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上機嫌の必要。


上機嫌なやつにはかなわない。

時々思う。もし世の中に何かを為さなかったとしても、
人に対して終始上機嫌でいられたなら、
また、そんな姿を見せることができたなら、
その人の人生は非常に立派な、成功と言えるものではないだろうかと。

第一、上機嫌な人というのは見ていて気分のいいものだ。
上機嫌というのは状況に対して快適さを感じているわけだから、
肯定感があり、攻撃性は(基本的には)薄い。
つまり一種の平和状態なのだ。
そしてイライラが周りの人に伝わるように、
太陽のような上機嫌さは同じく周囲に伝播するものだ。
彼はその時点で、自分を取り囲む人々を幸せにしていると言えるのである。

僕が「上機嫌がすごい」と言う裏返しには、
人は不機嫌になりやすいもの、という実感があるからだ。
まず自分にしてからがそうだが、負の感情というのは非常にやっかいであり、
日々においては、いつもいつも朗らかではいられない。
というかむしろ自分はかなり短気な方だと思う。
短気だからこそ、なるべくポジティブで平和な状態でいたいと思っている。
短気というのは状況に感情が影響される、負けている状態であるから、
「上機嫌でありたい」というのは「強くありたい」というのとほとんど同義だ。

つまり強さとは、「こうでありたいという意志をキープすること」でもある。
それは時として非常に難しいが、だからこそ価値があると思うし、
あらためて自分は可能な限り「上機嫌な人」でありたいと願う。

態度が、人生の多くを決定すると思うからだ。
by shinobu_kaki | 2010-08-31 08:34 | ライフ イズ | Trackback | Comments(4)

会議は踊る。


土曜日はマンション総会だったんだけど。

特に僕自身は発言することはなかったのだが、
初めてこういうものに出てみると、
色んなことがありありとわかって面白かった。
明らかに思いつきで喋っているよねという声の大きな人であるとか、
強烈な論を展開するインテリ風の職業の、
言ってみれば非常に頼もしい存在の人もいたしね。
色んな人がいる。

何より思ったのが、理事会と管理会社でまとめた議題が、
それなりにお金のかかるものであった場合、
総会での賛同はなかなか得られないということかな。
集まる機会が年に一回程度だから、
その場だけで決めるにはなかなか難しい構造になってる。

だから、よほどきちんとした資料を用意して、
どうしても今これにお金を使う必要があるのだとか、
その上で他社との比較見積もりを取ってこの結論に至ったのだとか、
ものすごく説得力のあるエビデンスを用意しなければ、
きれいに話をまとめることは難しいのだ。

もちろん事前に書面でもって通知してはいる。
さらに参加している人々が(全体の戸数に対して決して多くない人数だが)、
住人の中でも意識の高い人たちだったとしても、
ただそれだけで結論へと導くのは非常に難しいのだと思った。
というか、書面を見ていないよねと思わせるような話の流れもあった。

しかし大事なのは結論を出すことなのだ。
人が見るべき資料を見ていない、こちらの望むような理解をしてくれない、
そんなことに文句をつけてみてもどうにもならない。
どうにかして資料を見てもらえるように、理解をしてくれるように、
そして何人もの意見と意志と同意を引き出して、
話をまとめる方向に持っていかなければならない。
難しいのは、そこだ。

だからやり方自体に(まだ)問題があるのではと思ったし、
納得するための資料も足りなかったのだろう。
いくつかの議題が時期へと先送りになってしまったことは残念だった。
2時間などあっという間に過ぎてしまった。

そして思ったのは(今は特に当たり前かもしれないが)、
やはり皆お金を出すことについては非常に慎重であるということ。
自分のポケットマネーというわけではなく積立金から出すことだったとしても、
今は本当に切実に必要なものだけにしかお金を使いたくない、
そういった意識が非常に強いように思えた。

ま、どちらにせよ住人の顔が見える数少ない機会であるし、
むしろもっと密にやってもいいのではないかと思ったぐらいだったな。

とりあえず理事会のみなさん、一年間お疲れさまでした。
by shinobu_kaki | 2010-08-30 07:49 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

