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ぼつぼつ。



ちょっと息抜き。
ふー。


ちゃんと内容を決めて結論を書いて、
という大上段的な書き方をしなければと思うと、なかなかね。
逆にまったくそういうの無しだと、
どう書いていいかわからなかったりする。

4時間台の睡眠時間は自分にしてはいかにも短いけれど、
目覚ましよりも先に起きてしまったのでしょうがない。

どうも昨今の時代の空気は、今朝の空のように重く薄暗い。
ひんやりと寒くて、いつ雨が降るんだろうとびくびくしている感じ。
こんなに多くを望まない自分ですら、
言いようのない不安がすぐそばにあるようで落ち着かない。
日本人はムードに弱いと言われるが、
そういった性質の話もあるのだろうか?

やはりね、ほとんどのみんなが苦しそう。
あるいはそう見えるだけなのか?
メディアが煽るということもあるだろうし、
それ以外に実感として仕事の収縮という部分を感じるわけだ。
どうも安心できないというかね…。


そんな中、すごく面白い本も何冊か読んだ。
気が向いたらぜひ紹介したいと思う。
何より岩明均の「ヒストリエ」最新刊も発売されたしね。
遅筆で有名なこの人だけど、まとめて読むと実に面白い。
今は、物語中で間違いなく最大の英雄、
アレクサンドロスが登場しているところ。
この世紀の大王は怒濤の人生を駆け抜けたあと、33歳前後で死んでいる。
雨のような矢の中を平然と歩いたとか、
そういったエピソードのあれやこれやが実に似合う、
規格外の英雄という感じがするキャラクター造形でなかなか良い。
この漫画で印象的なのはエウメネスの不敵さ、ふてぶてしさで、
これは自らの知性からくる自信なのだと思うが、
見ていてなかなかに頼もしく、男はこのぐらいがいいよなあみたいに思えてくる。
少し勇気が出るわけだ。
読んで何かしらの勇気が出る漫画は、いいよね。


ま、というわけで曇天の木曜日。
週末に向けてぼつぼつ行きます、と書こうとして、
「生きます」と変換されてしまった。

ぼつぼつ生きます、か。
そうだね。その通り。
by shinobu_kaki | 2010-05-27 07:17 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

日報なるもの。

先月から、会社で日報というものを書くように言われている。
「一日の気づきを3つ書いて提出させる事」と、
あのドラッカー氏がどこかで書いていたらしく、
それを社長が実践してみているということらしい。
もちろん書いているのは僕だけではない。
全社員が対象だ。と言ってもほんの数名だが。

自ら文章化する事で色んな考えが整理される、なんてことは、
ここを読んでくれていた人であれば何度も出てきたフレーズだろう。
自分としては非常に「今さら」で、
そんなのもう6年前からやってますよってなもんだ。
だから「気づき」かどうかは別として、
日に3つのトピックスを書くことなんて別に大変なことじゃない。
でも書き慣れていない人はやはり労苦に感じるらしく、
名指しはしないものの「最近書いてないやつがいる。けしからん」と、
社長が社内ミーティングで不満を漏らしていた。
だいたい、「自分も書く」と言っていた当の社長が数日でやめた。
形としては添削する側に回ったということだが、
最初の数日の社長の日報を読んでいても、
みるみるネタがなくなっていくのが手に取るようにわかった。
そう、毎日書くのってけっこう大変なんだよね。

ほかに難しさがあるとすれば、
その文章が誰に向けて書かれてあるかということである。
いや、もちろん日報は社長に向けて書くのであろうが、
僕はどうも「誰ともなしにひとりごちる」ようなブログのスタイルに慣れている為、
なんというか、ショートエッセイ的な語り口になってしまうのだった。
そのうち「ですます調」ではなく「である」調になってったしね。

だって、「今日、○○○がありました。僕はこう思いました。」
というのもね。小学生の日記じゃあるまいしだ。
言ってみれば気づきとは、「世の中における一片の真実」であるわけでしょ。
つまりは正しく風格を伴って見えるものなわけだから、
文章もついつい立派を装ったものになってしまうのである。

しかし最近自分でも、「ちょっとエラそうなんじゃないか。仮にも社長に」
という葛藤がなくはない。
でもまー、別に「ですます」で書けないわけではないし、
少しソフトに文体をシフトしようかね、なんて思ったり思わなかったり。
by shinobu_kaki | 2010-05-25 07:58 | ライフ イズ | Trackback | Comments(6)

島国根性。


若い頃、パブでアイルランド人の男性と隣り合った。

彼は名前を聞けば誰でも知っているような大企業に勤めていて、
日本語も本当にペラペラと上手に話した。いわゆるエリートだったのだろう。

彼はマンチェスターユナイテッドのファンだそうで、
中でもフランス人FWのカントナが好きだと言っており、
カントナの応援歌を教えてもらって一緒に歌ったりするなど盛り上がった。

