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あの読み応えに満ちた「昭和史」の記憶も新しい、
文春元編集長の半藤一利による歴史対談集。
タイトルは少々イマイチな「日本史はこんなに面白い」というものだが、
中身は文句なしに面白い。
奥付を見ると、初出は2008年となっている。

まあ、僕も40の声がそろそろという年齢になり、
世間的には「おっさん」と言われる世代ではあるので、
こうした歴史ものについての嗜好が色濃くなってきた感は否めない。
まあ、実際はもっと昔からこういうの好きでしたけど。

全体を通して印象的だったのは、
この半藤という人の頑固な部分というか、譲らないところ。
対談ってのはわりかしスムーズに流すために、
対立をみた意見というのはホスト側が折れたりしながら、
なんだかんだとスルーしてやってくケースがそれなりに多いものだ。
だがこの人は折れない。
例えば聖徳太子の十七条の憲法についての話では、
「和をもって尊しと為す」というあの有名な第一条の解釈で、
崇峻天皇暗殺を蘇我氏と画策した太子本人の自省のあらわれである、
という自説を曲げないんだよね、相手が否定していても(笑)
こういうとこ、読んでて面白かったですね。
非常に人間くさい部分が行間から立ち現れて来る。

内容について個人的に白眉と思ったのは、日本を太平洋戦争へと導く、
その前夜における日本の暗号解読の致命的ミスについての話。
それから「昭和史」にも詳しい昭和天皇の終戦前後の葛藤の話、
後は、まさにさっき読み終わった最後の対談、
丸谷才一との「二十世紀の予言」の話かな。

暗号解読の章でのひどい勘違いとしては、
例えばこんなものがあった。一部抜粋・編集して引用。

半藤 ハル・ノートはアメリカが最後通牒として突きつけて来た文書です。
 そこで問題は「チャイナ及びインドシナからの完全撤退」という部分。
 ここに書かれた「チャイナ」に、果たして「マンチュリア(満州)」は
 含まれるのか。アメリカはだいぶたってから、
 あそこに満州は入っていなかったと言い出すんですんが、
 日本では、外務省も軍部も入っていると思ったというんです。
 戦後20~30年たった頃、東条内閣の国務大臣で開戦に関わった
 鈴木貞一さんという元軍人と話していたら、
 「え?あれ、満州国、入ってなかったの?」と目の前で叫んだんです。
 「鈴木さんは入っていると思ったの?」と聞いたら、
 「日本のリーダーは、みんなそう思っていたよ」と。
 (引用ここまで)

…なんというか、ひどい話である。お粗末に過ぎる。
そうした細部のディテールを確認するという発想がなく、
あるいはあっても実行できないこということが、
国の命運というもっとも大切な部分において、
あまりにも強烈なデメリットとして甘受せざるを得なくなるのである。

いま思うと頭がおかしいとしか思えない話であるが、
当時はこれが現実的な外交の正体だったというのは悲しくなる。
じゃあ現在はどうなのかと言われると、
それはそれで決して上手くやってるという印象はないのですけど。
まあ有事だからね。色んなことが浮き彫りになる。