電池が切れるまで。


昨日の夜、電池が切れた。

仕事を終えて地元に帰ってきたのが11時半過ぎ頃、
駅から家まで歩いて10分ほどの道なのだが、
途中でがっくりと自分の体力的な電池が切れるのを感じた。

頻繁ではないが、時々ある。

家まであと5分、という道筋が倍くらいかかってしまった。
いつも通り歩けないのだ。
まるで水を求める砂漠の遭難者のように、
足取り重く元気なく、命からがらな感じでようやく家まで辿り着いた。
着替えもやけに力がいるし、水分を摂りたくてしょうがない。
しかもなぜかカルピスウォーターが飲みたかったのでがぶがぶ飲んだ。

なぜこうなったか。
きっと、夏休みで「休み慣れ」してしまった身体に、
この一週間の業務が堪えたのではないかと考えられる。
要は、疲れたのだ。
疲れとは車輪のようなもので、
通常ペースで回している時はそれなりに回せるが、
一旦回転を止めてしまうと回すのに非常に労力を必要とするものだ。
きっとこれは、そんな始動時の「重い車輪」を回すのに疲れてしまった、
そんな状態なのではないか。

しかし確実に身体はくたびれていた。
その証拠に、今朝は目覚ましの時間に起きられなかった。
起きてもどこかぐったりしている。
身体の奥から表面までを覆うようなけだるさがあるのだ。

こういうのは仕方がない。
前述したように、車輪が回り始めればもう少し楽になる。
そう思うことにしているし、きっとそうなのだと思う。


さあ、もう金曜日。
by shinobu_kaki | 2010-08-27 08:56 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

夢二十三夜。


夢を見た。

久しぶりにあう友人と小田急線の経堂で待ち合わせた。
経堂は初めてだ。
それほど大きな街ではないが、人気がある。
都心からのアクセスがよいこともあるし、
清潔なイメージがあるのもその秘密なのだろう。

僕らは駅からすぐにあるカフェでお茶をすることにした。
明るいサンルームを思わせるその店は、
カラフルな積み木のようなインテリアが特徴的だった。
そこにはたくさんの映像ストックがあって、
海外の人気番組やVTRを見ることができる。
僕らが見たのは、ある男のエピソードだった。

彼は自分だけの島を手に入れた。
懸賞に当たったのだ。
島は小さいながらも気候は快適で、
彼はそれまで住んでいた場所からすぐに引っ越してきた。
島へ行き来するためにモーターボートを買い、
友人たちを集めては夜毎にパーティをした。
そして島の一番良い場所に家を建てることにした。
だが、それまでの放蕩がたたって、
彼の持ち金はだんだん心細いものになっていった。
家はもう着手している。外枠が出来たあたりだ。
だけどインテリアに凝る金はない。家具もない。
さて、どうしよう?
結局彼は家の壁を作ることをあきらめ、
かきあつめたビニールシートを壁代わりに張りつけた。
でも家具はなくせない。
かくして彼は、うんとひいき目に言うなら
カラフルなモンゴルのゲルのような家に、
たくさんの家具に囲まれて暮らすことになった。

番組はそこまでだった。
僕らは彼のそんな「選択」を見て、
「何やってんだろうね」と笑いあった。
入れ物をおろそかにするなんて本末転倒だよね、まったく。
家具なんてどうでもいいじゃないか。

日が暮れる。経堂の夜は早い。
いつのまにか電車の時間が迫ってきていた。
ここから僕の家まで一時間くらいはかかるだろう。
僕は彼女と駅でさよならをすると、
歩いてホームへとひとり向かっていった。
by shinobu_kaki | 2010-08-25 07:36 | 夢十夜 | Trackback | Comments(0)

憑依と宗教。


…なんていうタイトルにすると完全にオカルト的だけれど、
したかったのは広告の話に近いことだ。

広告制作者はクライアントの「代弁者」であると思う。
例えば、Appleの広告を依頼されて作る立場になったなら、
その制作者はAppleの人間になったぐらいの気持ちで、
世の中に対してメッセージを発していくことになるし、
また、そうでなければならない。
迷いがあってはならないし、懐疑的であってはならない。
あったとしても原稿にそれを露ほども漏らすべきではないだろう。
そういったギクシャクした「姿勢の矛盾」は、
表現の純度を高めれば高めるほど、見る人にばれてしまう。
それの違和感はまるでサブリミナルのように、
「上手く言えないけど、この広告はなんか変だな」という印象を、
世の中の人に伝えてしまうことになる。
そういった迷いのなさ、信じる姿勢は言わば憑依的であり、
もしかしたら宗教的なのではないかと思うわけだ。