そんな短い邂逅の中、
彼が話したことの中で忘れられない一言がある。
僕が何の気無しに「島国根性」という言葉を出した時、
彼が猛然とこう言ったのだ。



「島国根性か…。なぜ日本人はその言葉を使う?
我々アイルランドだって島国だが、そんな言葉は使わないよ」



僕が20歳くらいの時だと思う。
それ以来、僕は「島国根性」という言葉を使わなくなった。
今でも使っていない。
by shinobu_kaki | 2010-05-19 10:28 | ライフ イズ | Trackback | Comments(2)

以下は、2008年3月の「エスクァイア日本版」からの引用。


 あるとき、フィッツジェラルドが
 筆者の同僚でプロ中のプロの脚本家のもとに相談に来た。
 「ディソルブとフェイドアウトの違いを教えてくれないかな?」
 脚本家はおどろいて、なんでそんなことを知りたいのか、と聞いた。
 「映画は新しい芸術だよね。
 どういうものか、しっかり知っておきたいんだ」
 そこで、脚本家は、細かいことは知らなくていいのよ、
 ディソルブとかフェイドアウトは、
 映画を撮り終わってから監督とか編集のやつらがラボでやる作業で、
 脚本書きには関係のないことなの、と言った。
 フィッツジェラルドは呆然とした顔になったが、なおもこう言った。
 「でも、知りたい。ぼくは一級の映画作家になりたいんだ」
 すると、脚本家はこう言い放った。
 映画作家?会社があんたに求めているのはフィーリングだけだよ。
 余計なことは考えないことだ。
 「フィーリングだけ?」
 そうだよ。
 そして、力なく引きあげていくフィッツジェラルドを見ながら、
 こう言うのである。
 あのひとも死んでるね。

 青山南「盛衰の作家、フィッツジェラルドへの再評価」より


村上春樹の功績によって、
ブッキッシュな日本人のほとんどが知っているのではと思われる、
F・スコット・フィッツジェラルド。
僕も詳しいわけではないけれど、
代表作である「グレート・ギャツビー」くらいは持っている。

彼は1940年に44歳で亡くなっているが、
その時は本のほとんどが絶版で、世の中の認知度においても
「まったく『だれ、それ?』な状態だったのである」。
(上記の同記事より引用)

上のエピソードは少々分かりづらいが、
歴史的に有名になった作家の、生前のもがきが感じられる。
彼が額縁に入るのはもう少し後の話だ。

そしてフィッツジェラルドの苦悩は、
どこか現代に通じるものもあるだろう。
その時々では、人はいつも先が見えないので懸命である。
自分がどうなるかなんて知っている人はいないのだ。
by shinobu_kaki | 2010-05-11 18:14 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

一生分を90秒で。


これはちょっとぐっとくる。
イギリスのCMより。

一人の女性の人生を1分半で表現したイギリスのCMが素晴らしい!


ひとつなぎになっているところがテクニカルでいいね。
気の利いた演出。

映画や小説などの物語で、
他人の人生の時間を凝縮して見せられるとぐっとくるんだけど、
これはどういった心の働きなんだろう、といつも思っている。
「それから30年後」とかやられると、
なんかもうそれだけで話に納得してしまうような。
by shinobu_kaki | 2010-05-09 07:17 | エウレーカ! | Trackback | Comments(6)

噛み合わない議論。


なんかこう、久しぶりにこういうのを見た気がしたのでメモ。

勝間 VS ひろゆき 討論会

噛み合ってないとはまさにこのこと。
久しぶりというのは、あまりこういう「明らかにいらついている状態」を、
リアルならまだしもメディアを通して見る事ってそんなにない気がしたので。

こちらがその後の勝間和代さんブログ。
2chはIPの開示に積極的であるというひろゆきさんの注目発言について
と、そのコメント欄。

こうして見ると、
「勝間は株を下げ、ひろゆきは株を上げた」
という意見が多いのだけど、僕がそれに対して思うのは、
「他人は感情的になった人に冷たいのな」という話であって、
この討論自体を勝ち負けで見る事はできなかったな。
しかし本当に議論になってないな、とは思ったけど。

討論は言わばボクシングであり、
つまり議論を交わす、パンチを出し合うという形のもとで進行される。
だから多少なりとも「前提」がないと話が進まない。
勝間氏はひろゆき氏の「原理原則」というガードにいちいちパンチを封じられ、
いつもはできているはずの自分のボクシングができない。
リング上であからさまにいらついた態度を出した勝間氏に
(毒づいて相手の顔につばを吐いたくらいの印象はある)、
「その態度はちょっと…」と、観客が白けたという構図なんじゃないだろうか。

