろーか。

ウィスパーボイス。
でも大声。
一度聞いてみたいね、そういうの。


とまあ、こんなどうでもいい話題で一週間は始まる。
今週は忙しそうだなあ。
by shinobu_kaki | 2009-05-25 11:04 | なぜ、どうして。 | Trackback | Comments(0)

さもすると。


「さもすると」という言葉を使った記事をネットで見たんだけど、
こういう言い方ってあったの?

「さもないと」もしくは
「ややもすると」だと思ったのだが。
ないしは「ともすると」。

ネットで調べても、その記事がトップに出てくるし、
なんだか上手く確かめられません。

どうなのかな?
…ま、いいか。



今日は久しぶりに休日仕事中。
ずっと静かだったのだが、
いきなり週末に会社の電話がじゃんじゃん鳴りだして、
スケジュールが突如すごいことに。

びっくりしたよ。
by shinobu_kaki | 2009-05-24 15:29 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)
6時過ぎに起きた日曜日。
今朝は少しひんやりしている。雨の予報。

でも、昨日は暑かったね。
どうにも亜熱帯帝な気分だったので、昨夜はタイカレーを作って食べた。
煮込むような家のカレーではなく、ナンプラーの日和。


講談社モーニング・ツーのサイトで試し読みして面白かったので、
杉本亜未「ファンタジウム」を3巻通して読んでみる。
面白い。一気にぐいぐいと読まされてしまった。

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「ファンタジウム」の主人公は長見良。
圧倒的なマジックの技術と才能を持つ中学生だ。
見た目は小学生と言われるほど幼い。
だがその言動はどこか老成しており、人生を達観しているようにも見える。
名マジシャンの薫陶を受けた長見良のテクニックはまさに世界レベル。
でも同時に重度の難読症(発達性ディスレクシア)でもあるため、
学校や父の仕事の手伝いなどにも支障をきたし、周囲にバカにされている。
知能とは関係なく、読み書きがまったくできない病気だからだ。
なので学校では悪質ないじめの対象にすらなる。
家は裕福ではなく、父は暴力的で、家に帰らず公園で寝泊まりしたりしている。
物語は、亡くなった名マジシャンの孫であるサラリーマンの北條が、
長見良と出会うところから始まる。長見はジャージ姿で、
非合法カジノで雇われギャンブラーとして腕を振るっていた…。

あれほどに鮮やかなマジックの技を「必殺技」として見せるのではなく、
あくまでこの作者は「一人の障害を持つ少年の心の話」として描いている。
少年漫画的ではない。このアプローチが意外だった。
なので物語全体に漂う空気はそれなりに重く、浮ついたところが無い。
それだけに「ここぞ」で繰り出されるマジックのシーンは本当に鮮やかで、
まさにステージを観ているような読後感なのだが(思わず拍手をしたくなる)、
「ファンタジウム」はその「華やかな武器」をメインにしないのだ。
ストイックと言えばストイックである。
2時間の映画の中に、ラスト30分間だけマジックシーンがあるような感覚だ。
この漫画はその地味さゆえに大ヒットはしないだろうが、
ドラマとしてきちんと面白く、「読んでおくべき傑作」として、
認定されて良いのではないだろうか。

あと、主人公の長見良をはじめとして、
この人の描く人物は艶っぽいというか、どこかなまめかしい。
描線が丁寧で、フェティッシュだからだろうか。
それはこの作者がBL出身ということもあるかもしれない。
そういえばこの漫画は男性が話の中心で、ヒロインとなる女性が出てこないね。
この構造で行くと、ヒロイン役を担っているのは長見良ということなのかも。

冒頭で触れたが、
モーニング・ツーがまるごと1冊ウェブで読めることになっている。
最初、広告を読んで思ったのは、
「ウェブで読んだら本誌を買わなくなるんじゃないか。大丈夫か?」だったが、
今回の僕のようにサイト経由で興味を持って漫画を買うパターンがあるのだから、
こういうニッチなターゲットに向けたものとして機能しているのかも。


