<   2009年 11月 ( 8 )   > この月の画像一覧

パンマン。


最近、娘は非常にアンパンマンブーム。

これは避けては通れぬ道なのか、
子供用の雑誌の表紙を見てもオモチャ売り場を見ても、
アンパンマンは常に最前列にいる。

そして我が1歳3ヶ月の娘も、
アンパンマンを見るたびにやはり狂喜するのである。

アンパンマンは本当にいろんなキャラがいるが
(事実、登場キャラ数世界一としてギネス認定されているそうだ)、
娘がもっとも喜ぶのは主人公のアンパンマンである。
主役キャラの面目躍如というところだろうが、不思議なものだ。
ドキンちゃんみたく食パンマンが好きとか、
バイキンマンのピカレスクな魅力にメロメロだとか、
意外に渋好みでジャムおじさんに抱っこされたいとか、
そんな脇役には目もくれずアンパンマンがいいようなのである。

なにがそんなに子供を魅きつけるのだろう。

丸いパーツのみで出来ている顔だろうか。
たどんのような目だろうか。
分かりやすい上に目立つカラーリングだろうか。

ところで娘の、アンパンマンに対する呼び方である。
この間は「あんたんたん!あんたんたん!」と言っていたと思ったら、
先日などは「パンマン!」であった。
パンであることに間違いはないが、中身のアンがどっか行ったわけである。

そしてこの、リズミカルな名前もいいんだろうね。
これはいわゆる音象というやつで、
口にして気持ちよい、楽しい音を持つキャラというのは呼ぶ人に好かれるのだ。
もちろん人間も例外ではない。
特に、「ア」行で始まる人の名前は、呼ぶたびに口を大きくあけることになり、
比較的好印象になりやすいというデータもある(出典は忘れてしまったが)。

そう思えば、アンパンマンは非常に音象の良い名前と言うことになる。
アンパンマンの初出は1969年だそうで、
この頃から作者のやなせたかしがどこまで計算していたかはわからない。
だが、40年たった今でもトップの人気を誇っているというのは、
本当にスゴい事だと思うのである。
by shinobu_kaki | 2009-11-30 20:46 | パパなのだ。 | Trackback | Comments(6)
a0022014_236189.jpg

というわけで、
本当に久しぶりにデジカメが生き返りました。
メーカーに出した修理からようやく戻ってきたわけですけど。
やっぱり休日はデジカメがないとね。

写真は、地元の街のデパート内にあるツリー。
吹き抜けの上のほうまで届く、なかなかに立派なもの。

明日は雨らしい。
ひと雨ごとに冬になる。
今年の秋はなんだか猛スピードで過ぎているような気がします。
by shinobu_kaki | 2009-11-28 23:06 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

Living without WORD.


暮らしというのは「毎日を過ごしていくこと」、
つまり日々暮れていくという事だ。
暮れては明けることの繰り返しが生活で、
生活に追われているとなかなか物事に明確な結論が出せない。
とりあえず寝て、起きて、食べて、排泄して、
また寝たら一日終わりである。
悩み事があっても「困ったな」と思っているうちに寝てしまうのだ。
そして朝は来る。
この、暮らすという現実の中で、理屈は邪魔だったりする。
実は暮らすというのはお天道さまへの宗教行為にすら近く、
どこかで言葉を拒否しているのだ。
田口ランディ「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」より


懐かしい一冊からの引用。

この場合の「言葉」から連想されるのは、
違和感や思想、さらに表現とほぼ同義だったりする。

平穏に、ただ太陽とともに暮らしている人にとって、
表現というのは必要のないものですらある。
僕自身が超のつく田園地帯の出身だから言うが、
字幕スーパーがなければ何を言っているのかわからないような方言と、
シャープな批判や熟考された思想は似合わない。
つまり問題意識が似合わないのである。
そういったあれこれについて、
「言葉が必要ない」と言ってしまえばそうだろう。

どちらが幸せかと問われれば、
表現する必要がないほうが幸せに決まっている。
表現というのは常に「やんごとなきもの」だからである。
何もしなくていいと思えるほうが幸福なのだ。
ただそれが「文化的に豊か」かどうかはわからない。是非は別として。