もちろん実際の現場においては、自己批判は必要だ。
企業が外部の広告制作者に依頼する意味として、
一番にはノウハウと技術を持ったプロである、ということがあるが、
外部の人間であるがゆえに、
ある種醒めた目でもって判断ができるという部分も大きい。
企業と一般の人々の間の橋渡しをする存在として、
一種俯瞰した「正しい」メッセージを発信しうるのである。
実際にはそんなに上手くいっている関係は珍しいかもしれないけど、
まあ理屈としてはそうなるということだ。

なぜ上手くいかないかというと、
ひとつには、仕事という形で金銭の授受が発生しているから、
お金を出す側と受け取る側が一種の支配関係におかれるからだ。
つまり、クライアントは「金を出しているのはこちらだから」ということで、
あらゆる局面において「暴君」になりうるのだよね。
暴君は批判を受け入れない。
それは「家臣」とのコミュニケーションの問題だから、
暴君だけが悪いのではもちろんない。
しかし僕の印象だが、
クライアントはけっこう真摯にものを売ろうと考えている人が実は多く、
立場に乗っかって暴君的になりがちなのは「家臣」である代理…、
という話を始めると脱線して仕方がないのでこれはまた今度にする。

宗教云々の話に戻る。

とある知人が、しばらく会わないうちに宗教に入信していた。
僕はたまたま彼とそのことについて深く話し合う機会があったのだが
(なぜ入信したのか、入信しなければならないのかといったことだ)、
途中まではその宗教なりのロジックを明快に示してくれた彼も、
行き着くところまで行くと必ず「まず入らなければ理解はできない」と言うのだ。
教義にもそう書かれてあると言う。
頭で納得する前に、とにかく信じろというわけだ。
話はいつもそこで終わってしまった。
僕は重度の面倒くさがりなので規律を伴う特定の宗教に入る気はなかったし、
今でもまったくないのでいつも丁重に、しかし強くお断りしていたのだが、
その彼の言う「もう理屈じゃない」というステージが、
僕と彼との間に横たわる深くて広い川を想像させた。
そして彼がいつどのようにして向こう岸にわたったのか、
具体的なプロセスは彼の口からは発せられることはなかった。
「とにかく○○なんだ」という言い方を彼はよくしたのだが、
そうなるともうこちらとしては話すことは何もない。
仮に僕が彼の話に納得したからといって、
そちらの岸に行くことは可能性としてはゼロに近かったと思うのだけれど。

彼とはここ数年、連絡をとりあってはいない。
どうやら健康ではあるらしい。詳しいことはわからない。
by shinobu_kaki | 2010-08-24 07:42 | デザイナーという病 | Trackback | Comments(0)

横浜サニーサイド。

夏休み週間、とでも言うべき一週間が終わった。

金曜日に休みを取り、週末をはさんで、
さらに月曜から木曜まで休みを取った。
だから金曜日の1日出社して、また週末ということで休んだ。
体感的にはなかなかの長期休暇である。

休暇中は特に大きなイベントをこなしたというわけではない。
妻と娘と三人で横浜に行ったのが最も大きな行事だった。
横浜の中心にあたる駅の近くに宿を取り、
たった1泊2日ではあったのだが、
周辺を歩いたり電車に乗ったりして見て回った。
向日葵もぐったりする暑さの地上を歩き、
エレベータで昇っては空中からの横浜港を見下ろし、
独特のあの香りのする中華街をそぞろ歩いた。
妻と並んで、娘を腕に抱いて。

横浜は良かった。
まず何と言っても娘の大好きなアンパンマンミュージアムがあるし、
海が近く、街並は都会的で、中華街は美味しい。
東京都心に見られるような殺気立ったストレスもあまりない。
もちろんそれは僕らが観光地然としたエリアを選んでいたこともあるが
(実際、横浜も雑多なエリアは非常に雑多である)、
歩いていても非常に快適に感じられた。また、行こうと思う。

