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monologue.


強みの部分で勝負すべき。
ことに、ある程度の年齢になってからは。
だから周りをよく見て、自分の強みが何かを認識すべきだ。
弱点の解消というのはまた別のタスクになる。

何度も書いた事だが、フィジカルが基本。
精神的な不安定さは、
自意識と状況の接地面のギャップによって起こることが多いが、
身体を動かし疲れる事で世界との境目が少しずつ明確になるからだ。
というわけで、筋肉痛は非常に精神衛生上よい。

水を多く飲め。

世界は悲劇や絶望であふれている。
本当にひどい事件や不幸な事例に暗澹とさせられる。
希望はないのか?
希望はなくとも、救いはある。
日常には小さな救いにあふれている。
その事を思い出させてくれるのは他人かもしくは、
自分の中の他者的な視点だったりする。
対話が大事。
他人と、自分と、できるかぎり話す事。

人に頼り切らない。
自分の運命を誰かに託したりしない。
決定は自分で行ない、責任は自分で負う。
やれる事は可能な限りやる。
軋轢を恐れない。
安易な妥協は後悔の種になる。
後悔はなくならない。
薄くなり小さくしぼみはするが、自分の中にずっと残り、
ことあるごとに顔を出しては苦しませる。
それは自分への警鐘、一種の自己防衛本能だ。

世界は人類の作品だ。
傑作もあれば、失敗作もある。
それらはラベルを貼られる事なく同じスペースに転がっている。
自分で見極めなければならない。
「価値」には2種類ある。
一般的に価値のあるとされるものと、自分にとって価値のあるものである。
前者は時として金になり、後者は金とは関係がない。
しかし前者は変動的で移ろいやすく信用できない。
後者は自分が変わらぬ限り自分にとって絶対的なもので、
それは往々にして「好き」という感情で表現される。
自分にとっての価値を見極めるには自分自身を知っている必要がある。
自分を認識するという行為の時点で、自分というのは2人存在する。
認識する自分と認識される自分である。
これらは同一ではないのが面白い。
我々は他人と折り合いをつける前にまず、
自分自身と折り合いをつけなければならないのだ。


以上、満月の翌朝の日曜日に。
by shinobu_kaki | 2010-01-31 08:36 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(4)

ツィゴイネルワイゼン。


ふと、ツィゴイネルワイゼンの「ツィゴイネル」つまり「ツィンガル」って、
青森県の「津軽」と共通項があるんじゃなかったっけ?と思い、
検索したら1ページだけありました。

ジプシーと都市文化のバレーと農耕民族のサッカー
物書き冥利に尽きるまで


この中に、書籍からの引用として三浦雅士の言葉が載せられてあります。
僕の記憶は確か、「村上龍全エッセイ」の対談か何かだったと思う。

実際どうなんだろうと思うけれど、真偽云々はともかく、
そういった説があることは面白いと思うし、興味深い。
ブックマーク的に以下にちょっと引用させていただきます。
長くなるけど。


 舞踏っていうのは 3 種類って言うか、大きくいうと 2 種類あるんだよね。
 それは“舞踏”って書くでしょ。その舞うっていうのは回ることなんだね。
 これはだいたい農耕民族のものなんだ。で、特徴は大地から足をはなさないわけ。
 たとえば日本で激しい踊りだって言われてても、
 四国の阿波踊りみたいなのでも、絶対地面から足を離してないでしょ。
 ピュッ、ピュッって手を交互に出して、こういうふうに行くだけじゃない。

 で、農耕民族。その典型的なのは能だね。
 それともう一つは踊りっていうのがあって、それは跳ねるやつなの。
 その典型的なのはバレエだけれでも、その跳ねるのはどこから来るかというと…。

 能の跳ねるっていうのは踵で大地を踏むことなんですよ。
 ところがバレエの跳ねるっていうのは爪先なんだよ。
 爪先の文化と踵の文化とは全然違うわけ。農耕と遊牧民。

 爪先で立っていないとフェイントできないんだからね。
 バスケットボールでもサッカーでもラグビーでもアメリカン・フットボールでも。

 片一方に、大地から足を離さない舞というのがあって、
 片一方に、ぽんぽこ、ぽんぽこ跳ねるのがあるでしょ。
 その中間のがあって、それは大地を蹴るんだって。
 これは五木寛之の説なんだけど、
 その大地を蹴って去っていくっていうふうなのがジプシーだっていうのよね。

