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幸せな姿勢。


芸術家というのは気が向いたら書いて、気が向かなきゃ書かない。
そんなタイムレコーダーを押すような書き方ではろくなものはできない。
原稿なんて締め切りがきてから書くものだとか、しょっちゅう言われてました。
でも僕はそうは思わなかった。世界中のみんながなんと言おうと、
僕が感じていることのほうがきっと正しいと思っていた。
だからどう思われようと、自分のペースを一切崩さなかった。
早寝早起きして、毎日十キロ走って、一日十枚書き続けた。
ばかみたいに。結局それが正しかったんだと、
いまでもそう思いますよ、ほんとうに。
まわりの言うことなんて聞くもんじゃないです。


村上春樹(「考える人」2010年08月号より)
村上春樹ロングインタビュー(勇気と想像力、そして少々のお金)


村上春樹は成功者である。
同じような境遇と言える人は世の中に多くない。
だから彼の姿勢がケース・スタディーとして適用されるかどうかは、
たいていの人にとっては微妙かもしれない。

だが、共感する事は自由だ。そうでしょう?

「誰が何と言おうと、自分はこれでいいと思う」
そう思う事が(本当に時々だが)ある。
いや、頻度としては「あった」ぐらいが正しいかもしれない。
それほどに強い気持ちで世界と対峙できることなんて多いはずがない。
レア・ケースだ。
だが、確かに「あった」と言える。
これでいい。誰が何と言おうとかまわない。
そう思えるかどうか。

きっとこの話のポイントは、
「そこまで煎じ詰めて考えられたかどうか」ということじゃないかと思う。
例えば聞きかじった程度のあまりよく知らないことに、
人は、強い信念など持てはしないからだ。
「誰が何と言おうと」と言えるためには、自分なりの突き詰めた検証が必要であり、
もうこれ以上は考えられないと思えるほどに、
さまざまな角度からひとつのことを見据える経験が不可欠だからだ。
そうすれば、正誤性を抜きにした(というのも不思議な表現になるが)、
自分なりのひとつの真実が生まれるに違いない。
たとえその結論が最終的に間違ったものだったとしても。


事実はひとつだが、真実は人の数だけある。
その検証は誰にもできない。
そして「誰が何と言おうと」と思える姿勢というのは、
この上なく幸せな姿勢と言える。


きっと村上春樹は今のように売れてなくとも、
変わらず「村上春樹」だったんじゃないかと思わせる。

それは強さだ。
そういう気持ちを抱いて、生きて、死んでいきたい。
大げさでなくそう思う。
by shinobu_kaki | 2010-07-27 07:55 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

暑いね。

なんだろうこの暑さ。
どちらかと言うと暑さには強いと自認していて、
例えばタイのバンコクであろうと住むことができる、などと
豪語していたワタクシであるが、
今年の暑さはなんだかやけにこたえる。

一歩外に出るとジリジリと日差しが照りつけ、
まるで何か熱い金属を身体に焼き付けられているような暑さである。
幸いにも外まわりの仕事ではないものの、
家に帰る頃にはすっかりへろへろになってしまう。
体力が落ちたのかなあ。年をとったか。

定期的に運動やってると違うのかもしれないね。
せめて散歩でもいいけれど。


そう言えばやみくもにジムに通って汗を流していた時期を思い出した。
当時の家から歩いて2分ほどの位置にスポーツプレックスがあり、
新橋の飲み屋で、日本酒を飲み過ぎた勢いにまかせて友人と入会したのだが、
その後は自分でも意外なほどジムワークにいそしむこととなった。
友人には感謝である。

まず運動着に着替えて、軽くストレッチをし、
最初にトレッドミルで走れるだけ走るというのがいつものメニューだった。
平均すると20〜30分だったと思う。
だいたいそれくらい走ると汗もだくだくと吹き出てきて、
体中にぽっかぽっかと熱を帯びているのがわかる。
何度か、60分間走をやってみたこともあるが、これはかなりくたびれる。
走っている時の大敵は体力よりも「飽きる」ということで、
あまり変化のない風景の中を何十分も走り続けることが、
これほど退屈なのだということを知ったのだった。
よく、頭の中で歌を歌いながら走っていた。