みなとみらいあたりの「作られた街感」も好みだ。
人によっては暖かみがないとして嫌う向きもあるだろうが、
何しろ僕は西新宿のあの人工的な感じだって大好きなのである。
中途半端でない、特化された空間の心地よさ。

馬車道、日本大通り、桜木町、関内、元町…。
ひとつひとつの街が個性的かつ魅力的で、
降り立った一駅ごとに明らかな色の違いが見える。
それぞれでも十分に楽しいエリアなのに、
それらが数珠つなぎに連なっているのが、
横浜の大きなチャームポイントと言えるだろう。

そして何より、港町というのは元来魅力的なものなのである。
西の神戸や長崎においてもそうなのだが、
街自体に解放感と異国情緒が横溢していて、
日本の土着とは明らかに異なった文化のちりばまりが、
「いつもと違う場所を歩いている」という、
確かな実感を後押ししてくれるのだ。

人は何のために旅行をするのだろう、と思う。
もちろん人の数だけ旅行の目的や楽しみ方はあろうが、
僕は「日々の確認作業からの一時的解放」ではないかと思っている。
誰もが毎日、自分というものを確認しながら生きている。
環境や他人はその鏡だ。それらが変わらずにいてくれるから、
我々は自分が自分であると認識し続けていられるのである。
そして旅に出ると、そんなモードが少し変わる。
環境にひもづく日常的ルーティンがなくなるからである。
そんな状況が日常を外側から見る事につながり、もう一度泳ぐための、
プールサイド休憩のような役割を果たすのではないか。

一人旅と家族旅行ではニュアンスが違うのはもちろんだ。
独身時代、僕は一人旅を好んでしていた。
ただ海外に行くような大掛かりなものではなく、
例えば関東近辺で一泊するくらいの小さなものだった
(何度かは博多や京都などにも行ったけれど)。
そんな短い行程でも旅は素晴らしいリフレッシュになったし、
僕は本当によく歩いたので、歩いた道々の感じはよく覚えている。

知らない土地を目的もなくぶらぶらと歩くのは素晴らしい。
まさに最上の時間の過ごし方のひとつだ。
そんな自分のことは本当に安上がりな人間だと思うし、
また、そういったシンプルな嗜好性は、
実はなかなか悪くないんじゃないかと思っている。



関連エントリ:
yokohama2010.
桜吹雪が風に舞う。
DAYDREAM
キラキラ鎌倉。
上野建築散歩。
ズルズル真鶴〜がっかり猫たち篇〜
by shinobu_kaki | 2010-08-23 14:30 | チープ・トリップ | Trackback | Comments(0)

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by shinobu_kaki | 2010-08-19 08:00 | チープ・トリップ | Trackback | Comments(2)

宮部みゆきの長編小説「模倣犯」を読み終わったのと入れ違いに、
2010年の夏休みがスタートした。今日から、来週の木曜日までである。

会社はもう夏休みシーズンに入っており、
社員がそれぞれシフト的に交互に夏休みを消化している。
土日以外の5日間を夏休みに当てることができるので、
週末をはさみつつ、フルに利用させてもらったわけである。
会社からも、細切れでなく出来ればまとめて取るように言われているしね。


話は変わるけど、最近また輪をかけて夜に弱くなった。
遊びと言えば夜だった昔とて、それほど強かったわけではない。
日頃の長時間勤務がたたってというエクスキューズ付きだが、
飲みにいくと不覚にも寝落ちしてしまうこともよくあった。
それにしてもなかなかの量の酒をいただいた末のことなのだから、
まだ合点がいこうというものなのだが、
最近は肝臓に負担をかけることとは関係なしに夜が眠い。
そして朝が前ほど強くないのである。
これは間違いなく体力が落ちているものと思われる。

しかし待って欲しい。
そりゃあ昔に比べれば年を取ったとはいえ、僕はまだ30代である。
普通に考えればこれから体力は落ちていく方向であろう。
もっともっと夜や朝に弱くなっていくということか?
何をするにも「よっこらしょ。ふいー」的な一言を発さねば気が済まず、
あらゆることがおっくうになっていくということか?
ちょっと待てよ。そんなの、もう少し先にさせてくれよ。