最後に、石原莞爾の話から始まる「二十世紀の予言」の章を
少し長めに引用して終わりとしたい。

丸谷 石原莞爾が人心を圧倒する理由のひとつとして、
 原子爆弾が登場するという予言が当たったことがある。
半藤 「今にマッチ箱ひとつで都市が吹っ飛ぶような爆弾ができる」。
丸谷 やっぱりすごい予言性ですよね。ただし、
 「満州国をもって五族共和の王道楽土にする」という、
 あの予言は当たりませんでした。
半藤 もう少しで当たりそうだったんですけどねえ(笑)
 (中略)
丸谷 19世紀の最後の年になりますが、アメリカではカーネギーが
 「産業と科学技術の進歩のせいで20世紀には戦争はなくなる」
 という大予言をした。
半藤 面白いねえ。とんでもない大はずれ。
丸谷 さらに1903年12月8日、アメリカのラングリー博士という研究者が、
 ワシントンのポトマック川で見物人をいっぱい集めて飛行機を飛ばした。
 その飛行機は飛び立った途端に川の中へ落ちて、
 ニューヨーク・タイムズは「飛行機はいずれ完成するだろうが、
 それは100万年か200万年後だろう」と書いた。ところが9日後には
 ライト兄弟が飛行機を空に何分間か飛ばしちゃったんです。
 誤報としても凄いし、予言の外れ方としても凄いんです。
 (中略)
半藤 山本五十六の予言もあるんですよ。1940年、昭和15年の10月14日、
 原田熊雄の「西園寺公と政局」の中に出てきます。
 「アメリカと戦争などしちゃいかん。どうしても戦争するとなると、
 アメリカだけじゃなく全世界を相手にすることになる。
 ソ連と中立条約を結んでるが、そんなもの当てにできない、
 ソ連は日本に必ず攻めてくる。日本国土は、特に東京は壊滅する。
 そして俺は長門艦上にて討ち死にする」
丸谷 全部当たっちゃったなあ。
 (中略)
丸谷 私が新潟高等学校で歴史を教えていただいた植村清二先生が、
 昭和20年の4月に、まだ残ってる文科2年か3年の学生10人くらいを前にして
 特別講義をされた。僕は戦争に行ってていなかったんですが。
 最初に黒板の上に「アフター・ウォー」と英語で書いて、
 それから大きな世界地図を書いた。そして、世界はアメリカとソビエトの
 支配下になると、そういうことを論じたんですって。
半藤 はあー。
丸谷 日本は負けるなんてひと言も言わないんだって(笑)
半藤 言わなくてもわかりますよね。やっぱり、見える人には見えるんですね。
 最後に、イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーさん。
 当時は英国国際問題研究所長の予言を。
 1932年に、政治学会で喋ったのが残っておりまして、
 「日米戦は必ず起こる」と。
 とても早い時期から未来を見通していたことになる。
丸谷 すごいなあ。
半藤 「そのときは中国、ロシア、カナダ、豪州などが米国の同盟国として
 日本と戦争する。結果として日本は完全に壊滅する。
 日本が壊滅するだけじゃなく、イギリス帝国主義が没落する。
 何となれば、アメリカと一緒になってカナダ、豪州、ニュージーランドあたりが
 俄然力を持つから、イギリス帝国主義は没落する」
 …全部、怖いぐらいに当たってます。彼の目を通すと、
 イギリス帝国主義が没落するのは、歴史の必然だったということがわかりますね。
丸谷 いやあ、すごいもんだねえ。歴史の勉強は役に立つもんなんですね。
 (引用ここまで)

今こうしてる時にも、今後の世界状況を正確に見据えている賢人は、
きっとどこかにいるのだろう。
あるいはネットにどんぴしゃな文章を書き連ねているかもしれない。
しかし、予言というのは全てが終わった後に「予言」として呼称される。
予言はまだ「予言」になっていないのである。

大地震があってから、予言ブログというものが非常に多く出回った。
確かに日付まで当てたものもあり、それは「予言」や「予知」と呼ばれていた。
ただ上記のそれは、単発で地震を当てるようなものとは一線を画す、
言わば「冷静な分析」であり「予測」であるだろう。
だから本当は予言という呼び方を個人的にはしたくないのだが、
人は歴史を語る時に「神の視座に酔う」ものだと思うので、
こういう言葉がやたらよく似合うんですよね。
そう、「予言」とか「黙示録」とかね。
by shinobu_kaki | 2011-08-24 23:33 | shinoBOOKS | Trackback | Comments(0)
2011.8.15宣伝会議
「日本最大のマスマーケット? 40〜60代の攻め方」


以下、部分的に拾い出したメモです。


【データ】
・ 現在、日本の平均年齢はジャスト45歳。

【インサイト】
・ 自分のポジションは中年ではなく「若者の中の最年長」だと思っている
・ 言われて嬉しい言葉は「若々しい」「センスがいい」
・ これからも常に新しい生き方やライフスタイルを作っていく世代でありたい
・ 年を重ねた今も、行動基準は「モテるかどうか」
・ 「アンチエイジング」というフレーズには、ネガティブな印象を抱いてしまう
・ これまでの人生で、「幸せ感」の絶頂は20代
・ 更年期を迎え、50代に向けて健康意識が高まってきた
・ 子どもの頃に夢中になった趣味や遊びを、自分の子どもと追体験したい
・ 個性的でありながら、押し付けがましくないものが好き
・ 自分が満足できる自分になりたい

【新しい商品群の一例】
・ ビール市場 ▶ プレミアムビールの急伸
・ クルマ市場 ▶ ハイブリッド車、スポーティセダンの健闘
・ 数万円台のテレビ商品市場 ▶ 薄型テレビ
・ デジカメ市場 ▶ デジタル高級一眼レフカメラ
・ 飲料市場 ▶ 機能性飲料
・ ハミガキ市場 ▶ 薬用ハミガキ
・ 食品市場 ▶ サプリ、冷凍食品
・ 化粧品、トイレタリー市場 ▶ 高級シャンプー、アンチエイジング化粧品

