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物語はカメラを切り替える。

心の置き所というのは日々移ろうものだ。

人の強烈な能力のひとつとして「慣れる」というものがあり、
その適応力たるや意外なほどあなどれない。
けっこうどんな状況でも慣れてしまう、良くも悪くも。
そして適応するのに合わせて心の置き所も変わっていく。

例えば、自分以外の何かに没頭する、
自分以外の何か良いものに触れると心の置き所が少し変わる。

物語が助けになるかもしれない。

なぜ映画や小説、ドラマなどの物語が
人々に欠かせないものになっているのだろうと思うが、
人は自分以外の、
つまり他人の物語を俯瞰的に眺める事によって、
救われる部分があるからではないか。
もっと言えば、ズームからワイドへカメラが切り替わるために、
物語という「デモ」が必要なのではないか。

だいたい悩みというのはその場その場にとらわれているということであり、
カメラがそれだけにズームした状態になるため、
なかなかそれ以外のことは考えられなくなってしまう。
カメラが、視点がひとつになってしまっているのだ。
だから、もっとカメラを引いて違う角度から見ている他人の一言が、
意外なほどの効力で悩みを解決してしまうのは道理なのだ。

言ってみれば、視点を切り替えることさえできれば、
悩みなんてどうってことはなかったりするのである。

そしてほとんどの物語は、
語り口はどうあれ「神の視点」で語られている。
全体を映すために俯瞰的なカメラで捉えられているのだ。
つまり視点が切り替わるのである。
視点が切り替わると、何かにとらわれている人の視点が変わる。
それがある心的状況から人を救うこともある、と思う。


これが自分なりに感じた「物語必要論」のひとつである。


仕事なんかも実にそうだけど、
あまりに忙しいと暗澹たる気持ちになることだってある。
だけど、思えば何かやってお金や評価をもらえるんだからなぁ、
という見方もできなくもない。
疲れすぎるようだったら?そうさせるものともっと闘うべきだろう。

実は一つ前に途中まで書いてやめたエントリがあるのだが、
それは、我々は刑罰を受けている罪人ではないという内容のものだった。
いや、宗教的にはそういう捉え方もあるかもしれないけどw、
少なくとももう少しだけ自由が保証されている。

だから状況に負けずに闘って切り開いていこう。
精一杯生きよう、いつかどこかで死ぬまでは。(←少し広範囲カメラ)


さ、今度はカメラをズームして。
連休前後はどうしても仕事が混み合うけど、
なんとか家族との休みを確保するためにがんばろうね、俺。
by shinobu_kaki | 2010-04-30 07:10 | ライフ イズ

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