ところで、方言と標準語の両方を操る人というのは、
そのギャップの激しい2つの言語を使いこなすという意味で、
バイリンガル認定してもいいと僕は思っている。
東北弁と九州弁くらいの違いになると、
イタリア語とスペイン語以上に、
激しくかけはなれていると言えるのではないだろうか。

いや、イタリア語もスペイン語もよく知りませんけど。
by shinobu_kaki | 2009-11-24 19:03 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

歌を歌ったり、音楽することとか、小説を書くなどもそうだけど、
普通の人の日常生活と結構かけ離れた、
言ってみればきわどいところで成立しているよね。
つまりこういった「表現」というものはね。

どれもしかるべき舞台、
フォーマットができて初めて許されるというか、
TPOをわきまえる必要があって、
そうでないとあまりにも異様になってしまう。
具体的に言うと、カラオケボックスやステージならOKでも、
満員電車でいきなり歌い出したり踊り出すと狂人に見えるでしょ。
そういうこと。

ちょっと話がずれるけど、「寄生獣」というマンガがあった。
その中で公園にライオンが現れて人を襲うエピソードがあったのだけど、
ライオンを目の前にしても人はあまり逃げないんだよね。
それはもちろん怖くないってことじゃなくて、
「え?これ本物…?」とか言いながら、
いるはずのないライオンが目の前にいることの辻褄を合わせようとする。
この描写はリアリティがあると思った。
もちろん、物語の中でその人はあっさり食い殺されてしまうわけだけど、
意外と人間ってこういう行動を取ってしまう気がする。

同じように、電車の中で人が歌い出したとしたら、
狂人と思うかもしれないけど「何かの撮影か?」とも思う気がする。
そうでないと、自分の中の「世界の秩序」が崩れる。
人間は理由もなしに人前でいきなり歌い出してはいけないものなのだ。
もちろん酔っぱらいが歌うようなケースはある。
だけどここで言う酔っぱらいは、一種の狂人状態と言ってもいいからね。

で、話を戻すと、上記の歌もそうだし、
物語を綴ることも考えてみればとても不思議だ。
第三者的に物語るっていうこと自体、ちょっとした神の視座なわけだよね。
じゃあそれを書いているあなたは何?という問いが生まれないほうがおかしい。
個人的に誰かに書いて伝えたいとか、目的を持った呪術性とか、
そういうのならわからないこともないけど…。
小説、物語。やっぱり不思議と言えば不思議だと思う。
なぜそれを書く人は、書いてしまうのか。書かずにはいられないのか。

なんでいきなりこういうことを思ったかというと、
「最後の瞬間に音楽を聴くとしたら何か」ということを時々思うわけです。
だいたい僕の場合はクラシックが浮かぶんだけど、
個人的にはショパンの舟歌が好きで、リストとか、でもやっぱりモーツァルトとか、
ラヴェルの「ボレロ」なんかもいかにもフィナーレな感じでいいな、とか思う。
でも、よく考えたらちょっと滑稽なのかもとも感じてしまう。
何か人生の出来事に対して音楽をつけるということがね。
それもドラマティックな音楽をつけようとする。
そうしたいと思うのは不思議だね。
生きてると、基本は無音でしょ。無音というか生活音だけだ。
そこに誰かのこしらえた、ストーリー性とイメージのある楽曲を持ってきて、
それに感情を乗せる。委ねる。重ね合わせる。
一般に多く行われていることだけど、
こう、シラフで考えてみるとやっぱり不思議だよ。

原始の歌い手、踊り手、そして語り部は、
少なからず呪術的なニュアンスを含んでいたというのは理解できる。
なぜならそれらの行為には「理由」が必要と思うからだ。
by shinobu_kaki | 2009-11-18 12:44 | ライフ イズ | Trackback | Comments(2)

これは、自分なりのひとつのプロ論。

僕はもう10年くらい前からマッサージ、
さらにつらい時には鍼治療にも通っていて、
「無理してますねー」「コリコリですね」「背中年齢は50歳ですね」
とか好き放題言われ続けているわけだけど、
色々な治療院に言って色々な人にほぐしてもらっていると、
だんだん見えてくるところがある。それは、