【メモ、キーワード1】
・ 「40代女子」「美魔女」「女子会」など、初めて40代から世の中に流布するトレンドワードが出現
・ 50代の7割は自分たちを「シニア」だと思っていない
 →「中高年向けアプローチ」というくくりが上手くいかない理由
・ 高価格、高収益の商品群に積極的
・ 「ビールをがぶ飲みはしないが、いいビールをおいしい料理と飲みたい」
・ 「年齢に負けない肌をつくるためであれば多少の出費は厭わない」
・ 40〜60代においては中高年の意識が消滅しつつある
 →新しい大人世代

●特徴_1
・ 特に女性を中心に、「成熟」志向から「若々しい」「センスがいい」志向へ
●特徴_2
・ 自分たちを今もトレンドセッターと思っている
・ 「率先して生き方、ライフスタイルを作りたい」と思っている
●特徴_3
・ 「夫婦や仲間とのコミュニケーションを大切にしたい」と思っている
・親兄妹よりも友人知人→「女子会」などはこの傾向
●特徴_4
・ 時代への共感・行動として社会性を重視
・ 「環境や福祉などの社会的なテーマに有効な商品やサービスを日常生活の中に取り入れることが満足に繋がる時代になる」という認識が約7割

・ つまり、購買力と時間を十分に有している世代

● 特徴の裏付け
・ いまの40〜60代は「バブル世代(40代前半)」「新人類世代(40代後半)」「ポスト団塊(50代)」「団塊世代(60代前半)」と続く経済成長の恩恵を受けた右肩上がり世代であり、さらに、いずれも若者の時にトレンドセッターとして流行を生み出し、若者文化を創った世代
・ バブル世代の女性は子育ても一段落
・ バブル世代の特徴は「消費好き」
・ 新人類世代は若い頃に女子大生ブームを起こし、ポップカルチャーのメイン
・ ポスト団塊世代はポパイ・オリーブの楽園キャンパス世代
・ 団塊世代はビートルズを聴きジーンズを履いた「若者文化」の中心世代

【メモ、キーワード2】
・ いまの40〜60代はマス広告とともに市場を形成してきた世代
・ マス広告の大量投下がもっとも効果的な土壌
・ 50代は新聞がタッチポイントとしてダントツだが、40代はデジタル先進層、スマフォやSNSを使いこなす
・ 彼らにもっとも重要なのは「広告表現」の部分
・ 従来型の中高年向けメッセージではなく、彼らの消費を促すには、商品やサービスが「新しい大人のライフスタイル」を実現してくれるものであるという期待感のあるメッセージの発信が必要
・ 世界12カ国で行った調査によると、高齢者世代の共通ワードは「Stay Young」、新しい大人というライフスタイルは世界中で共通したモデルになる可能性

【メモ、キーワード3】
・ (別資料より)1986年頃に大卒で入社した女性は今40〜45歳、男女雇用機会均等法の施行を契機にライフスタイルが変化。働き続ける女性を狙った市場が生まれる。バブル景気の絶頂期に社会人となり、稼いだ給与を自分のために使うという消費行動が定着した
・ 今の40代の人たちは、選択肢が多様化した社会に生きる初めての世代
・ 世代別の価値観を分析する上では、彼らが10代20代だった頃の時代背景を見る、例えばバブルの時代でもそれを何歳で経験したかで違う(5年程度のズレ)
・ 行動の基準は「モテるかどうか」
・ 上の世代はマスメディアに対する信頼感が強い
・ 40代以降の世代に通じるのは、自己ポテンシャルの喪失感
・ だから自分の加齢をあえて第三者に比較されたくないという意識が強い
・ 「避けようのない加齢をいかに受容できる形にしていくか」という提案
・ 特に40〜60代はチャレンジすることで自己差別化をしてきた人たちにも関わらず、年齢を重ねるにつれ、社会的な責任も重くなり、失敗が許されない環境になってきている
・ 新人類(40代後半)の幸せ感は20代が絶頂、30代以降は不幸と感じる
・ 団塊ジュニア(30代後半)は20代の頃よりも最近のほうが幸せと感じる
・ いまの40〜60代は気持ちが若い。かつては40代への突入=おじさんへの仲間入りとして線引きされていたが、いまの40代は「若者の中の最年長」という意識でいる


メモは以上。

世代でカテゴリ分けするという手法は反発もありそうだけど、
ある程度大くくりで購買層を捉えなければならない時に、
ひとつの指標になることは確かだ。
要は理にかなった裏付けがあるかどうかってこと。

