<   2009年 10月 ( 6 )   > この月の画像一覧

なんのためのデザイン?


読んで、朝からいろいろ思う事があったのでご紹介。

京都精華大学:Assembly hour「なんのための仕事?」西村佳哲×西堀 晋


確かにデザイナーというのは、
「自分が作っているものがゴミなんじゃないか」という呪縛から逃れられない。
付加価値がなければデザインなんて、すぐにゴミになってしまう。
紙や立体造形だけでなく、ウェブなどの情報デザインについても同様。
必要のない情報はすべて「ノイズ」という扱いになってしまう。

だからデザイナーが(特に若いデザイナーに多いが)、
機能するかどうかよりも「とにかく綺麗なもの」を作りたがるのは、
ゴミを作りたくないという一種の恐れもあるんじゃないか。
綺麗であるというのは確かに一種の価値になるからね。
逆に、綺麗じゃなく機能に寄ったものを作るのは
何かを捨てなくちゃいけなくて、勇気が必要になる。
捨てるのがいいかどうかというのはまた別の議論になるけれど。

そしてデザインするってことはそういうことで、
格好良く言うと「生きざま」みたいのが問われるよね、実は。
発注者の小さな政治的事情やしがらみに流されてやっていると、
そういう本質的な姿勢やスタンス、持っていたはずの考え方が麻痺してくる。

もっと言えば家族のことだってそう。
それは家庭での時間をつぶしてまでやる価値のある仕事かどうか。
忙しいとそういう大事なことが押し流される。
ぼーっとしてると、どんどん時間が奪われてしまう。
誰が守ってくれるものでもない。もっと個人単位で戦わないとダメなんだ。
つまり優先順位をつける。それってまさにデザインそのものだよね。
整理して優先順位をつけるのが、デザインするってことだから。

ところで上記のリンクにあった、
「Appleのインダストリアルデザイナーは、わずか13人しかいないが、
外注に出すこと無く、中のパーツ1つについても、自分達でデザインしている」
というくだり。
まず少数精鋭というか、人数の少なさに感心するが、
Appleという会社のキリスト教的なモチーフからして、
(Appleは聖書、万有引力の発見に続く3つめのリンゴだそうだ)、
13人という人数も意味ありげに見える。
イエスを含んだ最後の晩餐の出席人数というやつだが、
まあ実際のところはどうなんだろうね?
by shinobu_kaki | 2009-10-26 08:15 | デザイナーという病 | Trackback | Comments(0)

気を持つ。


すっかり更新が滞った感のある当ブログだが、
生存報告的な意味も含めてなんか書きます。

はい、ちゃんと生きてますので大丈夫。

個人的に座右の銘というか、
何がしか真理な言葉と思っているのはいくつかあって、
その一つが「突然に始まったものは突然に終わる」というもの。

今、具体的に何かを終わらせようとか言うのではないけど
(前後の文脈から言えばこのブログとかね。まだ閉じません)、
これはいつもココロのどこかで思っている。

突然に始まったものは突然に終わるのだ、と。

まあ主に身の振り方というか、精神的な逃げ場として機能してるんですけどね。
例えば僕は今の会社に非常にふらりと入社したので
(9月の前半の暑い日だった。自転車で面接に行ったのを憶えている)、
何かあった時にはふらりと辞める日が来てもおかしくないですよ…なんて、
のど元まで出かかりながらも言葉をストックしているわけだ。
言葉というか気持ちだね。どちらかと言えば気持ちそのものだ。

それが切迫した本心であるかどうかは重要ではない。
いざとなったら、という部分を気持ちの中に持つだけで、
意外なほどに助けになることがあるものだ。


ところで今書いてて思ったけど、
「気持ちを持つ」っていうのは重複になるのだろうか?
気を持つ、のが気持ちの意味だとすればね。

会社は人も入れ替わったりして、そこそこ。
ちょっと自分の中では新しい働き方を模索したりしています。

受け身は後手に回るし性に合わない、実は。
意外と攻撃型の人間なんですよ。
まあ、守りに回ってしまうと脇が甘いという話もある。
by shinobu_kaki | 2009-10-22 18:18 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(2)

歴史の中で。


今日、文芸春秋で読んだ塩野七生の文章の結び。

「もしも外国人の誰かがこの日本の歴史を書くとしたら、
個々の分野では才能ある人に恵まれながらも
それらを全体として活かすことを知らなかった民族、
と書くのではないだろうか。
ほんとうは、それこそが政治の役割なのだが。」


なかなか手厳しくもちょっと寂しくなるね。
寂しくなるのは、その通りだろうと思うからだ。

物書きは、言わば歴史の中に生きている。
もちろん誰だって歴史の中に生きているに違いないが、
広く後世に残る文章というものを書いて生業とする彼らは、
より歴史を「記録」するという作業において、
ダイレクトに貢献しているであろうと思われるのである。

人は、死んで100年も経てば誰からも忘れられるような存在ではある。
だからこそ何かを残したいのだという生き方もあれば、
それゆえに今を刹那的に楽しむという発想もあるだろう。
だいたいは、両方の間で揺れ動くものだ。
どちらかに徹底なんてできない。それはあまりにハードすぎる。
by shinobu_kaki | 2009-10-16 23:31 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

現代語訳徒然草。


面白いのを見つけた。


徒然草を現代語訳してみる



要は吉田兼好の「徒然草」を、
橋本治の桃尻語訳枕草子的に現代語訳したもの。
現代語と言うより、
2ch的ネットカルチャー語というのが近いかな。

こんな感じ。


【第1段】
生まれた以上、望みは多いよね。
天皇になりたい!ってこれは言いすぎだよね。第一血統的にムリ。
総理大臣くらい? が一番の理想くらい。
そこまで行かなくても事務次官くらい行ったらおk。
少なくとも孫の代くらいまでは安心。
それ以下は底辺だから自慢するのやめようねwww


