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今年は前厄である。

僕の周りを見ても、また様々な人の書く文章を読んでも、どうも厄年というのは世の中のうちのかなりの人にとって、何か「どすん」とした災厄のふりかかる季節であるらしい。かなり前、少し年上の友人と飲んだ時も「厄年ね。あれは、ほんとうに死ぬかと思ったよ」と言っていた。恐ろしいことである。しかし彼は厄年を結果的に死ぬことなく済ませ、僕とビールを飲みかわしながら昔話として厄年を語る状態にまで持ち直したわけだ。つまり「乗り越えた」のである。そういうケースを目の当たりにすると、厄年というものは確かに恐ろしくはあるけれども命までは取られることはないのかな、という楽観的な気持ちも多少は生まれてくる。まあ友人も厄落としに神社には行ったらしいですけど。

厄年とは何なのか。ざっと調べてみてもそれほど明確な答えが提示されているわけではなく、どこか皆「もごもご」とした言い方でその理由を述べている。曰く「体力的にちょうど曲がり角にさしかかる季節で、身体に変調を来しやすい」であるとか「仕事的にも二十代三十代とノリノリで来て、世代的に中間になりコミュニケーション的な落とし穴が」であるとかがその中身である。正直に言って、わかるようなわからないような感じである。というかわからない。いや、その理由自体を否定しているのではなく、ある年齢になると何もかもが急に上手くいかなくなる、そんなプログラムが人間にインプットされているのか?と思うのである。だいたい個々の性質や人生経験、環境や状況などの個体差を考えだすとそれはあまりに多岐に渡り、一律の「厄年」として共通したタイミングで皆に災厄が襲いかかる、そんな風に考えるほうが不思議な気がする。そう思いませんか?ねえ。

じゃあ前厄を迎えた僕は今どうなのかというと、これは確かに前厄と呼ばれる季節にふさわしいそれなりのトホホ具合に見舞われている。ここで詳しく書くことはコンプライアンスの問題により避けなければいけないが、主に仕事においてだが、過去になかった感じの人間関係的不本意さがあると言えばある。ただこれも認識のマジックのようなもので、「自分は前厄である」という思いがあるからそのように感じるのかもしれない。例えば今、目の前に親が現れて「今になって申し訳ない、お前の生年月日だけれど、実は出生届が間違っていてお前はもう45歳なんだよおお」と泣き崩れるようなシチュエーションがあったとしよう。ないけど。そうしたら僕の「前厄だからコーシテコーナッタ」的な感じ方は根底から音を立てて崩れ去るのである。何の話だっけ。そうそう、気にしているからそう感じられるのではないかという懐疑的な視点は忘れずキープしておきたいということですね。

今年が前厄ということは、当たり前だが来年は本厄である。巷間言われる説によると本厄のほうが酷いことが起こるという。それはそうだ、宝くじだって一等のほうが前後賞よりも高額だ。これは実に怖い。前厄に足を踏み入れてまだ途中だというのに、僕はこれから年単位でこのような恐怖を抱えていくことになるのである。まあしかし、ここは自分の精神的しぶとさを頼りに何とか乗り切るしかないであろう。例え何かが「どすん」とふりかかってきたとしても、「まあしょうがない。何しろ厄年なんだからな」という一種の諦観を持って乗り切り、年下の友人とビールを飲みながら「厄年ね。あれは、ほんとうに死ぬかと思ったよ」と振り返るその日まで。
by shinobu_kaki | 2012-08-10 00:05 | ライフ イズ | Trackback | Comments(2)

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