しかし「モテ」ですかあ。なるほどね。
自分なんかははっきりと団塊ジュニアに入るわけだけど、
確かに少し上の世代の「油っぽさ」を感じることは多いよね。
そして自分は20代よりも今の方が、確かに幸福感強いです、ハイ。
by shinobu_kaki | 2011-08-18 16:37 | デザイナーという病 | Trackback | Comments(4)
快適なネット生活をおくる秘訣、それは「つぶやかない」こと。

上記より少し引用。

「たぶんネットに書くときの緊張感が,昔はあったんでしょうね」
「創作なんですよね」
「その頃よくあった,文章をメインとしたテキストサイトなんかは,
単に日常を書いているようで,実は日常を面白おかしく
エッセイ的に書こうとする人たちでしたから,仮に飲酒運転をしたとしても,
それをそのまま芸もなく書いたりはしないでしょうね」
「本を書くことをカジュアルにしたような位置づけで,
ネットで文章を書いていましたから,
日常を垂れ流そうという発想はあんまりなくて,
僕も日記は書いていたものの,創作として取り組んでいました」

「今思うと掲示板の手軽さはTwitterっぽいですね」
「その後ブログが登場して,これも掲示板みたいに楽に投稿ができるわけです。
でも,掲示板にしてもブログにしても,
実際に文章がアップされる前にプレビューという,
内容確認のためのワンクッションがありました。
Twitterにはプレビューがない」

「ブログは,短く書く雰囲気ではなかったですね。
普通本で読むエッセイならこれぐらいの字数は書くだろうと思って書いていて,
そこでもまだ創作としての意識はありました」

「たとえば本を読んでいろいろ感想を持ったとしても,
ブログに長く文章をしたためるのではなく,
Twitterで短く『面白かった』って書いて満足してしまったら,
その時の複雑な感情など,記憶に残らなくてもったいないと思いますね」


…とまあ、とりとめなくメモしてしまった。
上記の記事の主眼の部分では実はないのだけど、
ちょっと気になった部分を引用してみた。

確かに本や映画の感想など、短い文章でさらりと書いてしまうと、
それはそれで素直な感想なのだけど、言ってみれば芸がないし、
(芸が必要かどうかの議論は別としてもね)、
上記の一番最後のコメントを自分なりに形容すれば「揮発する」って感じである。
さっさと昇華されてしまうというか。

だいたい何かを書こうとわざわざ思う背景には、
自分の中での「引っかかり」が何かしらあってしかるべきなのだ。
それは話すか書くかという「言語化」によって昇華される。

考えているだけでは、その思考には誰にもアクセスできない。
言語というのはそもそもコミュニケーションを目的としたものだから、
言語化することによって初めてコミュニケーション可能になる。

つまり、
他人にも理解できるように感情を翻訳したものが言語である、
とも言える。

それがひと言であれ、何らかの形でアウトプットされてしまうと、
何かが済んだような気持ちになってしまう(実際に済んでいるのであるが)。
それを「もったいない」と言っているのである。

そして順序が逆になるが、ブログの書き方の話。
「本をカジュアルにしたもの」という言い方が上記にあるけれど、
これはまさにそうで、日記というよりも、
完全に読み物としてブログを書いていた人は多いのではないだろうか。

レベルはどうあれ、自分ですらが実はそうだったからね。
一種の雑誌のような、本のような、もちろんゆるさはあるにせよ、
ちょっとした連載のような気取りで続けていたというのは、
実は疑いのないところなのである。
少なくともライフログではまったくなかったからね。

手軽にアップするという部分からすればむしろ妨げになるであろう、
「エントリにタイトルをつける」という作業も楽しい。
これはやはり何か読み物を書いている感覚にさせるフォーマットである。

しかしブログで最も大切なことは「更新されていること」である。
この意見は昔から変わっていない。
それを思えば、毎日気合いを入れて文章を創作するという作業は、
実は非常にハードルが高く、また、
いずれ息切れしてしかるべき構造なのかもしれない。
それはとりもなおさず、「流行る」という部分においてハードルになる。
言ってみれば、誰にでもできるようなことじゃないということだ。

「面倒くさい」というストレスは、
実はハードルとして非常にポイントだったりするのだ。
by shinobu_kaki | 2011-08-13 15:33 | エウレーカ! | Trackback | Comments(5)


遅刻する食パン少女まとめ

いわゆる物語表現の「ベタ」というか「定型」の話。

エヴァTV版のラスト近くにも見られた、
食パンくわえて「遅刻チコク」と走りながら
曲がり角で男子とぶつかる転校生の女の子とか。
地味で冴えない子が眼鏡をはずすと美少女だったりとか。

