「いい人」について。

「いい人」について、以前自分がツイートしたものの中から抜粋。





いい人→人畜無害、よく気がつく→細かすぎる、付き合いが良い→優柔不断、正義感が強い→世間知らず、聞き上手→付和 雷同、前向き→忘れっぽい、気配り→八方美人、縁の下の力持ち→決断力が無い、協調性に優れる→お調子者、集中力抜群→視野狭窄、読ませる文章力→やや誇 張癖あり、慎重→ケチ


血縁という縛りがもたらす過剰かつエゴに満ちたコミットメント、というものに対する拒否反応があった。だから今でも「気はいい人なんだけど口が悪く、おせっかいで押し出しの強い人」はひどく苦手だ。というかアウトプットが乱暴な人は、別に「いい人」ではないと思う。


ある組織に感じのいい人がいたからといって、それはその組織の属性ではないよね。


以前「あなたはどういった人が嫌いですか?」という質問に「図々しい人。やたら押しの強い人。言葉遣いの荒い人。あと偉そうな人はいつでも嫌いです。偉そうにしていい人なんて基本的には存在しない」と答えていたログがあった。2010年4月の自分に同意する。


仕事の場で「なんだこの人…」と思うような人でも、それがその人の100では当然なくて、別の関係性の場ではとてもいい人だったりする。かように人間って多面体。


「あなたの意見は私と同じだ!素晴らしい、あなたはいい人だ!見なさい、ここに我々と違う間違った意見の人がいる、ぜひ間違いに気づかせてあげましょう!!」…要するにやってるのがこういうこと、みたいな人を見かけるとウゲッてなる。


「あの人はいい人だからやることなすこと全て許される」ではないってことですよ。誰もがその中途半端なグラデーションの中で生きてる。


「いい人」の「いい」って何かプラスってことじゃなくて、マイナス要因となることをしないという意味だと思うんだよね。だから「いい人」の定義は「悪い人じゃない人」みたいなことだと思う。何かをしたからいい人じゃなくて、何かをしないからいい人なんじゃないか。


(昔話で)老夫婦が二人とも善良というわけではない場合、いい人なのはおじいさんが多く、おばあさんが意地悪な役回りを演じてる。逆はあまり見ない気がする。


「本当はいい人」と言われる人が、その本当とやらを出してくれるまで待っていられるほど他人はヒマではない。


「近隣にどんな人が住んでいるか」というのは、極論すると家の前に寝ている犬を目印に、みたいな話に聞こえる。変動という意味ではハード情報とソフト情報は同じようには扱えない。「いい人だった」隣人が急に変貌することだってあるし、そこはブラックボックス過ぎて第三者が保証することはできない。


いい人は天国に、悪い人は地獄に、中くらいの人は中国に、っていうあれ好き。


「すごくいい人」じゃなくて「悪い人じゃない」の貴重さ。


いい人は抑圧がありますからね。


短期的には従順で勤勉でいい人であるほど評判が上がるが、長期的には我がままで面倒くさがりで悪人であるほうが色々な意味で良いし、比喩的な意味でも長生きできる。


いい人なんだろうけど、特にトラブルとかもないんだけど、なんか合わない人っていて、不思議だし、面白いと言えば面白い。


ある種の穏やかな優しさというのが取りようによっては「自分がいい人と思われたいだけのエゴイズム」ということにもできるわけだが、そうじゃないケースもある。それは経験則的に、性格のきつい人からイヤな思いをさせられたとか、逆にやさしい人に会ってあったかい気持ちになったとか、色々ある。


「いい人」とは、責任のボールを自分のほうに寄せる人。


よほどの人でなければ、その人となりを知ればいい人だったりする。その人なりの世界観で動いていて、他人と合う合わないがあるというだけで。そういうのは擦り合せなければいいだけの話と思う。


「実はいい人」というのは物語の中だけということが多いんじゃ。


いい人でいたいと思うと、そのために弁解したり説明したり、余計なコストが増える。


自分を守ろうとすると、どうしたって相対的に他人を貶めてしまう。結果、いい人でいたい人が嫌われる。いい人症候群。


「いい人だと思ってたのに、予想外に冷たいこと言われた」という場合、期待値との相対的感覚ですごく嫌な人に感じられるけど、日本の冬もきっとこれ。


「ひと言多い人」って、基本的にいい人に対して使われる。(いい人なのに)ひと言多くて残念な人、というわけだ。


たまたまいい人であったとしても、いかに頑張っていたとしても、周りからはその中の2割ほどの悪さやだらしなさを見て取られる。


いい人は関係性において損をするからいい人なのだ。


礼儀正しく、物腰穏やかで、相手に極端な害を及ぼさない。ごく表層的なことだとしても、「いい人」の定義としては十分。


人は自分がいい人でいようとするから、イヤな人間になってしまう。


「いい人」は場の空気が荒れることを嫌うから、自分のエゴよりも場が円満であることを優先したりする。でもそういう意 識がまったく無い人の、不機嫌コントロールによって相手に要求を通したり欲求を満たしたりといった作為は、他人の善意につけ込むことでありこれはいわゆる 「悪」と呼んでいいと思う。


世の中の問題は基本的に程度問題ですよ。種類で量ったら間違えるし、誰もが「本当はいい人」になっちまう。


他人が望むように振る舞ったって、いざとなれば自分の問題として処理しなければならない時がくる。お世話になったはずの人とも対立せざるを得ないかもしれない。でも最終的には優先すべきは自分というか、自分を優先せざるを得ないわけで、いい人ぶっているとやむを得ない状況の時に裏切りと見られる。


自分の内部に不本意を抱えながら状況に合わせる人は「いい人」と呼ばれる。これは魅力とはまた別の軸である。


「いい人」というのは基本的に他人に嫌われたくない人で、孤独と覚悟が足りない人だと言える。


つまり、全方位に「いい人」として振る舞うという事自体にムリがあるのだろう。


一見いい人そうに見える人は、期待値という点で実は損してる。


いい人はどこか怯えている。


自分にとって不快な世界なら受け入れたくないという気持ちが強くなって当然。自己肯定感の低さというのは、そこまでに受けた不本意さの集積と、その時々で折り合いをつけるのに譲歩の傾向が強かった、つまり我慢してきた人に多いのではないか。それは間違いなく「いい人」なんだけど、いい人はつらい。


つまり「いい人」はトレードオフの感覚が薄いために、交渉下手になってしまう。



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by shinobu_kaki | 2018-04-17 09:43 | 言葉は踊る。 | Trackback | Comments(0)
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