 大地を蹴って去っていくっていうのは、つまり移動するっていうことだね。
 つまり定着しないの。バレエは都市に定着するっていうわけ、彼の言うには。
 都市に定着した連中っていうふうなのがバレエをやって、
 農村に定着したものがやるのが舞だと。

 音楽も全くそうね。対応するとおもうね。
 いちばん簡単な対応っていうのは 3 拍子だよね。
 日本の舞踏は基本的に 2 拍子もしくは 4 拍子でしょ。
 中国は 2 拍子、 4 拍子。中国も日本も舞の文化なんだね。
 つまり大地から足を離さない稲作民族の文化なのね。
 ところが韓国は違うのね。 3 拍子。やっぱり騎馬民族なのよ。

 日本の踊りは基本的に全部舞いの文化なの。でも例外が一つあるんだよね。
 と、ぼくはあえて思ってんだけど、青森のねぶたなのよね。
 弘前のねぶたっていうのはやっぱり足をペタッと付けて地から離さない。
 ただ練り歩く。

 ところがね、青森のねぶたっていうのはピョンピョン跳ねるのね。
 それは非常に例外的なんです。珍しいわけだよ。

 本州の北端の津軽のねぶたはピョンピョン跳ねる。なぜか。
 ザンガロっていうのはフランス語でジプシーのことでしょ。
 で、ジプシーていうのはツィンガルっていうんですよ。
 ツゴィネルワイゼンのツゴィネル。
 津軽というのはそのツィンガルという言葉が変形したんだって説があるんだよね。
 だからフラメンコ・ギターと津軽三味線のオリジンは
 ユーラシアのど真ん中で一致している。

 片一方は東に来て片一方は西に来た。そのときに跳ねるっていうか、
 大地を蹴るっていうふうなのも、東の果てに行ってねぶたになって、
 西の果てに行ってフラメンコになったと。


ところでいま、農耕民族・狩猟民族みたいなくくりってどうなんだろう?
DNAからくる民族的性格付けの意味としてよく使われた印象だけど、
もともと人類はすべて、狩猟生活の期間のほうがうんと長かったわけでしょう。
日本人イコール農耕民、ヨーロッパ人イコール狩猟民みたいなのって、
いまや少々アバウトというか乱暴な気もするのだが。
確かにキャッチーで分かりやすいから流布しているのもわかるけどね。


ところで三浦雅士といえば、
以前エントリしたことがありましたね。これだ。

打楽器革命
by shinobu_kaki | 2010-01-27 13:09 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)
まあとにかく以下のリンク先を見てやってください。
面白いから。

【進研ゼミ】笑いを征する者が受験を征す。試験問題の傾向と対策と模範解答集【Z会】


ちょっと凄すぎて、思いつかないよねー。
先生たちのコメントも味があってとてもナイス。
by shinobu_kaki | 2010-01-26 15:19 | エウレーカ! | Trackback | Comments(2)

とても良かったので、ご紹介。

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SOUR '日々の音色 (Hibi no neiro)'


4分足らずのyoutubeムービーです。
アイデアとセンスの勝利。
形容しがたいけど、感動すらする。

メディア芸術祭エンターテインメント部門大賞受賞。

アーティスト「SOUR」のサイトはこちら。
http://sour-web.com/
by shinobu_kaki | 2010-01-21 12:24 | エウレーカ! | Trackback | Comments(4)

Religious swindle.



TOSHIのmixi日記「皆様へ」


今回の騒動を見てまず思ったのは、
「なんて古典的なんだ」
ということだった。
だって要は、怪しい宗教(的)団体に身ぐるみはがされました、
って状態だものね。

新聞の見出しにも大きく「だまされた」ってあったけど、
だまされてないと思っていたのは彼の周りでは本人だけではなかったか。

宗教団体は「お金を要求してきたらまず疑え」という話がある。
信仰という弱みにつけこまれると、人はお金を喜んで出してしまう。
または、お金を出すことを疑問に思いながらも、
「疑う自分はまだ信仰が足りない」などといった思考回路で、
自分自身の疑問を押さえつけてしまうのだ。
これは当人が悪いというよりも、
信仰のシステムの中にそういうロジックがあるのだ。
(と書くと、自分が宗教団体の中の人みたいだな。そんな事実はありません)