そうした見たこともないはずの「定型」を、
なぜ我々は「ありがち」と感じるのか。
そうした問いを起点に、
少々パラノイアックな感じで調査考察してるページ。
「眼鏡を外して美人!というパターンの元ネタは何か。
日々古本屋に通って1970年代のマンガにはほぼ全て目を通し、
眼鏡っ娘が出てくるマンガは全て購入した」
というあたりMADで良い。

で、結論から言ってしまうと、
「高度成長期以降の日本人の物語認識が、
アメリカンホームドラマの世界をひとつのロールモデルとしていたから」
という話になってる。
上記の諸々はアメリカンホームドラマ、
さらにそれに影響を受けた諸作家たちの作品群によって、
我々の「自意識」が形作られていったという仮説はなかなか面白い。

ちなみに「定型」というネタについては、
以前ブログでこういうエントリを書いたことがある。
完璧なもの

言葉はちょっと遊んでますが、要するに「定型」の話。
一発目に食パンくわえた女の子がさっそく出て来てくるけど、
要はそれだけ定型としてシンボリックなんですよね、これ。

あと寿司折りぶらさげた酔っぱらいのお父さんとか、
バナナの皮ですべって転ぶとか、
パイプにベレー帽の画家とか、0点の答案とか。
ひたすらに定型的なパターンを挙げていくと、
どれも非常に昭和の香りがする。
そういう意味では前述のパラノなブログが指摘するように、
高度成長期の一種の幻想が、これらの「定型」なのではないか。

まあ、共通して抱くイメージってのは必然的に過去のものであるはずで、
この時点での過去が昭和であったり高度成長期であったりというのは、
実はタイミングとして当たり前と言えば当たり前ではあるんですけど。


まあそういう話。
by shinobu_kaki | 2011-08-11 10:49 | エウレーカ! | Trackback | Comments(0)
僕も今週一杯は夏休みである。

実は日曜からこの週の前半にかけて北海道に家族旅行に行ったのだが、
そちらのほうはさておいて、
先日行った近所のすた丼屋のほうを書くのである。


まあ贔屓目に言っても外食激戦区とは言いがたい我が家の周辺だが、
新規オープンということもあり、このすた丼屋はいつも賑わっている。
チェーン店であり、渋谷などにあったりもするので、
まあ「間違いがない」という感じだろうか。
夏休みの後半、昼にぽっかりと空いた時間に食べに行ってみたのだった。

a0022014_1458339.jpg

これです。
いわゆるレギュラーサイズのすた丼。
男らしく豚バラとわずかのネギ、そして強烈なニンニク。
あとはちょこっと海苔があるくらいで、実にシンプル、実に男らしい。

詳細はこちらのデイリーポータルZあたりを見て頂くとして、
結論から言うと満足感がすごくある。
ちゃんと美味いし、とにかくボリュームが素晴らしい。
初心者の謙虚さで、初めからサイドメニューをつけたり、
「肉増し」「飯増し」といった暴挙に走りはしなかったが、
もしかしたら胃袋的にはもう少し食べられたかもしれない。
でもまあ食事だからね。なんかに挑戦してるわけじゃないから。

a0022014_15104217.jpg

11時半前後という少し早い時間に入ったんだけど(しかも平日)、
あっという間に満席になったのは少し驚いた。
駅前から徒歩7〜8分と、少し離れた立地だからね。
客層は「男子学生」か「トラックの運転手系の職業の人」がほとんど。
いかにもガテンクラスタといった風情の人間で埋め尽くされた。
店内にはレディースセットなるポスターもあったのだが、
女性客は僕のいた時間では一人としていなかったな。

ラーメンやギョーザといったサイドメニューも充実してたけど、
個人的にはノーマルのすた丼一品で十分に満足のいくものだった。
あ、ミニサラダってのがあって、他の客が頼んでいたのを見たけれど、
全然ミニじゃない量なのに笑った。さすがだ。

某筋からの情報によると、チャーハンが凄く美味いらしい。
一度試してみたい。
ちなみにチャーハンと言えば、
このすた丼屋の道を挟んだ向かいに中華料理屋があって、
そこは地元で屈指と言われるチャーハンの美味い店なのである。
どちらが美味いか楽しみだなあ。
by shinobu_kaki | 2011-08-06 15:19 | 最初の一皿、最後の一杯 | Trackback | Comments(4)

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by Shinobu_kaki
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