「上手い人とそうでない人との間には厳然とした差が存在する」
ということだ。

当たり前のようだがこれは大事なことである。
何しろマッサージ師が上手くてもそうでなくても、
値段というのは大して変わりはないものなのだ。
誰だって上手い人、もしくは自分に合った人にやってもらいたいと思う。
マッサージ店に指名制が多いのはそのためだろう。

そしてここからがポイントなのだが、上手い人には共通点がある。
「注文以上のことをやってくれる」のである。

例えば「つらいのは肩です」と言ってお願いしても、
「全身見てみたら腰から来てた痛みだったから、腰もほぐしときました」
となるのである。これが「注文以上」ということだ。
そういった姿勢は肩越し・背中越しにすごくよくわかる。
逆に、おざなりなマッサージも実によく伝わってしまうのだ。

実際、肩がつらいと言えば肩しか触ってくれない、
そんなマッサージ師は少なからずいるのだが、
お願いする側としてはそういうことを望んでいるのではない。
プロの目でもってコリやつらさの源流を見定めてもらい、
決められた時間や範囲の中で、最大限ほぐしてもらいたいのである。
それが伝えた箇所と違っていても構わない。
こちらは「楽になる」という結果が欲しいのだ。

これは仕事に対する矜持と少なからず関係していると思う。
「肩をやれと言われたから、肩をもみました」だけでは、
お互いに寂しいではないか。
頼んでいるこちらも「本気の手応え」が欲しいものだ。
少なくとも僕は、そういう矜持と創意工夫にあふれた人に、
自分のカラダをほぐしてもらいたいと思う。

「じゃあ、そういう人がいたらいつも指名していけばいいのでは?」
という向きもあるかもしれないが
(そして少なくとも鍼は実際にそうしているのだが)、
そういう良いマッサージ師はやっぱり人気があって、
なかなか予約がとれなかったりするんだよね。


そしてこれは、
世のさまざまな仕事において言えることだと思う。
オーダー以上のことをやる。クライアントと共闘する。
そんな「攻め」の姿勢とそれを支える創意工夫が、
プロとしての正しい姿じゃないかと感じるのである。
さらにそういう人が売れっ子になる。まったく道理だと思う。
by shinobu_kaki | 2009-11-16 12:41 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

手帳。



未だに手帳かよ! 六本木で働いていた元社長のアメブロ

まあ、こういう意見もある。

確かにスケジュール管理やらちょっとしたメモやらも、
別に手帳がなくてもだいたい済んじゃうデジタルツールの充実ぶりだ。
そのほうがいい、手帳なんて無駄だという向きもあるだろう。

僕自身はと言えば、少し前ほどきちんと手帳をつけてはいない。
以前と少し仕事のやり方が変わったからでもあるし、
会社でiCalをつけているからでもある。
そして一度iCalに書いてしまうと、同じ内容を手帳にも書こうとは思わないものだ。
やってみるとわかるけど、予定を2度書きするのってものすごく面倒くさい。
もうその時点で何かが嫌になってしまう。

そして手帳を(ある程度)きっちりつけてみて思うのは、
行動や思考が手帳に沿っていってしまうということだ。
分かりやすくいうと、手帳の空白を埋めるために予定を入れるとかね。
これは道具に振り回されるという本末転倒が起こっているわけだが、
そういったことは別に珍しい現象ではない。
だれだって新しい家電を買えば、それに沿った生活になるでしょう?
そんなのと大差はない気もするのだな。

人は道具を生み出し、道具は人を振り回す。

手帳の話に戻ると、ここ数年「ほぼ日手帳」を使っていたのだが、
昨年末に買いそびれてからこの一年、ほとんど手帳無しで過ごしてしまった。
年が明けると人気の「ほぼ日手帳」が手に入らなくなったのである。

今年はすでに新しい「ほぼ日手帳」が手元にある。
昨年の反省をふまえ、早めにネット注文したのだった。

というわけで僕自身は手帳は「まだアリ」という感じです。
単純に効率化であるとか紙資源を使わずに済むとかいう意味では、
もう全然デジタルでいいと思ってもいるんですけどね。
by shinobu_kaki | 2009-11-13 15:27 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

YAMIAGARI.