だからコメント欄でいろいろ言われているのは「態度」についてだよね。
別に論じようとしている内容がどうこうじゃない。
というか話がそこまで達していない。

だけど、ひろゆき氏の態度に対する話がほとんどないのが不思議。
失礼なことこそ言ってはいないが、
あの態度は面前でやられたら普通はちょっと癪にさわると思うんだけど(笑)

匿名云々については、
僕は匿名かどうかで書ける事は変わってくると思うし、
匿名だからこそ書ける内容というのは確実にあると思う。
だから匿名の場と言うのはあっていいと思っている。
仮に遡れば個人は特定できると言っても、そこまでする人は少ないしね。
逆に言って、匿名のほうが「書きたい事を書けてしまう」という心理があるため、
場が荒れやすいというのもかなり当たり前の現象としてあると思う。

幸福度については一概に論じられない。
何度も書いている気がするが、幸福度というのは個人的なものだからで、
はっきり言って幸福度調査という名目のデータには何の意味も無い。
幸福に絶対値はないのである。
「水と安全があれば幸福」という話は極端に聞こえるが、
それを否定できるものでもない。一種の原理原則だからだ。
まあでも実際にそう言う人が、
その通りのシンプルな生活をしてるかどうかは別の話だけどね。


勝間氏ブログコメント欄にあったけど、
2008年にひろゆき氏の書いたこんなのもある。
無敵の人の増加。

ちなみに、こちらもどうぞ。
【ネットの匿名性】 勝間 vs ひろゆき、について思うこと。
ASSIOMA (大元 隆志)



【追記】
双方、ちょっと反省モードのエントリをアップしています。

勝間さん対談の睡眠不足の反省と、幸福論
(ひろゆき@オープンSNS)

てか、「口げんかっぽい粗野な対応」をしてる自覚はあったのねw

ひろゆきさんとの対談について、心から非礼をおわび申し上げます
勝間和代公式ブログ: 私的なことがらを記録しよう!!

こちらはあちこちで炎上していたこともあり、平謝りモード。
by shinobu_kaki | 2010-05-05 07:18 | エウレーカ! | Trackback(2) | Comments(8)

「明晰さ」と言えばゴダールかドラッカー、
という感じがするんだけど。

逆に、発明家は明晰ではない。
アインシュタインとかああいった人たちは明晰というよりは、
どこか蒙昧でないと新しい事はできないだろう。
「明晰さ」とは「わかっている」ということだし、
「蒙昧さ」とは「バカ」ということだ。
世の中にはバカじゃないとできないことがある。
それは突き進む力のようなものだ。
わかっていると、人はリスクを回避するから、
フロンティアを切り開く事が難しいのだ。
だって、コロンブスとかマゼランなんかの探検家って、
言わば命知らずのバカだと思いません?

こないだ「女子マネドラッカー」を読んだ事もあるが、
もうちょっと真面目なドラッカー本を読んだりしている。
堅苦しく見える本ではあるが、
知的というのは言ってみればいつもアナーキーなものだ。
古い文学が実はそうであるように、ロックで、刺激的で、面白い。
ドラッカーと言えばマネジメントなわけだが、
「経営管理」と言えども書かれているのは企業のことばかりではない。
そういった個人についてのマネジメントの話は、
非常に身につまされるし、当事者意識を持って読む事ができる。

ドラッカーのキーワードは「真摯さ」ということである。
ドラッカー本人も説明に窮している感のあるこの言葉だが、
キリスト教的宗教観を持たない僕にとっては、
「誰も見ていない時でも誰かに見られているかのように考え、振る舞う事」
というニュアンスが近いかな。
真面目というのでもない、切実というのでもない、
向かう対象や、それをする自分自身の姿勢や時間に対して誠実な事。
誠実と言うのはつまり、
「生涯で一回しかできないとしたら、その一回がこれでいいのか」
と自問する事。
虚飾を交えずに書くとそういう事かな、自分にとってはね。

明晰さについてもう少し書くと、
「深く考え、次の展開を読んで行動すること」と言えると思う。
どんな人間にもすべてのことは経験できない。
しかし経験した事しかわからない、というのは知的な態度とは言えない。
色んな事の本質は、遡ると共通点があるものだ。
探り当てた共通点を考えのベースに、先を見通す目を持つこと。
それが「明晰さ」ということだと思う。

しかしあれだね、こういった話は語るに落ちるというか、
「じゃあお前は明晰なのかよ?」と言われたら、
「…すみません」と小さくつぶやいて後ろ向きに引き下がるしかないんですけどね。
まあ、わからないなりにわかる範囲のことでわかる部分はあるってことです。
はい。
もしくは「わかったつもり」ね。
それでもいいじゃない。