そして走った後はウエイトをする。
試す機械はだいたいいつも決まっていた。
ウエイトの時間は30分くらいだったか。
運動をするには筋肉がついていたほうが当然ラクなので、
ウエイトをやることで運動の効率性を上げることができる。
身体が軽くなるのである。
とはいえバーベル系にはあまり行かなかった。
実感したのは「筋肉は裏切らない」というやつで、
どんな人でもウエイトをやればやっただけ筋肉がつく。
言わば完璧にコントロールできるのである。
こういったことは実人生であまりない。
それが面白かった。マッチョになるほどやらなかったけれど。

で、最後に腹筋と背筋をする。
傾斜のついた台でやるのでそれなりにハードである。
だがこれも、慣れれば慣れるほどラクになる。
回数をこなすことが苦痛でなくなる。
腹筋は30回×3セット+10回で100回、
背筋はその半分というところか。

それらの運動がひととおり終わると、
階下のシャワー室にいって汗を落とす。
サウナやジャグジーもついていて快適だった。
ここまでのコースでざっと2時間ほど。
終わった後のビールをいつも楽しみにしながら汗をかいていた。

気が向くと、上記のメニューに加えてプールで泳いだりもした。
僕はもともと泳ぎが得意ではなかったので、
それほど長い距離を泳ぐこともなかったわけだけれど。

そんなこんなで当時の住まいのことを思い出す。
新築で入ったアパートも、僕が出る時点で築5年以上となっていた。
行っていたスポーツプレックス恵比寿は、
今はもうコナミスポーツ恵比寿になっているらしい。
すべてのことは変わりゆく。
まったく同じ形に戻ることは二度とない。
あのスポーツクラブで流した汗は、あの時だけのものだ。


今の街にもスポーツクラブはいくつかある。
入会する予定は今のところない。
by shinobu_kaki | 2010-07-23 08:48 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

スキナモノ。



好きなもの イチゴ珈琲花美人 懐手して宇宙見物

寺田寅彦




日々のニュースからがそうだが、
人はどうもネガティブなことが気になる性質のようである。
良いことや素敵なことはあまりニュースにならない。
きっと他人のそうした不幸を遠巻きに確認することで、
自らの平穏無事を確認し「マイナスでないことの幸福」をかみしめる、
そんな性質があるのではないかと思われる。

しかしそんな心根の貧しいことではいけない。
何しろ寂しいではないか。
ここはひとつ、あえて好きなものを挙げてみる遊びを提唱したい。
寺田寅彦の三十一文字のようにである。


夏の朝
夏は朝がいい。…とまあ、どこかで聞いたような言い回しですけど、
本家の夜に対して夏の朝の爽快さを愛しています。
朝は夏に限らず好きだけど、冬は寒すぎる。わろしというやつだ。

冷凍庫で20分冷やしたビール
これは自分なりに辿り着いた一種の黄金比。
グラスとともに缶ビール(350ml缶)を冷凍庫で冷やしておく。
それ以上冷やすとあっけなく凍ってしまうし(特にエビスは凍る)、
10分程度だと正直言って物足りない。
本来はビールをそうやって冷やすのは味を損なうらしいのだが、
ビールの醍醐味はのどごしにあると思っているので無視をする。
自分にとって一番美味しい形であることが何より大事だ。

アイデアを持ち寄る打ち合わせ
複数人で仕事をすることの醍醐味。
同じテーマで何人かでアイデアを出し合い、
自分の考えた以外の方向性や領域を見出した他人の案を見る、
これが非常に楽しいものなのである。

史実に基づいた長尺の映画
映画の中でも史実に基づいた映画が好きである。
基本的に映画はエンターテイメントであるから、
ディテールにおいては脚色が施されている。
その軸となる部分のストーリーに史実という動かしがたいものが加わると、
映画のリアリティは格段に増す。骨太になるのである。
その絶妙なさじ加減がたまらなく好きだ。
そういった映画は予算も比較的に潤沢であり、
見応えのある作品が多いと思われるのも理由のひとつである。