そして追い打ちをかけるような話だが、
今朝久しぶりに体重計に乗ったら少し太っていた。
過去マックスというほどではないが、予想していた体重よりも数キロ重い。
別に痩せた男になりたいという気持ちは大して持っていないのだが、
それでもちょっといい気はしない。
ものすごく簡単な原理として、
消費カロリーを摂取カロリーが上回れば、太っていく。
言ってみればそれだけの話だ。要は食べ過ぎなのであろう。


この夏休みは長期旅行を計画しているわけではない。
だから言ってみれば、普段の週末の延長としての過ごし方に近い。
当然、家族と過ごすことがメインの夏休みとなるだろう。
何しろ娘がもうすぐ誕生日を迎える。
何と言ってもそれがメインのイベントだ。
それに合わせて、夏休みのスケジュールを組んだのだからね。
by shinobu_kaki | 2010-08-13 07:43 | ライフ イズ | Trackback | Comments(4)

例えばバビロニアのハンムラビ法典について
「目には目を、歯には歯を」しか知らない人は多いはずだ。

聖徳太子の十七条の憲法。
第一条「和をもって尊しとなす」は知っているが、
残りの十六条についてはよくわからない。

ムンクが描いた絵は「叫び」だけではないし、
大事マンブラザーズバンドは「それが大事」しか歌ってないわけじゃない。
プロコル・ハルムの持ち歌は「青い影」一曲だけじゃないし、
三木道三の「LIFETIME RESPECT」も同様だ。

よく知らない対象に対して、
人の記憶は一つのフレーズ、一つの要素に
集約されてしまう。

しかし、そのワン・フレーズが対象の本質を表しているかというと、
それはまったく別の問題である。
記憶されるフレーズの条件はただひとつ「インパクト」にあるのであって、
それが網羅的であるとか包括的であるかどうかは関係ない。
そうでしょう?

人はすべての他人に対してそれほど親切ではいられない。
自分にとって近しいものでなければ、
それほど踏み込む事はせずに「片付けて」しまう。
なぜなら自分の人生にさほど関係がないと思われるものに、
破格の労力を割くことは無駄であり、
何より本当に大事なものに費やす時間が圧迫されるからだ。

もちろんそれが、その人にとって本当に必要であるかどうかはわからない。
人はしばしば間違える。
「ああ、あの人。別に…」と思っていた相手が、実は深くつきあってみると、
自分を考えても見なかった高みまで引き上げてくれる、
一種のエンジェルかもしれないのである。
だが未来が(予想はできても)完全に見えている人はいないので、
「気になりもしなかった可能性」については、
多くの場合はそれ自体がなかったことにされてしまう。
パラレル・ワールドは概念的にしか存在しないのである。

話が逸れたが、
少なくとも自分にとって関係ないと思われる事象について、
人が何かを記憶するのに大きな影響を与えるものは、
「かすかな将来性」だったり「堅実な継続性」だったりといった
質実的な要素ではなく、もっと瞬間的で感覚的なものであろう。
つまり「えっ、何コレ、変!」という違和感であったり、
「おおー」という見事な言い回しだったりといった強い印象が必要なのだ。
つまり、まず「!」や「?」といった感嘆符でもって迎えられる、
それが人の気持ちに残像を残す強いインパクトとなるのである。

何が言いたいのかわからなくなってきたな。

えーと、月曜日ですね。
僕は今週金曜から夏休みをいただくので、
木曜日までの四日間、がんばります。

それでは良い一週間を。
by shinobu_kaki | 2010-08-09 09:14 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)

夏を祭る。

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今日は、近所の神社で行なわれている
夏祭りに行ってきました。

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ここんとこ帰省している人が多いらしく、
街は比較的静かだったのですが、
まだまだこんなにもいたんだなあと思わせる盛況ぶり。

久しぶりに見よう見まねで盆踊りなどしてみました。
by shinobu_kaki | 2010-08-08 22:43 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

移動祝祭日


by Shinobu_kaki
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