というわけで連休もあっという間にあと2日。
早いねえ。
by shinobu_kaki | 2010-05-04 09:08 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)
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GWらしく家族でお出かけ。
横浜のアンパンマンミュージアムへ行ってきました。
天気はバッチリ。
暑いぐらいで、まさに行楽日和ってやつだ。

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園内はまさにアンパンマンの世界一色で、
どこもかしこもアンパンマン。
最大の難関である電車移動をなんとか乗り越えて、
着いたらまずは腹ごしらえの肉まん。

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広大な敷地というわけではないけれど、
限られたスペースの中に様々なものが詰め込まれていて、
大人目線からでも十分楽しい。
もう少し日陰を作る工夫があってもいい気がしたな。

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個人的にもここ最大の目玉、「ジャムおじさんのパン工場」。
アンパンマン他、さまざまなキャラクターのパンが次々作られる。
2階にはカフェもあり、1階で買ったパンを食べる事ができる。
そしてやっぱりここが一番混んでいた、ミュージアム館の次にだけど。

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店内は大盛況。

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つぶあん入りのアンパンマン。
やはりこれを押さえないわけにはいかない。

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カレーパンマンは辛さが2種類あった。

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バナナミルクもアンパンマン。

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最後にミュージアム館へ。
少々並んだが、中に入るとアトラクションが色々とあって遊べる。
ばいきんまんのUFOに乗れたりね。
最後は娘も「ばいばーい」を連発して別れを惜しんでいた。

夜は、アンパンマンの夢を見ただろうか?
by shinobu_kaki | 2010-05-03 08:54 | チープ・トリップ | Trackback | Comments(1)


「国民の、ITによる、日本復活」書き起こし
孫正義&三木谷浩史



ブックマークとしてエントリ。後で何度か読もう。
by shinobu_kaki | 2010-05-01 17:24 | エウレーカ! | Trackback | Comments(0)

それは負けじゃない。

「勝てそうにないときは、逃げていい。それは負けじゃない」
「日本軍はね、退却するのは恥だと思ってた。
それで局所的な戦いで力を出し尽くして、勝った勝ったなんて喜んでた」
「ところがアメリカはどうだ、さっさと退却して作戦を練り直して、
もっと効果的なところで打って出た」
「逃げていいんだよ。そして勝てそうなときに出ていくんだ」
「つまりゲリラね」

逃げていいんだ、つまりゲリラね、
という言葉を今もよく思い出して、その意味を考える。
退却しながら弾を打ったりするのは弾のムダだ。
背中を見せたら撃たれるなんて思い込むことはない。上手く逃げるんだ。

上手く逃げて、とにかく生き延びる。
そして勝てそうなときに出て行く。人生は長い。

ゲリラ的人生 (はてこはだいたい家にいる)



人生を苦しくさせるものがあるとすれば、
それは自分自身である事が多い。

悩みというのは自分で設定した理想と現実のギャップのことだし、
劣等感というのも自分で設定した比較対象との差異から生まれる。
ある事象が「逃げ」かどうかというのも、人によって基準が異なる。
莫大な借金をしたって、それはそれと割り切って、
カラカラと笑って過ごすような人種もいる。

積極的逃避が必要な時もあるのだ。

おそらくだが、一番良くないのは、
元気がなくなるような状況をいつまでも続ける事だ。
人は本来、絶対やりたくないことを続けられるようにはできていない。
精神をやられて病気になってしまうのだ。
それは自分と状況があまりにも合わないのであって、
そう、それだけなのであって、
何ら恥じることなく逃避していいのである。

それをさせないのは、自分自身の慎重さという防御本能にほかならない。
その慎重さは様々なリスクからあなたを守ってきた。
だがいずれ、慎重さを外さなければならない時がやってくる。
ちょっとしたリスクを負わなければならない時がある。
多少の痛みはこらえて、本能にしたがうべき時があるのだ。

それに、「逃げる」という選択肢がなければ、
我々はいずれ全滅するしかないんじゃないか?
ドラゴンクエストだって「にげる」というコマンドはあった。
「にげる」がなかったら切り抜けられない場面だってあったはずだ。
だがそれの、どこが恥なのだろうか?

しかもゲームと違って、実人生は全滅したらそこで終了なんだぜ。

逃げろ、逃げろ。
上手に逃げろ、勝手に逃げろ。
逃げて生き延びるんだ。

所詮人生は自己責任。
誰かの命令を忠実に聞いたって、
その人が人生の責任まで取ってくれるわけじゃない。
自分で「まずい」と思った時、それが逃げる時だ。
人に委ねるんじゃない。自分で決めろ。
自分で決めていいんだ。

その選択も結果も、
そしてその時間すべては、他でもない、
あなたのものだ。

もう一度言う。
誰かのものじゃない。あなたのものだ。

だからもっと、好きにしていいんだよ。
by shinobu_kaki | 2010-05-01 16:59 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(2)

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by Shinobu_kaki
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