病み上がり、とは今日のような日のことを言う。

ほぼ10日ぶりに仕事に復帰したわけだが、
出社した久しぶりの仕事場はどこか落ち着かなく、
時間の経過がやけに遅く感じる。

午前中は朝イチで社長と打ち合わせをし、
取引先各位にメールを打った。
もちろん内容は「復帰しました。よろしくお願いします」
といったものだが、目的はご報告であり、
送りっぱなしでOKと思っていたら、
意外なほど多くのお返事をいただいて恐縮した。

悪名高き新型インフルエンザは怖かったが、
一度倒れて復活した我々のカラダには耐性がついたはずで、
これで年末の新幹線による帰省も怖くない。
あとは娘が経験したことのない長時間移動の懸念のみだ。
これは前から覚悟していたことだ。

この後、特にトラブルがなければ、
僕の地元へと家族3人で行くことになる。
娘にとっては初めての新幹線、そして初めての雪を見ることになる。
まだ1歳の彼女にはよく理解できないかもしれないが、
「ごらん、ここがパパの生まれ育った場所だよ。寒いだろう?」
などと語りかけてあげたい。
最近なにか言葉にならない言葉のようなものを発している娘である。
ときおり「うん!」と返事をしているようにも聞こえる。

離れてみると悪くないと思う、静謐な田舎の冬である。
そんな雪景色を娘も気に入ってくれるといい。
以前一緒に帰った時に、妻がすごく感動してくれたように。

あと2ヶ月足らずで2009年も暮れる。
ここには何度も書いたが、
年末独特の収束感はここから猛スピードでやってくるのだ。
by shinobu_kaki | 2009-11-09 20:22 | ライフ イズ | Trackback | Comments(2)

ここ一週間以上、ずっと会社を休んで寝ています。
新インフルエンザにかかっていたからなんですけど。

先週の半ばから後半にかけて、家族3人ともがバタバタとやられました。
高熱、咳。関節の痛みとだるさ。
医者へ行き、鼻に棒を突っ込まれて15〜20分ほど待たされると、
ふたたび呼び出されて「(新インフルエンザ)A型です」と言われ、確定。
僕と妻の罹患にタイミングのずれがあったのが不幸中の幸いで、
何より大事な娘をかろうじてケアできました。
1歳児の発熱中は容態が急変する可能性があるので目を離すなと言われ、
まさに昼夜24時間交代で見守っていたのでした。

今ではようやくみんなの熱も下がりつつあり、
どうにか山を乗り越えたらしいので少しだけ安心しています。
もちろん、まだ油断はできないけれど。
僕は月曜から外出OKなので、そこでやっと会社に行ける感じですね。

やれやれ、ほんとにしんどい一週間だったな。

実に本格的に寝込んでいたので、今日パソコンをつけてみたら、
ワールドシリーズで松井秀喜が大活躍してMVPを獲得していたり、
ジャイアンツとファイターズの日本シリーズも巨人が王手をかけていたり、
Jリーグ・ナビスコカップ決勝でFC東京が優勝したけれど、
2位の川崎の選手の態度が悪かった事で5000万円を返上する羽目になっていたり、
GACKTが年齢を公表していたり(実にどうでもいい)、
逃亡している容疑者の男性が整形をしているだのなんだのが話題になったり、
先週までまさにやりとりをしていたウェブデザイナーが会社を退職していたり、
最近あまり連絡のとれていなかった代理店の担当の方がやはり退職していたりと
(退職の2件はごあいさつメールを転送してもらいました。お疲れさまでした)、
まさに浦島太郎の心地であった。

人生は短い。
一週間もあればいろいろな事が起こる。

それにしても病気で倒れて寝込むなんて本当に久しぶりだ。
この週末でしっかり治そう。
みなさんもどうか気をつけてくださいね。
新インフルエンザ、ほんっっとにきついですから。
by shinobu_kaki | 2009-11-06 09:58 | ライフ イズ | Trackback | Comments(4)

移動祝祭日


by Shinobu_kaki
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30