第一段
いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多(オホ)かンめれ。
御門(ミカド)の御位(オホンクラヰ)は、いともかしこし。
竹の園生(ソノフ)の、末葉(スヱバ)まで
人間の種(タネ)ならぬぞ、やんごとなき。
一の人の御有様はさらなり、たゞ人(ビト)も、
舎人(トネリ)など賜はるきはは、ゆゝしと見ゆ。
その子・うまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。
それより下(シモ)つかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、
したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。


なかなか面白い。こういうのは一回意味を理解して、
ニュアンスをつかんだ上で「今」にピッタリくる言葉を探すという、
なかなかにワザのいる作業だから感心する。


それはそれとして、やっぱり古い日本語は語感が良いね。
【第11段】の「神無月のころ」は教科書にも載ってたと思うけど、
なんだかやたら文章がぐっとくる。
好きなセンテンスを抜粋しようと思ったが、
読んでみると全部良かったのでまるごと転載してみる。


第十一段
神無月のころ、栗栖野(クルスノ)といふ所を過ぎて、
ある山里に尋ね入る事侍りしに、
遥かなる苔の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵あり。
木の葉に埋(ウヅ)もるゝ懸樋(カケヒ)の雫ならでは、つゆおとなふものなし。
閼伽棚(アカダナ)に菊・紅葉 (モミヂ)など折り散らしたる、
さすがに、住む人のあればなるべし。
かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、
大きなる柑子(カウジ)の木の、枝もたわゝになりたるが、
まはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、
この木なからましかばと覚えしか。



最後の言葉の並びなんか、
なんで現代にこれが残ってないんだろうと思うくらいいいね。
なからましかばと覚えしか。
by shinobu_kaki | 2009-10-14 10:54 | エウレーカ! | Trackback | Comments(3)

20091012

三連休の最終日の朝である。

先週は本業がかなりきつい状態で、
まさに「煙が出るほど働いた」という感じだったのだが、
そんなハードワーク+諸々のストレスからのリハビリのため、
この3日はテッテー的に休養しようと決めたのだった。
まあ、普段の休日とさほど変わらないのだけど、
これは意識の問題なのである。
金曜の夜に帰ってきて、「さあ休むぞー!」と思ったのは久しぶりで、
こうした解放感はきっと精神衛生上、良いものに違いないのだ。

やらなければいけないことがいくつかできてない。
不義理的なこととかね。

短期的タスクと長期的タスクの両方。
細かい日々の悩みだってある。
悩みがあるというのは望みがある事の裏返しでもあるのだが、
もちろんそれは欠落感をキープする事でもあり、
ちょっとしたストレス状態ということだ。

それにしても涼しくなって、日中がやたら快適になった。
ギラギラした夏は好きだし、ずっとそう言ってきたのだが、
秋の快適さはとてもいい。特に今住んでいる郊外の秋の気候は。
そもそも汗をかくのを良しと思うには、それなりに体力がいるから、
年齢とともに負荷のない状態を望むようになるのだろう。
放浪の旅よりも、アメニティの充実した日本旅館がいいと思うようになる。
はっきり言って年寄りくさいが、まあそういうものなんだろう。

というわけで今日一日、はりきって休むよ。


あ、そうだデジカメも直さなければ…。
by shinobu_kaki | 2009-10-12 08:10 | ライフ イズ | Trackback | Comments(4)

BOOKISH and STATIC.


ウェブ上に日々放り出される膨大なテキスト、データ。
無限に増殖しつづけるこれらは、いったいどこへ行っているのだろう?
「完全にコピー可能」なことがデジタルデータのひとつの大きな特徴とだしても、
そんなことを繰り返して、いつか何かが一杯になってしまわないのか。
地上というスペースだって、一人の人間のキャパシティだって、
限りがないということはない。いつかは一杯になってしまう。

めずらしくソファに横になって目を瞑ってじっとしてみる。
思えば今まで、本当に何もせずにじっとしているという時間はなかった。
もちろん眠っている時は別だが、いつも何かしらやっていた。
それはネットだったり読書だったりゲームだったりするわけだけど。
僕は子供の頃から食事時にも本や漫画を手放さない行儀の悪い子で、
比較的ブッキッシュな子供だったと言える。
その傾向はいい加減それなりの年齢になった今でも続いていて、
通勤電車などの移動中でも本を持っていないと落ち着かないのだ。

だから珍しく何もせずに目を瞑っていると、
普段なら、日常的に入ってきていたはずの情報の残響のようなものが、
ザワザワと音を立てて流れているように感じられる。
例えば誰かによって書かれたテキストは言わば他人の声として、
ひとときも止む事なく周辺に鳴り続けていたことがそこでわかるのだ。

瞑想は続く。

そんなふうにじっとしていると、あるイメージが浮かぶ。
それは10メートルほどの深さの、
光射す明るい海の底に自分が仰向けに寝ていて、
水面のゆらゆらとしたゆらぎを感じているというものだ。
それは静かで穏やかで、とても癒される状況の理想像ではあるのだが、
どこへも向かう事はできない。

しかし起きて歩き出すには少々疲れ過ぎているのだ。
自分はきっと、本当にシンプルな原理原則で動いていて、
シンプルというのは多分にフィジカルということだ。
お腹が一杯になれば穏やかになるし、身体の疲れが取れれば元気になる。

だから、もう少し休んでから目を開ける事にしよう。
by shinobu_kaki | 2009-10-04 09:19 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

移動祝祭日


by Shinobu_kaki
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31