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グロウ・オールド

日々の思うことやネタ的な面白おかしさというのはTwitterで揮発させるようになってしまい、ブログに何かを書こうという気がもっぱら起こらなくなってしまった。ご覧のように、スパムコメントも放置気味である。昔はこうではなかった。気に入った独り住まいの部屋に埃がたまるのを許せないように、見つけては払い、見つけては払っていた。自分自身が部屋に寄り付かなくなってしまったのである。時折訪ねてくれる人には申し訳ないと思う。住んだ形跡はあるのだが、インターフォンを鳴らしても返事がない、そんな部屋のようなブログになっている。

お久しぶりです。お元気ですか。41歳になりました。3月で。
ブログの開始は2004年、今年は2013年だからざっと9年ほど。古い話も混じっている。バックナンバーを読んでもらうとわかるが、最初の頃はプールに遊ぶ子供のようなはしゃぎ方をしている。まあブログの回想はこのへんで。

仕事をしていても疲れやすくなったなあと感じる最近である。少人数会社の悲哀なのか何なのか、30代の前半とあまり変わらない働き方をしている。同じようなことを続けてはいるのだが、さほど自分がレベルアップしたようには感じられない。疲れやすくなっただけである。同じことを続けることで得られる熟達には限度があるのか、それとも自分の何かが足りないのか。両方かもしれないが、こういう場合に結論を「両方」としてしまうのは単なる思考停止である。まあ、考えてもしょうがないことを考えると人は死に至る方向にいくので、思考停止というのは精神の隘路における行き止まりの看板のようなものかもしれない。つまり、知恵だ。

体力が精神コンディションに多大な影響を及ぼす、というのはとうの昔に知っていたし、ブログでも何度も書いていることである。え?読んでない?ああそ。しかし吊り橋効果ではないが、人は嬉しさも悲しさも、感情そのままの姿で処理をすることは難しく、たいてい何かの形に変換して受け取るものではないかと思う。つまり身体の疲れのつらさが、精神のつらさに変換されてしまうのである。入れ物が汚れていると水が濁るように、あるいは穴の空いた容器のように。水がこぼれるのは容器に穴が空いているだけなのだ、と思えば当たり前すぎて可笑しくなる。だが、水の少ないこと自体に人は責任を感じてしまう。穴に気づかなかった自分が悪い、穴をふさぐのが下手だったから水が漏れた。どちらも違う。容器を直さないとどちらにせよ水はこぼれる。それだけのことである。

父親が49歳で死んでいる。肝臓の病気だった。自分の年齢と単純に比較すると父親の享年まであと8年ほどである。正直いって自分の場合は父ほど暴飲していないし(毎晩一本焼酎のボトルを空けていたらそりゃ肝臓だってやられる)、歩くことも好きだし、自転車も好きだし、わりかし愚痴っぽいしで、そこまで早死にするタイプではないとふんでいる。事故は別だけどね。何が言いたいかというと、人は、どのタイミングで切実な「老い」を感じるのかということだ。こないだも老いの話を書いた気がするな。まあいいや。

自分の場合は、子供ができたという事実が大きいかもしれない。なんだかバカみたいだけれど、自分がユズリ葉になったような気に時々なる。大したものは残して上げられないというか、遺せるものなんて何もないと言えるかもなのだが、何かあった時に自分の命と引き換えにしても全然惜しくないなと正直に思えるのはすごい。子供というのは大したものだなと思う。まあ、多くの人が「可愛いのは今だけで、大きくなったら生意気になりますよ」と助言してくれるのだが、その時はその時でまた考えようと思っているのであまり希望をなくすようなことを言わないでください。

子供を育てる話とも関わるのだが、そんな「老い」を感じる自分がありつつ、問題は「まだまだ元気で生きてゆかなければならない」ということだ。まだ40歳ちょっとでしんどがっている自分なのだが、これから体力はもっと無くなって行くに違いない。でも働いてゆかなくてはならないのだ。給料だって下がると困る。でも体力の分、個人的な稼働率は下がるしね。だから「年寄りにしかできない仕事」で差異を生み出すべきではあるのだけれど。住宅ローンもあるし…と言っても、住宅ローンが仮になくても家賃を払い続けなければならないのは変わらない。どちらにせよ生きるには金がかかるよね。

近所には平日の朝から床屋の待合室で新聞を読むリタイア組のじいさんが何人もいる。彼ら年金世代と違い、自分たちの年代はよほどのケースでもないと悠々自適な老後というのは厳しい気がする。世の中は資産家ばかりじゃないのだ。個人の豊かさを規定するのは基本的に「時代」で、イレギュラーとしてのケースが少しあるだけだと思う。人類の黄金期は60年代だった、と言ったミュージシャンもいたな。なかなか難しい時代である。難しくなかった時代があったのかはわからない。誰もがその時々の場所で生きるしかないのであって、その不公平なまでのランダム性が、生きることの本質という格好になっている。なかなかよく出来てると感心する、まるで人ごとのようだけれど。
by shinobu_kaki | 2013-07-01 18:58 | ライフ イズ | Trackback | Comments(0)

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