TOSHIに関しても、どこかで怪しいと感じ、
途中で引き返すタイミングがあったのかもしれない。
でも、一度信じた身としては、
引き返すことは信じた自分自身を否定する事だ。
それはものすごく勇気がいるし、
「強さ」を持っていないと行動に移す事は難しい。

人間の強さというのは「捨てられる強さ」だ。
何かに寄りすがっていると、
まるでそれが自分の価値とイコールのように認識され、
絶対に捨てられなくなってしまう。
捨ててしまうと、自分には何も残らないのではないかと思う。
そこで引き返す事ができるのが強さなのだが、それはとても難しい。

自分を客観的に見られる人は強い。
自分を笑える人は強い。
自分の弱さを知っている人は強い。
自分の行動が失敗だったと認められる人は強い。

そして、強い人の条件がもうひとつある。
「人に優しくできること」だ。
本当に強い人は往々にして、優しいものなのだ。
by shinobu_kaki | 2010-01-19 11:21 | エウレーカ! | Trackback | Comments(0)
今日発売のAERAに、
「2011年卒就職人気企業ランキング」という記事があり、
総合1位はANA(全日本空輸)だった。
これはものすごい勢いで沈む太陽、JALの斜陽感とも関連があるだろう。
元来、航空会社は「旅」の高揚感が付随してくることもあり、
人気のジャンルであると言える。実に2位はJTBだ。
旅行業界は不況でも広告露出が多いのも理由のようだ。
その次は資生堂、オリエンタルランド、三菱東京UFJと続く。
出版は23位に集英社、TV関係は41位にNHKがやっと入るくらい。
エイベックス22位、博報堂16位、電通33位、フジテレビ56位。
ユニクロのファーストリテイリングは63位。

ところで今、
就活生は何を基準に会社を選んでいるのだろうか?
学生が「その企業を選んだ理由」のリストがあった。書き出してみる。

●業界上位である(1位:三菱東京UFJ銀行)
●安定している(1位:三井住友J銀行)
●社風が良い(1位:オリエンタルランド)
●給与・待遇が良い(1位:三菱東京UFJ銀行)
●休日・休暇が多い(1位:シチズン時計)
●社会に貢献している(1位:JR東日本)
●福利厚生が充実している(1位:資生堂)
●企業広告・宣伝が好き(1位:博報堂)
●グローバルな企業である(1位:ANA)
●経営者が魅力的である(1位:オリエンタルランド)
●自分の能力・専門を生かせる(1位:ベネッセコーポレーション)
●実力主義である(1位:伊藤忠商事)
●将来性がある(1位:JR東海)
●商品・サービスが良い(1位:明治製菓)
●優秀な社員が多い(1位:三井住友銀行)
●やりたい仕事ができる(1位:JTBグループ)

このリストだが、
それぞれの項目の最後に「〜気がする」をつけなければならない。
だいたい「優秀な社員が多い」なんて断言できるのか?
「優秀な社員が多い気がする」、これならわかる。
こういうのは多分にイメージが大きいよね。
記事にもあったけど、学生向けイベントに参加すれば好印象になる、
そこでの担当者の印象が良ければ人気企業になる。

そして、仮に給与がいくらか高かったとしても、
ムチャクチャに残業が多かったり労働時間が長かったりする、
そんな企業は誰も就職したくないだろう。
自分だってそう思う(今がどうなのか、というツッコミは禁止で)。

日本は昭和の時代に猛烈に働いて近代化を成し遂げたが、
今、中国で過労死が問題視されているように、
近代化には負の側面も当然あるよね。
そういったことを考えると一番大事なのは「時間の過ごし方」であって、
金やモノといった即物的な要素ではないのだ。
それが成熟した価値観というものだろう。

とまあ、働く側としてはそう思うわけだけど、
経営者としてはそもそも会社を存続していかなければいけないわけで、
そこに社員の労働基準法的な権利をもってこられると厳しい、
というのも理解はできる(理解するだけだけど)。
「労働者」としての自分の本音は別で、
社員の人生に無理をさせるのでなければ存続できない企業であれば、
それはシステム自体が歪んでいておかしいのであって、
いびつなシステムは無くなるのが正道だろう、と思ったりする。