桜の昼
桜の咲く日はそれだけで幸せだ。
なんて綺麗な惑星に住んでいるのだろうと思わせる。
夜桜も見事だが、桜はやはり昼である。
あたたかな風など吹いて花びらの舞い散る季節がベストだ。
虫が多いとか縁起が悪いとかのネガティブな側面などくそくらえで、
あれだけ桜自体が奇跡のように綺麗なのだから、
悪い部分がまったくないのではバランスが取れない。
これでいいのだ。

サッカーを観ること
94年以降、すっかりサッカーを観ることが楽しみになってしまった。
スタジアム観戦も何度もあるが、その良さも捨てがたいながら、
テレビでの観戦が非常に好きである。
カメラワークによって、選手の動きがより近く感じられるからだ。
ちなみに特定のチームをサポートするという心情を解さない自分にとって、
サッカー日本代表は無条件に応援してしまう唯一のチームである。
自分の中のナショナリストがここで目覚めるのである。

大きな書店
書店に足を踏み入れると、独特の高揚感に襲われる。
読んでも読み切れないほどの小説、
日々更新される最新の雑誌、
自分がまったく知らない世界が綴られたジャンルの書籍。
どれもこれも気分を上げさせるには十分すぎるほどのポテンシャル。
蔵書の豊富な図書館においても気持ちの高揚は感じられるが、
新しさという部分を備えた書店はまた格別なのである。
個人的に書店は「知のプラットフォーム」という位置づけだ。

週末に妻子と外出すること
いつも週末が待ち遠しい。
特に娘を肩車するのがとても好きだし、娘も気に入っているようだ。
家の中でなく外出としたのは、自分自身が外出好きだから。

長編小説の世界に「入った」瞬間
長めの物語は一度入ってしまうと非常に快適な体験ができる。
物語世界に入ることさえできれば、長さというのはむしろプラスに作用する。
どんな分厚い本であっても「終わって欲しくない」と思わせる、
そんな読書体験は楽しいし、時間の進むのが違って感じられるものだ。

秋の夜
秋の夜は何というか「深い」感じがして好きである。
これは春にも夏にも、もちろん冬にもない微妙な感覚で、
自分にとって夜が似合うのはやはり秋なのである。
おそらく夜は終わりのニュアンスを含んだ時間帯であり、
その「暮れつつある心地よい疲労感」が、
いわゆる夏の疲れとどこかシンクロするからではないかと思っている。

風呂で本を読むこと
至福の時間。それ以外に形容できない。
時々眠ってしまうのは反省である。危ないしね。

鍼、マッサージ
命の糧!

知らない人と話すこと
話というのは「前提」があるものだ。
前提なしに話をするのは難しい。
それはお互いの立場だったり関係性だったりに立脚するもので、
前提がないならまず前段から切り出さなければならない。
例えば電話でどこかに問い合わせたりする、
まず自分の名を名乗り、用件と要望を伝える。
こうした一連の作業が実はけっこう好きなのである。
やり取りが成立したという感触を得られるからなのだろうか。
これは比較的安易な欲求および実感だと思うのだが、
自分にそういった部分があるのだから仕方がないのである。


と、久しく書いてなかったことに対しての、
まるでリハビリのように長々と綴っていってしまった。
おそらくここまで全て読んだ人はいないであろうと思われる。
そして、スキナモノは本当はもっともっと思いつくのだが、
そこはそれ、あまりに冗長になったとて、
後で自分で読み返すことすらキツくなるであろうからやめておく。

そういえば冒頭の寺田寅彦は、
たったの三十一文字でスキナモノ全て(かどうかは知らないが)を
見事に表現した。

短いことはいいことだ。
短くて済むならそれにこしたことはない。
短く出来ないのは頭が整理できていないからだ。


でも、実は、さっき書いたように、
長い文章というのも僕の「スキナモノ」だったりするのである、
書くにおいても読むにおいても。
by shinobu_kaki | 2010-07-20 20:42 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(2)

夏空に風苗。

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梅雨が去るのを待っていた。

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苗のうえを風が走り抜ける。
by shinobu_kaki | 2010-07-20 05:58 | ライフ イズ | Trackback | Comments(4)

excuse.