さて、今日は昼から出社です。
ここのところゆったりしていたけど、仕事がすごいことになって来た。
がんばりましょう。
by shinobu_kaki | 2009-05-24 07:43 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(0)
首都圏の女子高生2人が感染したという新型インフル。
さとなおさんが「さなメモ」で指摘しているように、
関西の感染者よりもずいぶん騒ぎ方が大きい部分に報道の偏重を感じる。
しかしまあ、それは一種のマス的な視線なのであって、
個人的には自分や家族に感染しないかということがもっぱら気になる。
特に八王子在住のほうの女子高生は、
羽田からバスで多摩センターに移動して電車で帰宅したらしい。
うちからそんなに遠くないエリアである。

こうした話はどうしても「えんがちょ」的になってしまう。
誰しもウイルスに感染したくはないのだから、
物理的に隔離するとか、あまり近寄らないでおこうということになるよね。
ウイルスが確認されている場合は当然というか必要な処置だが、
新型インフルに感染したと報道されたら実は違ったという、
いわば「インフル冤罪」の例もあり、これはちょっと可哀想だと思った。
あんなに大々的に報道されて、まわりの人は大騒ぎしただろうしね。
本人の気持ちを思うと居たたまれなくなってしまう。

しかも「穢れの思想」じゃないけれど、
一度ついたイメージというのはなかなか消えないものだ。
こうして大騒ぎしてしまうとなおさら、
その人の、インフルエンザ感染の印象をまったくのゼロにするのは難しい。

マスクが品薄だそうだ。
なんかすごい。
ウイルスは喉から感染すると言われるからなのだが、
普段我々がいかに吸って吐いてをしながら生きているか。
そんなことが如実に明らかになっているとも言える。
世界の人口、現在約68億人。
それらが皆一斉に「スーハースーハー」やっているのである。
なんと壮大な光景であろうか。
そりゃあ地球だっておかしくなるよなあ。

ちなみに世界の人口がリアルタイムで表示されるのがこのサイト。
世界の人口 world population

秒単位でどんどん増えてるよ!
数字はもちろんデータからの推計なので、
生まれた瞬間にカウントされているわけではないが(そりゃそうだ)、
こうして数字で見ると圧倒される。すごいね。
ちょっと神的目線。
by shinobu_kaki | 2009-05-21 11:21 | エウレーカ! | Trackback(1) | Comments(0)

コピペ新聞より、「津軽弁の調書」だそうです。


21 :メギ(青森県):2009/05/19(火) 16:00:45.82 ID:Bes1LLg2

【津軽弁の調書】
犯人「ジェンコダセ! ドコサ・アンズヤ?」
(金を出せ!どこにあるんだ?)
被害者「マイネ!マイネ!スカフェラィネ!」
(ダメだ!ダメだ!教えられない!)
犯人「オンメ・シャンベネバ・ウンデ・モイデ・マルドー!」
(お前話さなければ腕をもいでしまうぞ!)
被害者「ナモ・ジェンコ・ダッキャ・ネーォン!」
(金なんかどこにも無いぞ!)
犯人「ナンボ・ジョッパリ・ダバ!」
(何て強情な奴だ!)

33 :シキミ(千葉県):2009/05/19(火) 16:02:25.21 ID:akYfOXYQ

>被害者「マイネ!マイネ!スカフェラィネ!」
>犯人「オンメ・シャンベネバ・ウンデ・モイデ・マルドー!」

どこの南ヨーロッパだよ




確かに南欧っぽいw

えー、当ブログで何度も明らかにしているように、
僕はアッキタの出身である。
上記のコピペは津軽弁ということで青森なのだが、
いかに隣県と言えども、
これはちょっと激しすぎてわかんないんじゃーん。

…と一見して思ったが、
文字の見た目ではなく「音」で読んでいくと、
全部ではないにせよ…結構わかるな…。

特にこの、語尾の「ネーォン」のあたりがね。
「無いよ」を「ネーォン」って言う言う、確かに。


ちなみに「アッキタ」でぐぐると、
うちのブログがトップで出ます。なんたって僕の造語ですからね。
「アッキタ地方」だともっと絞られます。

さらに、以前絵本の話になったときに書いた、
「デカッポヤセッポ漂流記」という本のこと。
僕の記憶の中ではかなり鮮明にあるので、
検索で調べさえすれば絶対に出てくると思い、
キーワード「デカッポヤセッポ漂流記」でぐぐってみると。

