2014年 07月 26日
たいしたことなさ。
ことあるごとに、自分のたいしたことなさを噛みしめる。
「なんて自分はたいしたことないんだろう」と思う。
つまり「もっとたいしたことのある人でありたかったな」と思うのだ。
たいしたこと、は身を助ける。
「身」というか気持ちだろう。もっと言えば自尊心だ。
嫌な思いをしなくて済むのだ。
たいしたことあるというのはなんと素晴らしいことだろうか。
たいしたことのありなしが、
自然淘汰と結びついていたなら話はもっと簡単だ。
要するに、たいしたことのない人は生きていかれないとしたら。
残るのはたいしたことのある人ばかりになる。
たいしたことのない人がどんどんいなくなったからだ。
なんと精度の高い世の中になるだろう。
なんと素晴らしい世の中であることだろう。
だが問題は、たいしたことのない人でも生きていかれるということだ。
たいしたことなさと、生命、あまつさえ幸福は共存可能なのだ。
その背反は救いであるし、同時に苦しみの根源でもあるだろう。
たいしたことのある人、でありたかった。
本当だろうか。
たいしたことのない人のたいしたことない人生。
どうだろう。
別にいいのではないのか。
要は「嫌な思いをしたくない」ということの言い換えかもしれない。
なんというか、そんなもんだ。