スペインのイニエスタの一発で
ワールドカップも終わったので、
何か書きたかったんだけど。

なかなか筆が進まず。

あの、平日の夜に帰ると、
11時からサッカーがやってるという愉悦。
終わってしまって残念です。

出張疲れにワールドカップ疲れ(?)、
加えて梅雨の湿気がもたらす不快感だろうか、
なんとも気分が上がりません。

かろうじて保っている感じ。

まあこんな時に無理にアレしてもしょうがないので、
そこは自然に任せて。

では。



…というのも何なので(久しぶりだしね)、
最近いいなと思ったブログ。

傘をひらいて、空を

視点の繊細さがとてもいい。
自分にはないきめの細かさというのかな。

人の心の機微をていねいに拾っている感じ。
by shinobu_kaki | 2010-07-13 11:35 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

今朝は4時半に起きた。
なぜかって、めずらしく地方へ泊まりがけの取材が入ったから。
上越新幹線で新潟方面へ行くのだが、
東京を8時台の新幹線で出なければいけないため、
自宅の最寄り駅から6時台の電車に乗らないといけないのだ。
うちは東京の西の方にあるんで、
こういう時に遠いなあと思うわけですが。

4時半、というのはちょうど日の出の時刻と近いらしい。
だが梅雨空には厚い雲がかぶさり、
せっかくの太陽の存在を感じさせない。
でもそれだけに空全体が明るいのが梅雨空の特徴でもある。
雪国の夜が明るいのと同様だ。

しかし、久しぶりに荷物をチェックしていると、忘れ物が怖いやね。
今回の出張は3人で行くのだが、
僕が3人分の宿のチケットなどを持っているため、
自分にとってその存在が大きいために何かほかのものを忘れそう。
勝手に「忘れ物マジックナンバー」と呼んでいるのだが、
持ち物がある一定以上の数を超えると、
途端に別のものを忘れるという現象がある。
例えば傘と、さらにもう一つ荷物が増えた日は忘れ物をしやすいのだ。
これは何となくのボリューム感で自分の持ち物を把握しているという、
一種のアバウトさがもたらす現象であろう。

と、そんなことも言ってられないので忘れ物がないかチェックする。
まあ海外じゃないからね、と言いながらも、
国内でも海外でも、不足なものは現地で調達できなくもない。
要は「忘れものをする」ということ自体を嫌うわけだ。
「自分で完全だと思った事が完全じゃなかった」という、
忘れ物の本質はそこに尽きる気がする。
それは掃除の本質が「身ぎれいにするという意志」の部分にあることに似ている。
まあ、要は姿勢の問題ってことですね。

というわけでこれから準備して行ってきます。
by shinobu_kaki | 2010-07-06 05:24 | ライフ イズ | Trackback | Comments(2)

「一言」


いまさらながら、「一言」の重要性を思う。

たった一言が相手の心に響いて、
その人のことを好きになることもある。
逆にたった一言で、
誰かのことを決定的に嫌いになることだってあるだろう。

気持ちを射抜く言葉。
心を切り裂く言葉。
たった一矢、たった一言で十分なのだ。

たった一言。
思いつくのは一瞬でも、
相手に伝わって残るのはほとんど永遠ということもある。
怖い。
放った言葉は自分の思惑を離れ、
まるで自分とは関係ないもののように作用する。
そう思えば言葉というのは、
実は自分のものではないのかもしれない。

こんなに不確実で不本意で不正確なものである言葉が、
実際のところ我々に与えられた中ではベストの、
もっとも伝わりやすいという意味でベストのツールであるという皮肉。

我々の日常的なコミュニケーションツールが音楽だったら?
メロディアスで一見素敵ではあるけれど、
何しろ時間がかかってしょうがないだろうね。
by shinobu_kaki | 2010-07-03 21:58 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(4)

移動祝祭日


by Shinobu_kaki