…1件。
うちのブログの記事だけだとぉっ


いや、皆さん、
本当にあったんですよ「デカッポヤセッポ漂流記」。
嘘じゃないってば。

ウソデネーォン。
by shinobu_kaki | 2009-05-20 20:45 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

外部と許容。

例えば、アイデア出しの仕事の半分は資料集めである。
それはつまりイメージをかき集めるということ。
基本的に、人間の中には何もない。
ただ以前から蓄えたイメージの断片がいくつもあるだけだ。
それらは繋がったり変質したりして頭の中にたゆたってはいるが、
少なくとも「今」の要素を含んだ新鮮なものではない。
そして、出すためには何かを入れる必要がある。
少なくとも僕はそうだ。
自分の中で古びてしまったイメージを押しのけるように、
新しい外部からのイメージを「呼吸」する。
それは自分を信じすぎないということ。
そして謙虚であるということ。

外部、つまり外に意識を向けることで、
自分自身と向き合わずに済む。
すべての時間は過去なのだから、
向き合う対象としての自分も過去である。
過去に向き合って生み出せることはあまりない。
時間はいつも前へ前へと進んでいる。
だから自分の意識も、前へ前へと向いていく。
それは過去の自分の意識の外へ出る作業だ。
外へ出ると外からしか見えないものが見えてくる。

会社を辞めるとその会社のことを冷静に見れるように。
田舎から出ると田舎の良さを認識するように。
日本を出て初めて日本人である自分を再発見するように。

内側にいた時はあれほど許せなかったあれこれが、
懐かしさに優しさをともない、許すことができるようになる。
自分の中で相対化が完了したのだ。
それは新しい視野を獲得した瞬間でもある。
解放に似ている。

そして目の前のちょっとした人の評価だとか、
そこにあるネガティブな話に一喜一憂する必要がないことがわかるのである。
何もかもは一部に過ぎない。全体の中では小さなものだ。
時々ルックアップしないと忘れてしまう、ちょっとした、でも大事なこと。
by shinobu_kaki | 2009-05-20 13:51 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

集合知


あらゆる仕事は、最初は手探りだったはずだ。

今でこそ「その道のプロ」という人が各ジャンルに存在するが、
原始、まだ社会が成熟していない頃の人間たちは、
誰にも経験のない事は手探りでやってみるしかなかったはず。

例えて言うなら、それはナマコやホヤを食べる事に似ている。
要は、見た目グロテスクな食べ物を最初に食べた人は偉いというアレだ。
そこには生牡蠣を食べて当たるといった事故もあったと思われる。
もちろん華やかなカラーリングを誇る毒キノコも然りである。
しかし、そういった誰かの犠牲を伴った試行錯誤を繰り返し、
我々人類はナマコやホヤ、アワビやキノコ類に至るまで、
生死に関わるリスクを冒す事なく美味しい食事を楽しめるのである。

これを「集合知」と言わずしてなんと言おう。

あらゆる文化的体系は人間が創り上げたものではあるけれど、
その細分化と複雑化ゆえに当の人間達ですらわからなくなる事がままある
(一種の法律のように、わざとわかりづらくしている部分もあるが)。

いや、もっと身近な、例えば役所の手続きや契約等についても、
今や我々は、自分一人だけの力で事態を解決する事が難しい。
専門家に聞くか、何かの資料をたよりに調べなくてはならないのだ。
考えてみればこれは異常な事態であると言わなければならない。
もっと誰でもわかるようなシンプルさが求められるはずなのだが、
それを許さない何らかの理由があるのだろう。

いつも使っているが実はしくみがよくわかっていない、
問題が起きても自分で修復できないという意味で、
世の中のブラックボックス的な仕組みというのはコンピュータに似ている。
例えばネットをブラウズすることひとつとっても、
よく考えたらどうして画面がこんな鮮明なのかとか、
マウスをクリックするだけでどうして画面の操作ができるのかがわからない。
(「そういうシステムを組んでいるからだ」という突っ込みは無しね)
考えだすとわからなくなる事ばかりなのである。

考えだすと先に進めないので、こういうのは思考停止するに限る。
「とにかくそういうことなのだよ」と前提してやっていく。
実に乱暴な話ではあるが、とにかくそういうことなのである。
by shinobu_kaki | 2009-05-19 15:01 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

移動祝祭日


by Shinobu_kaki