ふと「効率化」という言葉とその内容について考えていました。
いろんなことが「効率化」の目的のもとに行われていると思ったのです。
我々にとって身近なのは、例えば時間の効率化。
例えば、いつもの通勤電車に乗っていて、その電車がトラブルで少し遅れたとします。
閉じ込められるといったレベルじゃないですよ。ほんの少し。
でも、そのせいで出社時間にはもしかしたら少し遅刻するかもしれない。
その意識があったことで、乗り換えた次の電車のドアが閉まりそうな時に、
危ないとわかっていながらついつい駆け込んでしまうとします。
そこには「効率化」の意識があるのではないかと思うのです。
確かに、電車が遅れたのは鉄道会社側の都合なのだから、
会社にはきちんと理由を説明すれば、遅刻という扱いにはならないかもしれない。
でも、そのために必要な手続きというのは結構面倒くさい。
その面倒くささを回避するために、何もなかったかのようにするために、
ちょっとした「反則」としての電車への駆け込み乗車をする。
それは言ってみれば「効率化」と呼ぶべき心の動きではないかと思うわけですね。
駆け込み乗車くらいならまだいいんですが、これが例えば、
車を運転しているドライバーがスピードを出しすぎたり、信号無視をしたり、
あるいはそういう道交法違反というレベルでなくとも、
交差点で左折を急いでしまうとかは全然ありえないことじゃない。
それで、横断歩道を渡る人を轢いてしまったりとか…
その理由は「急いでいたから」あるいは「時間の遅れを取り戻そうと焦って」
みたいなことだと思うんです。
それはすなわち時間的な効率化を図ろうとして起こった事故ということになる。
効率化なんて生きるの死ぬのじゃないんです。そういう問題じゃない。
でも交通事故はまさに生死に関わる問題です。目的と結果のバランスが悪すぎます。
それでもそこに、車とスピードという、凶器になり得る要素が重なることで、
まったく本意ではない恐ろしい結果に繋がることがあるわけですよね。
効率化は突き詰めるとキリがありません。
しかもその思いに囚われすぎてしまうと、ものすごく余裕がなくなって、
そんなにピリピリする必要がない場面でもピリピリしてしまう。
僕は人の感情を水みたいな液体のように考えていて、
いったん熱くなり始めてしまうと人によっては感情はあっという間に沸騰する、
そんなイメージを持っています。
感情が水だとすると、外側にあるものの熱さ冷たさにすごく影響されるので、
自分が常にコントロールして適温を保つのは難しい。
急がなければ!という状況に対して、そのボルテージのままに感情は熱くなり、
文字通り冷静さは失われます。そうして繊細な判断力は吹っ飛んでしまう。
それはさまざまなものを損なうことでしょう。
ちょうど、沸騰させてしまったスープから風味や味わいが失われるように。
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