反面、労働条件などの権利をやたらにふりかざす、
そんな社員を抱えては、会社も厳しいだろう。
会社自体がダメになれば人件費に影響する。
給料は社員や社員の家族の生活に直結する。そうなればピンチだからね。
1912年のタイタニックに乗りたい人はどこにもいない。
まあ、ジレンマだな。
by shinobu_kaki | 2010-01-12 11:53 | エウレーカ! | Trackback | Comments(2)

お気に入りスポット。

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東京郊外の田舎(失礼)暮らしは、
広々としていて人の少なめなのが魅力。
本当の田舎と比べればそりゃあ人も建物も多いけれど、
なにしろ東京都心と比べれば、子供にとっては快適そのものだ。

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中でも駅前のビル上のホールによく足を運ぶ。
形は円形で、子供が走り回るのに十分なスペースがあり、
ガラス張りのために見晴らしよく遠くを眺められる。

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西の空まで暮れてきた。
これから街の明かりがぽつぽつと灯り始める。

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夜が落ちてきた。さあ、帰ってごはんにしよう。
by shinobu_kaki | 2010-01-10 16:39 | チープ・トリップ | Trackback | Comments(0)

周縁。

前にも書いたが、その人の嗜好性には、
実にその人自身が表象されるものだ。
そんな「選ぶ」という行為には人間がにじみ出る。
人を選ぶ、言葉を選ぶ。
その選んだものこそがその人間の周縁であり、
周縁によって形作られたアウトラインはその人の本質を映し出す。

「他人は鏡」と言われるのもその一部だ。
周りの人々を見ればその人がどんな人生を送っているかがわかる。
好きな本、好きな空間、好きな音楽、好きなサイト。
たとえ本人がいくら言葉で否定したとて、
そこからにじみ出る嗜好性は否定できないたぐいのものだ。


思えば、自分自身のことって書いてるようであまり書いてない。
(ちなみに今「自分詩人」と打ってしまった。いいね自分詩人)

書いているのはだいたいは周縁のことだ。
何かに対してこう思うとか、何が面白かったとか、何に心打たれたとか。

もちろん色んな書き方があるのだから、それでもいいと思っている。
直接的なやり方もあるし、間接的なやり方もある。
実人生とまったく同じだと思う。
by shinobu_kaki | 2010-01-08 13:56 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

IDEA


「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外のなにものでもない」
らしい。

そして、
「新しいアイデアというのは、新しい場所に置かれた古いアイデア」
なんだそうだ。

「新しい音楽とはすでに存在しているものの上に成り立っている」
と言ったミュージシャンもいる。

とある数学者は
「忘れていた何かを思い出すこととアイデアを思いつくことは非常によく似ている」
と言った。


つまりはそういうこと。
みんな同じ事を言っている。
by shinobu_kaki | 2010-01-04 23:34 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

卡拉OK!


カラオケもすっかり行かなくなりましたが。


人生いろいろ、カラオケもいろいろ
ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)



このシステムはちょっといいなと思った。やってみたい。
歌っている自分の顔が見えないというところと、
100人からの知らない人に聞いてもらうってのがいいね。
こういうのって人が少な過ぎると逆に恥ずかしいけれど、
100人くらいになるとまた別の感覚が生まれる気がする。

そう言えば高校の時の文化祭でもカラオケ大会があったな。
自分で用意したテープを体育館で流すというひどい音響の中、
各クラスから一人ずつの代表でステージで歌った人々がいた。
あの時の聴衆はやっぱり100人くらいじゃなかったかな。

僕は結構カラオケ文化の恩恵を受けた世代であり、
10代の終わりから30ちょい過ぎくらいまでの10年間強、
飲みに行ったらなんだかんだとカラオケに流れ、
それなりに歌を楽しんだと思う。だからカラオケは好きだった。
そして、今でも時々歌いに行きたいと思うことはある。
カラオケボックスもカラオケスナックもそうだが、
あの暗さがひとつのポイントなのだと思う。
だいたい人が歌を歌うというのは照れくさいことなので、
照明を落とすことで一種の非日常を演出し、
照れや恥ずかしさを克服するのである。
要は「シラフじゃ歌なんか歌えない」ってやつだ。


ちなみにこのエントリのタイトルは、
香港に行った時に見かけたカラオケの現地表記。
最初は意味がわからずしばらく友人と悩んだ。
字面的にいやらしい店なのではないかという意見もでました(笑)
by shinobu_kaki | 2010-01-04 11:48 | エウレーカ! | Trackback | Comments(2)

移動祝祭日


by Shinobu_kaki
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